社会調査の全ブログ記事

 たぶんエイプリル・フール記事だと思いますが、ロイター日本語版のウェブで4月2日付けで流れてきたのがコレ↓

「スニーカーを年3足以上購入する人、リーダーの素質大=米調査」

......年間3足以上スニーカーを購入する人たちは、そうでない人たちと比べ、アイデアやビジョンといった現代のリーダーとしての資質を持っている率が61%高かった。このほか、積極的に自己主張する率が50%、より自発的である率は47%、それぞれ高かったという。

(ロイター「世界のこぼれ話」ニューヨーク 4月1日)→記事のウェブ魚拓

 この手のマヌケな調査結果に関する報道は普段からたくさんあるので、いちがいにエイプリル・フールだと断定できないところがクヤシイ。とりあえず気になるのは;

  • 「現代のリーダーとしての資質」の指標として、「アイデア」や「ビジョン」は妥当かどうか。
  • また、それらはどのようにして測定したか。
  • 「61%」などの数値が並んでいるが、合計は100%なのか?
  • 100%だとすると、「自己主張する率」などについて2群間で50%もの開きが出るのは非現実的。測定がおかしいか、加工がおかしいか、サンプルが信頼できないか、のいずれかである可能性がある。
  • たぶん、サンプルが極端に偏ってるか、少なすぎるんだろう。マーケティングっぽい調査なのでランダムサンプリングはしてないだろうし。「スニーカーを年3足以上購入する人」が5人とかだったりしても驚かないな。

 で、もしこれらのツッコミどころに合理的な回答が得られるとしたら、次に気になるのは;
  • もちろんスニーカーを買えば自己主張するようになるわけじゃない。かといって、自己主張をしたり、「リーダーの資質」がある人ほどスニーカーをたくさん買うわけでもない。おそらく、第三の要因が介在した擬似的な関連である。
  • だとしたら、第三の要因は何か。
  • 黒人社会なら階層性で説明できそうだけど、WASPはどうかなぁ...
と、けっこう楽しませてもらいました。

計量研究の紹介記事

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 22日付の共同通信配信記事にこういうのがありました。短いので全文引用させてもらいます。

緑茶たっぷり、胃がん撃退 緑茶たっぷり、胃がん撃退 喫煙者には効果なし

 緑茶の渋味成分であるポリフェノールの一種の血中濃度が高い女性は低い女性に比べ、胃がんになる危険性が約3分の1だとの疫学調査結果を、厚生労働省研究班(主任研究者・津金昌一郎国立がんセンター予防研究部長)が22日発表した。緑茶を習慣的に多く飲んでいると、血中濃度も上がるとみられる。

 男性も含めて喫煙との関係をみると、ポリフェノールの血中濃度が高い非喫煙者は胃がんの危険性が低いが、血中濃度が高い喫煙者は、危険性がやや上がる傾向も判明。

 研究班の井上真奈美国立がんセンター室長は「たばこと緑茶の組み合わせが悪いのではなく、緑茶をたくさん飲んでも、喫煙で効果が打ち消されてしまうためではないか」と分析している。

 せっかくの研究が、最後のコメントひとつで台無しになってしまっていますね。

 記事を読むとまるで厚生労働省がやった研究のようですが、厚労省のウェブサイトにはいっさい記載がありません。たぶん、この研究って厚労省の研究費補助金を受けた日本がんセンターの研究じゃないんでしょうかね。日本がんセンターのサイトには、それらしき研究系統を紹介するページがあります。「生活習慣改善によるがん予防法の開発と評価」

 「エビデンスの評価」をのぞいてみると、「緑茶と胃がん」の関連は「ない、もしくは弱い」という結果になっています(http://epi.ncc.go.jp/can_prev/summary/pdf/green_stomach.pdf)。まぁ、順当に考えると、緑茶を飲んでも胃がんのリスクはほとんど軽減されないということなんでしょう。

 ところが、そんな結果にメゲたりせず、手を変え、品を変えながらとことん追求するのが真の研究者というものです。記事によると、「緑茶の渋味成分であるポリフェノールの一種の血中濃度」と胃がんの危険性の間に何らかの関連が発見されたらしい。よくがんばりましたねー。

