交通・観光・スポーツの全ブログ記事

 今日はひさしぶりにオートバイの話です。

 先日、ふと気になって、オートバイの車種ごとに乗車姿勢がどのように違うかを解説したウェブサイトがどれくらいあるのか、少しだけ調べてみました。2時間ほど探して、ごく簡単な記述があるページを2つほど見つけることはできましたが、詳しく解説してあるページは一つもありませんでした。

 まぁ、バイクの乗り方なんて、読んだだけでは分かりませんからね。実際にまたがって、運転してみて、その合理性を納得できないかぎり、「こうやって乗るものだ」といわれたところで、実践してみようという気にはならないでしょう。

 とはいえ、自転車については、ロードバイクとオフロードバイクの乗車姿勢や乗り方の違いを丁寧に解説したウェブページが多数あります。他のスポーツだって、入門者向けにその種の情報を提供するサイトは少なくありません。それに対して、オートバイははるかにユーザーが多いにもかかわらず、なぜもっとも基本的な乗車姿勢についての解説ページがないのか、ちょっと興味深いところです。

 ともかく、乗車姿勢からいえば、オートバイは3つのカテゴリーに大別することができます。(1)オンロードバイク、(2)オフロードバイク、(3)クルーザー(アメリカン)やスクーター。教習所では教えてくれませんが、この3者はバイクの性質が大きく異なりますので、乗車姿勢や乗り方にもいろいろと違いがあります。

 たとえば、オンロードバイクとオフロードバイクの乗車姿勢を比較すると、だいたい下の表のようになるでしょうか。個々人の好みによるところも大きいので、これが唯一の正解ということではなく、基本姿勢の平均的な状態を描写したものだとお考えください。

 相違点解説
 オンオフ
グリップ手首はまっすぐにし、軽く卵を握るようにグリップをつかむ手首はまっすぐにし、薬指と小指はしっかり握る。薬指と小指はレバーを操作するときもグリップから離さないオフでは激しく車体が揺られるし、積極的にハンドルをつかって操作することが多いので、しっかりハンドルを握る。ただしすべての指に力を入れると腕まで動きが硬くなってしまうので、薬指と小指だけでぎゅっと握るようにする。
上体自然な姿勢のまま、上体だけ前傾するびしっと背筋を伸ばして垂直に上体を立てる運転中に上体を柔軟に動かしてバランスを取ることは共通しているが、オフでは前後左右上下に車体が振られるので、オンよりも上体の自由度を高めておく必要がある。
上腕以外は力を抜いて45度くらいワキを開く地面と水平になるくらいワキを90度開くどちらもワキはしめずヒジは外を向けるが、オフでは激しく左右にハンドルが振られたときヒジが体にぶつからないように、あらかじめ高く上げておく。
一度ステップに立ってから自然とシートに腰を下ろすタンクに股間がつきそうなくらい前乗りする前後左右に柔軟に腰を動かしてバランスを取ることは共通しているが、オフでは前輪の加重不足が挙動を不安定にする場面が多いので、できるだけ前加重にする。後加重にするとき体を大きく動かせるメリットもある。
ヒザ腿全体でタンクを軽くホールド(ニーグリップ)ヒザで自由にバランスを取れるようにタンクからは離しておくオフでは激しく車体が揺られるので、ニーグリップしていると体まで一緒に揺れてしまう。車体を股下で遊ばせることで激しい挙動を吸収する。オンでもハイサイドのときは同じ。
かかとステップから少し後ろに引いて車体をホールドステップから少し後ろに引いて車体をがっちりホールドロール方向の動きを制御するために、かかとでしっかり車体をホールドすることは共通している。ただし、ニーグリップしない分、オフのほうがよりしっかりとホールドする必要がある。
つま先外に開かずまっすぐ前を向けてペダルの上に置く角度は外に開いてもいいけど、ペダルの下に置くオンでヒザとつま先が外に開くスタイルは「族乗り」と呼ばれて蔑まれる。というより上手に曲がれない。また、ペダルの下につま先を置いていると、バンク角が大きくなったとき地面に挟まれて怪我をする。
オフでは、ブーツを履いていると足首が曲がらないので、つま先をペダルの上には置けない。ブレーキやシフトチェンジは、脚全体を動かして操作する。

