レイシャル・ハラスメントの全ブログ記事

 今回も、引き続き、「連鎖」を題材にレイシャル・ハラスメントについて考えていきます。告発を受けたAさんも上司も、それぞれのふるまいがレイシャル・ハラスメントに相当するということに気づかなかったのはなぜかという問題です。

(3)差異の不承認(アイデンティティ政治の否認)の場合

 じつは、「日本人と同じに扱う」ことがレイシャル・ハラスメントになりうる場合があります。正確にいうと、「出自にともなう文化的背景を尊重してほしいというマイノリティからの要求を拒否し、他の日本人と同じ基準で振舞うように強要した場合」です。なぜなら、それは民族的な自己決定権を侵害したことになるためです。同化の強要は、それ自体が「敵対的環境」になりうるのですね。

 例えば、宗教的アイデンティティをあらわすものとしてスカーフをかぶっているムスリムに対して、他の日本人と同様に髪を出しなさい(出さなければ配置換えをする)と強要するような事例はわかりやすいと思います。

 あるいは、在日コリアンの職員に対して、日本名の使用を指示する(従わなければ配置換えをする)というのもこれにあたります。これは、「朝鮮人であることをことさら誇示されると迷惑だ」という差別的なメッセージになりますので、やはりわかりやすいと思います。

 一方、「連鎖」の事例はかなりわかりにくい。Aさんが発した「きみはクマさんみたい」という発言それ自体はレイシャルなものではないという解釈も成り立ちますし、べつにアイヌの民族文化を否定したわけでもありません。

 しかし、毛深いという身体的特徴からクマに侮蔑的に喩えられてきた人種的差別の文脈を考えると、話は変わってきます。つまり、「クマ」は、文脈によっては十分に人種的差別になりうるのですね。そして、人種的差別に対抗し、プライドを守るための運動は、民族的な自己決定権の一部を構成します。

 Aさんには差別的意図はなかったかもしれません。しかし、Bさんは人種的プライドを守るための発言を何度も強硬に否定され、その訴えを何度も無視され、そんな主張をする輩は迷惑だといわんばかりに配置換えにあいました。Bさんにとっては、民族的な自己決定権とプライドの双方を否定された形になってしまったわけです。

 上司は、「クマ」なんて一般的なあだ名にだってなりうるわけで、その程度のことで騒ぎを大きくする職員は扱いづらいとでも思ったかもしれません。言い換えると、人種的差別の文脈を無視して、一般の日本人職員と同じに扱おうとしたのかもしれません。

 しかし、「同じ」に扱うということが、かならずしも正しいとはかぎらないのです。

 前回に引き続き、「連鎖」を題材にレイシャル・ハラスメントについて考えていきます。告発を受けたAさんも上司も、それぞれのふるまいがレイシャル・ハラスメントに相当するということに気づかなかったのはなぜかという問題です。

(2)二次加害の場合

 「連鎖」のケースでは、(1)→(2)の時点では、まだBさんは「レイシャル・ハラスメント」だとは認識していない可能性が高いです。そもそも、「きみはクマさんみたい」という発言そのものは「レイシャル」ですらありません。

 このケースがレイシャル・ハラスメントとなりうるのは(3)の時点からです。つまり、「差別的表現としても用いられているので、やめてもらえませんか」というやわらかい告発を強く拒絶したことによって、はじめてレイシャル・ハラスメントとしての要件を満たしたわけです。

 しかし、この時点でハラスメントの要件が確定したとはいえ、Bさんにとっては、この時点ですでに、被害体験と被害感情を否定されるという二次被害を受けた状態です。AさんとBさんの事実認識は、一段階ずれています。

 この「ずれ」、すなわち「ひとつ」の発言が「二次」加害を構成しうるという構図が、「連鎖」のケースでレイシャル・ハラスメントをわかりにくくしている原因の一つです。

 次に、上司の対応を見てみましょう。(6)の段階で、上司がBさんの訴えを「なかったこと」として扱ってしまいました。理由はわかりません。Aさんの訴えに共感したか、あるいはたんに面倒だと思ったか。

 いずれにせよ、重要なことは、ここでも、上司は訴えを放置するという「ひとつ」の行為を選択しただけですが、Bさんにとってはそれがすでに「二次」被害になってしまっているということです。そして、上司は、自分の選択がすでに加害性を持っているということに気付かず、人事異動でBさんの配置を変えるという判断をしたことで、ハラスメントの要件を確定させてしまいました。