 ただ、緑茶と胃がんの直接的な関連がどうやらほとんどないという結果があるにもかかわらず、「緑茶を習慣的に多く飲んでいると、血中濃度も上がるとみられる」なんて誤読を導くのははなはだ不誠実です。この辺は、たぶん研究者がそれっぽく示唆したことを、記者さんがはっきりと書いちゃった、というところかもしれません。

 ともかく、うまい発見に気をよくしたんでしょうね。「ポリフェノールと喫煙との交互作用を調べてみよう」ということになった。

 すでに「胃がんと喫煙」の関連ははっきりと出ているので、緑茶のポリフェノールとの重層的な関係を調べたいというのは自然なことです。ひょっとしたら、喫煙のリスクを劇的に軽減したりする効果が見つかるかもしれない。

 ところがその結果!

 たしかに交互作用は見つかったものの、それは「ポリフェノールの血中濃度が高い喫煙者は、(胃がんの)危険性がやや上がる傾向」というものだった。

 しくみはまったく不明ながら、「タバコを吸わない人には胃がんのリスクを減らす可能性があるポリフェノールが、タバコを吸う人には胃がんのリスクを増やしてしまう可能性がある」というのです。

 これって大発見じゃないですか?

 疫学の範囲は超えてしまうけど、どうしてそんな不可解な現象が生じているのかを突き止めることができれば、さらに面白い研究になります。

 なのに!

研究班の井上真奈美国立がんセンター室長は「たばこと緑茶の組み合わせが悪いのではなく、緑茶をたくさん飲んでも、喫煙で効果が打ち消されてしまうためではないか」と分析している。
 そりゃないでしょう。そんな結論ありえないでしょう?

 この研究分野なら、使ったのは分散分析か三重クロス表でしょうか。「緑茶をたくさん飲んでも、喫煙で効果が打ち消されてしまう」というのは、分散分析風にいえば、「緑茶による負の主効果よりも喫煙による正の主効果のほうが大きい」ということです。交互作用とはまったく関係がありません。

 交互作用をいいあらわしているのは、まさに「たばこと緑茶の組み合わせが悪い」ということ。それ以外の解釈の可能性はないんじゃないかな。

 もし、井上真奈美さんが本当にこういうことを言ったり書いたりしたのだとすれば、それはすなわち、井上真奈美さんは自分が研究に使っている統計について、大学2年生レベルの基礎知識すらお持ちでないということになります。それとも、「緑茶は体にいいはずだ!」という仮説に目が曇って、自我包絡に陥ってしまっているか。あるいは、その両方かな。

 つまり、記事の最後のコメントは、ほとんど研究者としての資質を疑わせるような内容なのですね。

 もしぼくが井上真奈美さんで、そしてぼくがしゃべった内容を記者が誤解してあんな記事を書いてしまったとしたら、即、名誉毀損で訴えるところです。

 実際のところは、記者が悪いのか、井上真奈美さんが悪いのかはわかりませんが、専門家の論文を素人である記者が紹介するというのは、もともとムリがあるという気はしています。

子どものデータの信頼性

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 まったく、あきれたニュースです。

 「死んでも生き返る」と考えている中学生が2割もいる−−。兵庫県内の幼児から中学生まで約4200人を対象に死生観を聞いたアンケートでこんな結果が明らかになった。背景には、身近な人の死に触れる機会が減り、一方でゲームなどに仮想の死の情報があふれる現状があるとも考えられる、という。死が絶対的なものとの認識は小学生でいったん確立するが、中学時代にはそれがぶれる現象が起きているようだ。【井上大作】 →記事全文のウェブ魚拓

 記事によると、「生と死の教育研究会」が2003年に実施した4〜9歳の聞き取り調査と、翌2004年に6〜14歳を対象に実施したアンケート調査の分析結果を出版したそうな。問題なのは次のくだり。

「死んでも生き返ると思うか」と質問した04年のアンケートでは、小学5、6年生から「死んでも生き返る」という答えが目立ち始め、中学生では「生き返る」「たぶん生き返る」と答えた子どもが計2割に及んだ。現代の子どもにとって死の現実感が薄れるなか、「生まれ変わり」などの宗教的イメージも重なり、生と死の境界をあいまいに考える傾向があるようだ。