 上の表は、オンロードバイクでオンロード(舗装道路)を走行するときと、オフロードバイクでオフロード(非舗装道路)を走行するときの乗車姿勢の違いを比較したものです。他にも、乗車姿勢だけでなく操縦方法にもいろいろな違いがありますので、機会があればまた後日書いてみたいと思います。

 上の表について面白いのは、オフロードバイクでオンロードを走行するときにはどうなるのか?ということです。答えは、多くのオフローダーはオンロードでも上記の姿勢で走っているのですね。

 確かに、オフロードバイクは、ハンドルの幅が広いし、ハンドルの位置も高めです。車体の重量バランスからいっても、前乗りすると操縦しやすい作りになっています。だから、オンロードでオフと同じ姿勢をとっても不思議ではありません。

 とはいえ、上記の姿勢はかならずしも"楽"なものではないのです。なにせ、両足のペダル操作は、足首だけではなく脚全体を上下しなければなりませんし、両ヒジを高く上げておくのも疲れます。しかも、(タイヤのグリップさえ信頼できるのであれば)やはりオンロードはオンロードに向いた走り方というものがあるわけでして、オフの姿勢のままというのは必ずしも合理的とはいえません。

 にもかかわらず、オンロードでもオフロードと同じ姿勢で走行するのは、これはもう「スタイル」としかいいようがありません。あるいは「文化」ですね。

 走行時の衣服も、ただ舗装道路を走るだけなのに、オフロード用のヘルメットにゴーグル、モトクロス用のジャージ、オフロード用のブーツという装備でガチガチに決めている人もめずらしくありません。特に、オフ用のブーツなんて、重いし蒸れるし歩きにくいし、日常使いではいいところないんですけどね。(小柄な女性が履いていると、なぜかちょっと萌えたりしますが、それはそれとして)

 クルーザー乗りがヘルズ・エンジェルズ由来の"ちょいワル"スタイルを消費するように、オフローダーは非舗装路に分け入っていく"アウトドア"スタイルを消費しているということでしょうか。

 オートバイは、単なる移動手段ではなく、文化を伝えるメディアでもあるのですね。

BMWのローカル文化

| コメント(0) | TB(0) このエントリーをはてなブックマークに追加

 ずっと前にバイクの種類によって異なる文化があるという記事(クルーザーとアメリカン)を書きましたが、BMWのバイクに乗る人たちには際立って特徴的な文化があります。それは、電装カスタマイズが好きだということ。

 たとえば、2年ほど前からバイクにもポータブルナビを付ける人が増えてきましたが、それまではナビを付けているバイクといえばほとんどがBMWでした。アマチュア無線のモービル機を付けているバイクもやはりBMWが多い。他にもレーダー探知機、自動空気圧計、ビデオカメラなど、BMW乗りのコックピット周りは、電子機器でゴテゴテしていることがめずらしくありません。

 また、冬には電熱ベストを着る人が多いのも特徴の一つです。一般にバイク乗りは、身体の自由度が制限されることを嫌がる傾向にあるため、バイクとケーブルで結ばれることはイヤがるものなのですね。だから、電熱ベストが暖かくて快適なことは分かっていても、ベストからバッテリーに電源コードでつながってしまうことに抵抗感があってなかなか手が出せないのです。

 でもBMW乗りは躊躇しません。快適になるなら、バイクとコードで結ばれることくらい平気です。電熱ベストのコードを腰につけ、アマチュア無線のコードをヘルメットにつけ、さらにエアバッグ・ジャケットのコードを胸につける。アンプがない場合は、さらにメディアプレーヤーからイヤホンのコードを耳まで延ばしていることもあります。

 どうしてこういう文化が発達したのか説明するのはさほど難しくはありませんが、その話はまた今度にしましょう。

 ぼくとしては、そういう文化とは一線を画しているつもりだったのです。でも、今から思えば、BMWを買って一番最初にやったカスタマイズはハンドル周りにシガーソケットを取り付けることだったし、初代Mio168が出るやいなやバイクに付けたし、どうやら初めから完全に文化圏に取り込まれていたようです。

 最近になってようやくそのことに気づきまして、なんだか吹っ切れたような気分になりましてね。もう遠慮することはないとばかりに、ナビとアマチュア無線機を取り付けることにしました。ただし、どちらもBluetooth付きの機種です。やっぱりコードが増えるのは面倒だし、なんとなく抵抗感があるし。