 被害を訴えるというのは、とてもしんどい行為です。訴えるためには被害を追体験しなければなりません。傷を見せるというのは自分の弱さをさらけ出すことでもあるので、それ自体に痛みを伴います。また、誰って、好き好んで揉めごとなど起こしたくありません。面倒くさいやつだと思われる危険性だって犯したくありません。

 それでも訴えるというのは、すでに何重にも被害が蓄積していて、やむにやまれず必死の叫びを上げるようなもの。それを拒絶されたときのショックは、一次被害に勝るとも劣らない苦痛を被害者に与えます。

 にもかかわらず、加害者にとってはただ一度の言動にすぎなかったりするわけで、その「ずれ」がハラスメントをわかりにくくしてしまいます。

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 まだ他にも、告発を受けたAさんや上司が、それぞれのふるまいがレイシャル・ハラスメントに相当するということに気づかなかった理由が残っています。次回に続きます。

 なお、今回のテーマについては、こちらのまとめも参考に。

【告発を無力化する話法】 - Togetterまとめ http://togetter.com/li/169946 



 2008年の記事で、レイシャル・ハラスメントが連鎖的に進行する事例について紹介したことがあります(「連鎖」)。この事例では、告発を受けたAさんも上司も、それぞれのふるまいがレイシャル・ハラスメントに相当するということに気づきません。それはいったい、なぜでしょうか。

(1)悪意をともなわない場合

 Aさんが告発の意味を理解できなかった最大の理由は、差別心から発言したわけではないものを差別だと指摘されたためです。

 しかし、「偏見と差別の関係」でも解説したように、差別がいつも「被差別者を傷つけてやろうという明確な悪意」から生じるとはかぎりません。

 例えば、統計的差別の場合はいっさいの悪意がなくとも差別は生じますし、三者関係の差別の場合は見下しの感情が自覚されることはまれです。また、薄く広く蔓延している偏見にもとづいて差別発言をしてしまう場合、みんなが同じような偏見を共有していていわば「常識」のようになっていますので、自分が偏見を持っていると気づくことはとても難しくなります。悪質なヘイトスピーチのようなものを除けば、むしろ悪意をともなわずに無自覚的に行われる差別のほうが多いかもしれません。

 したがって、行為者側に「明確な悪意」があったかどうかは、こと差別についてはあまり意味がないのです。重要なことは、(1)歴史的、恒常的に差別が成立している何らかの属性に関わる言動があり、(2)その言動によって、受け手の側が不愉快に思ったり傷ついたりしたかどうか、の2点です。

 セクシュアル・ハラスメントについては、長年にわたる議論を経て、やっと、受けての側の感情が重要だと理解されるようになっているように思います。

 例えば、職場にヌードポスターが張ってある場合、かりにその意図が「男子職員の一体感を高め、就労意欲を鼓舞するため」であったとしても、職場に性的なものを掲示されるだけで不快感を覚えたり、自分が性的な視線でまなざされる脅威を感じ取ったりする職員がいれば、環境型のセクシュアル・ハラスメントとなります。

 レイシャル・ハラスメントについても同じことが言えます。告発を受けた言動があるとき、行為者に悪意があったかどうかは重要ではありません。その行為の受け手の側の感情こそが重要なのです。

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 ところで、「連鎖」の事例で、告発を受けたAさんも上司も、それぞれのふるまいがレイシャル・ハラスメントに相当するということに気づかなかった理由が他にもいくつかあります。次回以降に解説していきますので、皆さんも考えてみてください。

 セクシュアル・ハラスメントという言葉が日本に輸入されたのは、周知のように1980年代末の裁判闘争を通じてのことであった。その後、1999年4月には改正「男女雇用機会均等法」の施行によってセクシュアル・ハラスメントの防止が事業主に義務づけられた。また、同年3月には「文部省におけるセクシュアル・ハラスメントの防止等に関する規程の制定について」が出されたことを踏まえ、各大学においてセクシュアル・ハラスメントの防止等にむけた積極的な取り組みが進めらるようになった。

 そうした経緯もあって、セクシュアル・ハラスメントといえば法律用語であると解釈している人も少なくないようである。

 しかし、セクシュアル・ハラスメントという言葉は、職場や学校の中だけでなく、一般社会での不当な性的言動を意味することもある。例えば、特に組織に所属していない友人間であっても、恋愛経験を執ように尋ねたり、私生活に関する噂などを意図的に流したりすれば、「セクハラだ」として告発の対象になりえる。あるいは、ツイッターで女性のユーザーに対して執ように性的なからかいの言葉をぶつけたり、ヌードの画像を送りつけたりすれば、多くの人が「セクハラだ」と認識するだろう。