 「生と死の教育研究会」がそう分析したのか、井上記者がそう勘違いしたのかわかりませんが、これほど噴飯物の記事にはなかなかお目にかかれません。読後、しばらく大笑いさせていただきました。

 これは、順当に考えれば、小学校の高学年くらいから大人を茶化して遊ぶような態度が育ちはじめるため、「死んでも生き返ると思うか」というばかげた質問に対して、ふざけて回答をする子どもが多くなってしまう、ということでしょう。

 子どもを対象とした調査では、こういう形でサンプルが信頼できなくなってしまうことがよくあります。ふざけた回答をする子どもは、一問だけでなく他の設問でも茶化した回答をする傾向にありますので、回答全体を精査して、信頼できるかどうかを判断します。そして、明らかにふざけた回答を含むと考えられる場合は、有効回答から除外する必要があります。

 そういう操作を加えることによってデータの信頼性は低下しますが、もともとそういう回答のゆがみを生じさせてしまった時点で、端的にいって、調査に失敗しているわけですね。

 子どもを対象とする調査というのは、いろいろな面で難しいところがあります。

バイクに乗る理由

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 ニューヨークでのあるパーティでのこと。自動車学校で「キミは乗らないほうがいい」といわれて免許をあきらめた経歴がある大学院生が、こういいました。

 「しかたがないから、バイクにでも乗ろうかな、それだったら私でも乗れるだろうし。」

 「え、でもバイクはあぶないよ。」

と僕が答えるのを聞いて、周囲の人たちから質問されました。

 「どうして危ないとわかっていてバイクに乗るんですか?」

 これまでにも何度となく聞かれてきたのと同じ質問です。またか、と思うぐらい、よくある質問です。なのに、毎度毎度、ぼくは答えにつまってしまいます。

 いちばん正直に答えるとすれば「好きだからとしかいいようがない」ということになります。もっとハッキリいえば、「そんな質問をしてくる時点で、キミには説明したってわからないよ」といってあげたい。

 バイクを移動の手段としてみると、なるほど、生身なので危ないし、エアコンはないから快適でもないし、非合理的に思えるかもしれない。でも、バイクはたんなる手段ではなく、それ自体を楽しむ目的でもあるわけです。バイクのコンサマトリーな楽しみを知らない人には、「どうしてバイクに乗るのか」を説明するのは難しい。

 「どうしてあの人と付き合ってるの?」のような問いと同じで、分かる人にはわかるけど、分からない人にはいくら説明したってなかなか分からないわけです。

 でも、なにせ研究者のパーティーですから、そんな感覚的でそっけない回答に、みんなは納得できません。だから、かわりにバイクのどういう部分が好きなのかを無理やり言説にして、それっぽく説明をさせられることになります。

 「自然を感じられるところがいいんだ。谷に入るとすーっと空気が変わったりするの。そういうのは車じゃわからない。そのかわり夏冬は地獄だし、キャンプ場を出るとき雨降ってたりすると、なんでこんな旅してるんだろうってウツが入ることもあるけど、その後、パーっと晴れて気持ちよく飛ばせたりすると、それだけで生気がみなぎってくる気がする」

 「車体との一体感がよくてね。まるで馬に乗っているみたいに"あやつっている"という実感がある。といっても馬に乗ったことはないんだけどw」

 「日常の足に使っていても、バイクってすぐにでも旅にでかけられるようなイメージがあるでしょう。ぼくは旅人にあこがれがあるみたいでね。」

 「サーキットって気持ちいいんですよね。景色も路面もきれいだし。歩行者や飛び出しを気にしなくていいし、白バイもいないし。ただ前だけ見て好きなように走っていればいいというのは何ともいえない快感なんですよ」

 いずれも、僕がバイクを好きな理由の一部ではあるけれども、じゃあ、それ(ら)が理由でバイクに乗っているかというと、そうとはいえないのですね。つまり、上記の理由がなければバイクに乗らないかというと、やっぱり乗るような気がするわけです。さらに言い換えると、上記の理由では表現しつくせない"なにか"が他にもたくさん残っているわけです。

 「僕がバイクに乗る理由」というきわめて主観的なテーマを説明するために、本一冊分くらいのスペースをくれれば、より正確なことを伝えて納得してもらう方法はあると思います。でも、パーティでの「どうしてバイクに乗るの」という素朴な疑問に正確に答える方法は、ぼくにはありません。だから、結局、それっぽい理由を捏造して、話にオチをつけることになってしまうわけです。