 今は忙しいので手をつけていませんが、5月半ばには立派な「ビーエム乗り」に成り下がっていることでしょう。

 ところで、Bluetoothといえば、ぼくはタンデムのときに会話をしたり、乗車中にも携帯電話に出られるように、Bluetoothのヘッドセットをヘルメットに取り付けています。イタリアのセルラーラインという会社から出ているインターフォンという商品です。

 これまでずいぶん活躍してくれましたが、ナビ、無線機、携帯という3系統と連結するには力不足なのですね。モノラルだし。

 で、買い換えました。デイトナから発売されているクールロボ。ところがこいつ、今つかっている携帯との相性がよくないのです。出始めのネットワーク機器は、なかなかうまくつながってくれませんね。

 携帯のほうを買い換えるということも考えましたが、夏に出ると予定されているauのスマートフォンを待っているところだし、まぁしばらくはだましだまし使っていくしかありませんかね。

猫は勘定に入れません

| コメント(0) | TB(0) このエントリーをはてなブックマークに追加

 あいかわらず旅行ネタですが、今回はペットの話。

 旅行となると、ペットの扱いに困ることが多いものです。ウチには6歳の双子だけでなく、猫が7匹もいます。キャットシッターに鍵を預けるのはあまり好きではないし、ペットホテルではいっさい飲み食いしなくなる猫がいることも分かっているので、3日以上家を空けるような旅行には連れて行かざるをえません。かなりの難事業です。
1920年代のサイドカーに乗るトミーと愛犬クワトロ。アラスカにて。 子どもたちはドライブ好きなので問題ないのですが、猫はそうも行きません。

 じっと黙って移動に耐えていられるのはせいぜい1時間。すると、神経質な猫から「アウォー」とか「ニ゛ャー!」とか悲痛な泣き声を上げはじめます。

 そして、一匹が泣き始めるとすぐに7匹全員に波及し、車内はとんでもない騒ぎになります。

 いったん騒ぎになると、なだめてもすかしてもダメ。ケージから出しても、うろうろ歩き回って落ち着かないだけ。

 というより、ハンドルの上にのぼろうとしたり、コンソールの上で視界を邪魔したり、ブレーキペダルの下にもぐろうとしたり、危なくってしょうがない。

 まぁそれでも、車で移動しているかぎりはなんとかなるものです。 

 問題は、宿。ペット連れでは泊めてくれる宿がないのです。

 犬といっしょに泊まれる宿というのはないわけではありませんし、その多くは猫同伴もOKです。でも、7匹の猫なんてのは、たいていのホテルや旅館にとって想定外なんですよね。なんとか頭数が多くても大丈夫という宿を見つけたとしましょう。でも、たとえ犬より汚すリスクが少なくても、猫割引なんかしてくれません。7匹もいると、旅費がかさんでしょうがない。

 それでも、公然と猫を連れ込めるのならまだいいのです。地域全体がペット禁止で、泊まれる宿が一軒もないということもめずらしくはありません。そんなとき、「二度とこんな街に来るもんか!」という不快な気分で去ることになります。

 けっきょく、家族総出で快適に旅行したければ、行き先がどうしても限られてしまうのです。

 そういえば、ロサンゼルスで2年間暮らしたとき、アニマルシェルター(野良を保護して飼い主を探す施設)から猫を2匹引きとって育てていましてね。ある日、ふと思い立って、猫たちを連れて妻と旅行に出ました。国立公園めぐりです。

 グランド・キャニオン、ブライスキャニオン、ザイオン・ナショナルパーク、いずれもよかった。景色もよければ、人もいい。宿もいい。どのホテルも当然のようにペットOKです。わざわざ調べる必要もない。ペット連れでも飛び込みで大丈夫。すばらしい!

 ...と、いい気分になっての帰り道。久しぶりにラスベガスに寄っていこうかという話になりましてね。いや、苦労しました。2時間ほど電話を掛けまくりましたが、ペット同伴OKの宿が一軒も見つからないのです。一軒も!