 ようするに、セクシュアル・ハラスメントは、法的な概念として用いられるだけでなく、性的に尊厳を傷つけられる不正義を総合的に指し示す社会学的な概念としても広く用いられているということだ。

 しかし、残念ながら、レイシャル・ハラスメントについては、日本ではそれを明示的に禁じる国内法がまだ整備されていないため、法的な概念か社会学的な概念かという区分を論じる以前の段階にとどまっている。セクシュアル・ハラスメントのように、不正義を告発する社会学的なツールとしての役割を果たすようになるまでには、まだまだ相当に長い年月がかかりそうな気配である。

 次回からは、「レイシャル・ハラスメントだ」との訴えが聞き届けられず、逆に非難の対象となった事例を紹介していく。

 厚生労働省の指針ではセクシュアル・ハラスメントを次の二つのタイプに分けています。

  1. 対価型セクシュアル・ハラスメント
    職務上の地位を利用して性的な関係を強要し、それを拒否した人に対し減給、降格などの不利益を負わせる行為。

  2. 環境型セクシュアル・ハラスメント
    性的な関係は要求しないものの、職場内での性的な言動により働く人たちを不快にさせ、職場環境を損なう行為。
 ここで注意が必要なことは、「対価型」(別名「地位利用型」)は職場での地位に格差があることがセクハラの構成要件とされているのに対して、「環境型」のほうは地位に格差がなくともセクハラになりうるということです。例えば、同じ平社員同士であっても、あるいは部下から上司に対してであっても、環境型セクハラは成立します。

 例えば、法務省のパンフレットでは、以下の様な事例が「環境型ハラスメント」の典型として挙げられています。●性的な話題をしばしば口にする、●恋愛経験を執ように尋ねる、●宴会で男性に裸踊りを強要する、●特に用事もないのに執ようにメールを送る、●私生活に関する噂などを意図的に流すなど。いずれも、職場での地位とは無関係になされうることがわかると思います。

 レイシャル・ハラスメントについても同じことが当てはまります。こちらの記事で、米国の司法ではレイシャル・ハラスメントを認定する上で「敵対的環境」の有無が焦点になりやすいと書きましたが、それは、レイシャル・ハラスメントの多くが「環境型ハラスメント」として起こるためです。そして、環境型ハラスメントである以上、地位に格差がなくともハラスメントは生じます。同じ学生同士であっても、あるいは学生から教員に対してであっても、レイシャル・ハラスメントは成立します。

 最近の事例だと、以下の様なものがありました。

  • 某大学の授業で、在日コリアン教員がシラバスに即して朝鮮学校のことを扱ったところ、後日、学生に嘆願書への署名を強要させたという虚偽の情報がインターネット上に出回った。それを右派議員がキャッチし、文部科学省に照会、さらに文科省がその大学にヒアリングし、当該大学は「学生に誤解を与えた」とする声明をウェブページに出した。某新聞がそれを記事化し、さらに騒ぎは拡大した。

  • 某大学の授業で日本軍「慰安婦」問題に関するドキュメンタリーを上映した在日コリアンの教員について、受講生が「内容が一方的」と某新聞に投書し、それを同紙が記事化した。インターネット上でバッシングが盛り上がり、大学に数百件の電話が寄せられた。
 これらは学内で完結せずに、学生・大学当局、文科省、政治家、マスメディアという多様なプレイヤーが関わって被害が拡大した事例です。

 筆者自身も学生からレイシャル・ハラスメントを受けたことがあります。嫌韓的な右翼思想に染まった学生がゼミに配属されてきたときのことです。学力不振により第5志望での配属でした。望まないゼミに配属された学生もかわいそうではありますが、その学生はわたしが「反日」「左翼」の思想を押し付けるものだと勘違いをし、ゼミに出席すらせず保護者を巻き込んで差別的な文書を各方面に送付したりしたのでした。

 その時に私がどのような感情を体験したか、すでにツイッターに投稿したことがありますので、まとめを紹介します。

「教え子からヘイトスピーチをくらったとき、教員がどういう気分になるか」 - Togetterまとめ http://togetter.com/li/670039 @togetter_jpさんから

 学生からハラスメントを受けると、教育者として教え導く役割と、差別の被害を受けたマイノリティとしての役割とに引き裂かれることになるため、同僚からハラスメントを受ける場合以上にしんどい体験となりえます。