 "自分にとっては説明するまでもない自明のことだけれども、いざ他人に説明しようとするとうまい言葉がみつからない"ようななにかを伝えようとすると、どうしても、相手がすでに理解できる枠組みをもっている代替的なストーリーを作話することになってしまいますね。

タミフル調査

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 先月末に、タミフル調査の寄付金が話題になりました。これは厚生労働省にいろいろと問題が大きいですね。

研究班の06年度調査は、(...中略...)インフルエンザ患者約1万人を対象に、年齢幅を0〜18歳まで広げ、異常言動とタミフル服用との前後関係などを確認する。(...中略...)しかし、厚労省から支給される研究費が400万円しかないため、(...中略...)製薬企業からの寄付で補うことなどを確認した。(...中略...)中外製薬が寄付した6000万円のうち、627万円を研究班の資金に流用。調査票の印刷・発送経費の不足分に充てた。(毎日新聞より)
 第一に、1万人の調査をやろうというのに400万円でやれるわけがない。この時点ですでに企画立案能力に問題がある。

 調査の内容や手法にもよりますが、ボクらが学術的な調査を企画する場合、1サンプルあたり2万円の予算を確保するところからスタートします。1万人どころか、千人の調査でも2千万円の予算規模です。

 サンプル数1万なら、調査の内容や手法を調整して思いっきり節約しても、最低限の必要経費だけで1千万円を下回ることはありえません。それを、400万円とは!

 第二に、製薬会社との癒着ぶりがひどすぎる。

 400万円で調査をやれるはずがないことは、説明すれば子どもでも分かる話です。上で「企画立案能力に問題がある」と書きましたが、厚労省の担当者に分からなかったはずがない。

 経緯は今のところ不透明ですが、もともと、製薬会社からの寄付金を流用することが織り込み済みだったのではないかと思われます。

 薬の副作用の調査に、もともと製薬会社からの寄付金を使うつもりだったとしたら、常識はずれもいいところ。分析者がどれだけまじめにやっても、結果がゆがんでいるのではないかとの疑いをどうしても呼んでしまう。

 医療も医療行政も、高度な「専門化支配」のために外部からの監視の目が行き届かない。本質的に薬害などが発生しやすい環境にあります。だからこそ、意識的にコンプライアンスを高める制度的な工夫が必要なはずなのに、そのような問題意識は一切なかったようです。

 第三に、研究者に手を汚させようという姿勢がいやらしい。

 報道によると、研究班が自前で寄付金から予算を確保できるよう奔走したらしい。つまり、厚労省は、問題のある資金流用について、自分の手を汚さず研究者たちを誘導したということでしょう。

 第四に、研究者に罪をかぶせて切り捨てる姿勢が汚い

 研究者には同業者や外部から監視を受ける仕組みがありますので、スポンサーにある程度配慮した記述にすることはあっても、データを捏造したり、ウソをついたりすることはできません。それは、研究者生命を確実に危険にさらすことになるハイリスクな行為であり、はした金でやれることではありません。

 今回メンバーからはずされた研究者たちは、私服を肥やして分析結果を捻じ曲げるような人物であったようには思われません。そもそも、寄付金の受け入れについても、きちんと手続きを整えた上で、本当に必要な経費を流用しているわけですから、それも問題だとはいえない。むしろ、乏しい予算をやりくりして、懸命に結果を出そうと努力したようにしか見えない。

 それを、マスコミからヒステリックな糾弾を受けたら、あたかも研究者側に問題があったかのごとくただメンバーからはずすというのは、当の研究者にとってはあまりにも不名誉なこと。いったい、誰が名誉を回復するというのでしょうか。

 第五に、意図していなかったように装う姿勢が汚い。

会見した厚労省医薬食品局の中澤一隆総務課長は「(中外製薬の寄付を流用した点について)問題があり、対応が十分でなかった。(流用を結果的に黙認したことは)十分な認識が足りなかった」と謝罪した。(同上)
 「バレたときに非難される」という認識が足りなかったということであって、「中立的で正確な調査を実現するために問題がある」という認識が足りなかったわけではないのでしょう。

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