 けっきょく、監視の薄そうなモーテルに部屋を取って無断で連れ込みましたが、以後はラスベガスに足を踏み入れたことがありません。今でも、「あそこは人をもてなす街じゃない。お金を相手にする街だ」という否定的なイメージがこびりついています。

 あと、宿以外の問題としては、飛行機やフェリーですね。フェリーはこっそり客室に連れ込むとしても、飛行機はそういうわけには行きません。

 とくに、国際線の場合、ペットは一匹ずつ大きなケージに入れて、寒々しい貨物室に入れなければなりません。

 足元において世話をできないか、とか、せめて2匹一緒に入れて寂しくないようにできないか、とか、いろいろと航空会社と交渉してみましたが、全部アウト。なんとか手続きを済ませて貨物室に入れましたが、関空で引き取ったときの猫たちの悲壮な表情といったら!

 飛行機に乗せる前の、航空会社(N◎rthWest)の窓口対応も不愉快でした。

 旅費や検疫などの手続きはかなりの時間をかけて、あらかじめ電話などで航空会社と話し合いましたので、あとは手続きを済ませるだけ、という状態でチェックインカウンターに臨んだのです。

 ところが、窓口のおばさんが、シッタカブリしていろんな手続きや書類を要求するのです。まぁアメリカではよくあることなのですがね。ただ、おばちゃんの不遜なこと!

 ぼくが「会社にもちゃんと確認してある。文書でもルールを確認してある」と話したところ、ぶっきらぼうに「Show it.」(見せろ)と来たもんだ。客に命令すんなよ。いま思い出しても腹が立つ。

 文書を受け取ったおばちゃんが電話で会社に確認したところ、やっぱりぼくが正しいとわかったのですが、それでも謝りもしない。これもまぁ、アメリカではよくあることなのですがね。

 ペット連れで旅をすると、人のいやな所が見えてくるもんですね。写真のような旅をしてみたいもんだ。


 モバイル用途に適した情報機器はいろいろとあります。でも、一般にはフルサイズのノートPC、超薄型ノートPC、UMPC、スマートフォン、PDA、といったところでしょう。

 他にもありますが、今回は、PCとの連携機能がない電子辞書、機器自体でファイルの管理ができない携帯電話、情報機器としての機能に乏しいデジタル・メディア・プレイヤー(iPodなど)は除外しました。ただし、iPod TouchはPDAの一種ですね。

 これらについて、いくつかの評価基準でテキトーに5点満点の値を与えたのが下の表です。「x4完全環境」というのは、その機器だけで普段どおりの仕事ができるかどうかという基準です。メーカーや製品によって違いはありますが、いま売られている製品の平均的な位置づけを汲み取ることはできているんじゃないでしょうか。

 x1軽さx2小ささx3頑丈さx4完全環境
フルサイズノート1125
モバイルノート3314.5
UMPC3434
スマートフォン553.52
PDA4.5551.5
注1)スマートフォンとは携帯電話にPDAの機能をもたせた機器のことです。PDAより「x1軽さ」が0.5ポイント分だけ有利にしてあるのは、スマートフォンであれば別に携帯電話を持ち歩く必要がなくなるためです。

注2)モバイル機器を評価するとき、「バッテリーの持ち時間」という基準が重要視されるものなのですが、正直なところどれも大差ありません。ぼくが思うに、「フルに使っても8時間以上持つ」のが最低条件なのですが、もっとも優秀なスマートフォンやPDAでもせいぜい6時間しか持ちません。けっきょく、予備バッテリーや充電器を持ち運ばなければならないのなら、バッテリーの持ち時間を議論する意味がない。ということで、基準から外しました。

 で、この表の値に対して、用途別にいくつかウェイトを付ける計算式を組んでみたのが下の表です。数値の大きさにはほとんど意味がありません。タテの列(用途)ごとに順位に注目してください。首位の機器には赤い色を付けてあります。

 オフィスをそのまま持ち出したいモバイル用途でかまわない
 移動少移動多・衝撃少移動多・衝撃多移動多・衝撃少移動多・衝撃多
 (x1+x2+x3)+x4^22(x1+x2)+x3+x4^22(x1+x2+x3)+x4^23(x1+x2)+x3+2(x4)3(x1+x2+x3)+2(x4)
フルサイズノート2931331822
モバイルノート2733342830
UMPC2633363238
スマートフォン1828313845
PDA1726313747

 人によってウェイトのつけ方(計算式)はちがうでしょうけど、結果としてはだいたいこんな感じじゃないでしょうか。

 次回はこの表の中身をもう少し詳しく。

 出張や旅行にどういう情報機器を携帯するべきか――年を経るごとに選択肢が増えてきているとはいえ、今でもやっぱり悩ましい問題です。

 今日はまず思い出話から。

 まだモバイルという言葉も概念もなかったころ、ACアダプターや予備バッテリーなどの備品込みで7kgもある「ラップトップ」パソコンを持ち運んだりしました。いや、重かった。ほんとうに、重かった。めちゃくちゃ重たかった。