 立場の弱い学生が教員からハラスメントを受ける場合も深刻な被害を生じますが、また別の意味で、教員が学生からハラスメントを受けた場合も被害は軽微では済まないということです。

 おそらく、セクシュアル・ハラスメントを防止するための規程のない大学は日本には残っていないはずである。1999年に文部省(当時)から出された通知などを踏まえて、各大学とも規程を整備したためである。

 それからおよそ15年、ハラスメント概念はつねに深化を続けてきた(例えば弁護士ヘルプ「ハラスメントの種類26」)。もはやセクシュアル・ハラスメントを禁じるだけでは時代に合わないということで、自主的に規程を拡張している大学も少なくはない。しかし、ことレイシャル・ハラスメントについては明確に禁止を謳っている大学はまだまだ多くはないようである。その間、グローバル化の掛け声の中で留学生は倍増し、外国籍教員も増加していることを考えると、対応はいちじるしく立ち遅れているといわざるをえない。

 現実の被害はすでに少なからず生じている。関西の大学教員を中心に、大学でのレイシャル・ハラスメントの被害について情報収集をしているが、以下にその一部を紹介しよう。

  • A大学の教員aは、授業中、授業テーマと関係もないのに「韓国」「中国」の悪口を語気荒く連発。在日コリアンの学生がその教員aの研究室に訪れたところ、引き留められ相談内容と全く関係もない韓国についての議論をふっかけられる。当該学生はおびえ、持病を再発。

  • B大学の中国人・韓国人留学生が受講している授業で、担当教員bは毎回、シラバスを逸脱して中国や韓国の悪口を延々としゃべる。ある韓国人留学生に教科書を朗読させた際に、「君はどこから来たの?」と質問。留学生が「韓国です」と答えると、約100人の学生がいる場で公然と「韓国は大統領が反日だから、日本を留学先になんか選ばないんじゃないの」と言った。韓国人留学生は精神的苦痛で一時、不登校となった。

  • C大学の授業の場で、教員cが在日コリアンの学生を指名して、在日についての意見を求めた。翌週の授業で、その日のコメントペーパーがいくつか読み上げられたが、そのなかに「日本にずっと住みながら、文句を言う権利はない、帰れ」との内容があり、しかも担当教員cはそれついて一切コメントもなかった。その問題について授業後に教員cに指摘したが開き直った調子であったため、在日コリアン学生はショックを受け、その後、動機や頭痛でキャンパスを歩けなくなったりもした。

 いずれのケースでも、被害を申し立てている学生は、深刻な精神的、肉体的な苦痛、学習意欲の低下などを体験している。しかし、ハラスメント相談室に訴えても「教授には高度な裁量があるので授業内容には立ち入れない」と門前払いを受けたり、規程の不備を理由にハラスメント事案としての扱いを拒否されたりといったケースが目立つようだ。

 政府は2008年度に「留学生30万人計画」を掲げ、積極的な留学生獲得施策を展開しているが、こうした状況を放置したまま数字だけを弄んでも、教育の質を向上させることは困難であろう。

レイシャル・ハラスメントとは

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 レイシャル・ハラスメントという言葉がある。米国ではセクシュアル・ハラスメントと並んで、就業環境を害する言動としてしばしば損害賠償命令が出されている。具体的には、深刻な人種的差別が発生してもそれが放置された場合、あるいは人種差別的な状況が長期的かつ職場環境全体に蔓延している場合に、不法性が問われている。

 米国の裁判所が被害を認定しやすいのは後者のケース、つまり環境型ハラスメントだ。例えば、特定の人種や民族をからかうジョークが日常的に話されているとか、ある国出身の労働者がいるときその国を誹謗するようなポスターがずっと掲示されているようなケースは、「敵対的環境」を放置したとしてレイシャル・ハラスメントだと認定されやすい。職場のいじめに人種的な侮蔑を用いてしまえば、それも環境型のレイシャル・ハラスメントだ。

 ヘイトスピーチの横行する昨今の状況を見ていると、遠からず日本でもこうした事例が法に問われるようなケースがあらわれるだろう。その際、人種差別撤廃条約の規定により、損害賠償額が加算されることも考えられる。企業の組織防衛のためには、セクシュアル・ハラスメントよりも危険な存在だといえる。

 経営者諸氏およびガバナンス・コンプライアンス担当者は、諸外国の事例を参考に早期に対処を進めておくべきだろう。

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