 「ラップトップ」(laptop)とは、ひざ(lap)の上でも使えるほど軽い、ディスプレイ一体型のポータブルPCをさす言葉。1980年代後半に一時期流行した言葉です。でも、本体が5kgもあって、ひざの上で使えるものか! ということで、今では、80年代後半に発売された重たいマシンを揶揄するときにしか使用されません。欧米のPC広告では今でもLaptopという言葉を見かけますが、まぁヤツらはガタイがいいからなぁ。

 初めての海外旅行には、備品込みで4kg以上もある東芝の「ノートブック」パソコンを持っていきました。本体重量が3kgというのは、当時のフルサイズノートとしては最軽量の部類です。でも、やっぱり重かった。いくらスーツケースを転がしているとはいえ、みょーに重たかった。一歩ごとに生気を吸い取られている気分になるほど、重かった。

 ところで、当時すでにヒューリットパッカードから95LXというハンドヘルドPCが発売されてはいたのです。でも、そのころの僕にとって、モバイルPCとは「研究環境をそのまま持ち出せるPC」のことでしたので、必要なソフトウェア(SPSSなど)を稼動させることができないものは興味の対象外でした。

 「研究環境をそのまま持ち出せるPC」という意味で、初めて実用にたるモバイルだったといえるのは、リブレット20という東芝のサブノートPCでした。発表されるや否や予約注文を入れましたね。そのころ博士後期課程の院生でしたが、全国規模の調査を実施していたので出張も多かったし、毎日どこにいくにもカバンに入れて持ち運んでいました。ボロボロになって修理不能になるまで使い倒しました。持ち運びの苦労から解き放ってくれたこのマシンを愛していたといってもいいでしょう。唯一、画面の小ささだけが不満でした。

 その後2年間留学し、日本に戻ってすぐに購入したのは、SONYのA4サイズ超薄型ノートPC。ドッキングポートを自宅と研究室に用意し、毎日通勤に持ち運びました。軽くて、フルサイズのキーボードがついていて、十分な大きさの画面がついている。たぶん、丈夫さを要求しないのであれば、A4サイズ超薄型ノートPCが「旅に持っていく情報機器」の一つの完成形でしょう。

 でも、2005年度に北米大陸一周の旅に連れて行く情報機器を選ぶとき、A4サイズ超薄型ノートPCは考えませんでした。デジカメとメディアを交換する必要もあったのでSONY製品はもともと対象外でしたが、それだけでなく、バイクによる3ヶ月に及ぶ長旅ですので、「丈夫なこと」が重要だったためです。

 選んだのは、パナソニックのLet's Note Y型(業務用で3年保障付)。筐体は大きいけど軽いモデルです。きっと、衝撃には強いに違いないと考えてのことでした。当時はまだ耐衝撃性を強化したT型が発売されていませんでしたが、Y型も筐体に余裕があるせいか十分に振動に耐えてくれました。

 そしてもうひとつ。GPS機能を内蔵したPDA、マイタックのMio168をもっていきました。辞書ソフトと、アメリカ全土の地図+ナビゲーションソフトをインストールして、ポケットに常時携帯するためです。

 PDAは基本的にネットワーク機能を持たないスタンドアローン機器として発達してきましたので、2005年度までにはもう使命を終えた製品というのが一般的な評価となっていました。現代の情報機器にネットワーク機能は不可欠ですからね。しかし、GPS機能をもつMio168によって、ふたたびPND(パーソナルナビゲーション装置)として注目を浴びるようになりました。

 これは便利でしたねぇ。ぼくにとって初めてのPDAでしたが、こんなに役に立つものだとは思っていませんでした。瞬時に起動するし、必要な用途の7割がたはノートPCを使わずにPDAですんでしまうし。辞書やナビだけでなく、無線LAN用のSDIOカードをいれて、時々メールチェックにも使いました。

 PDAを実際に使ってみたことで、はじめて、モバイルが理解できた気がします。つまり、「研究環境をそのまま持ち出せるPC」である必要はないということですね。

 仕事はデスクトップやノートPCでやればいい。ポケットに入れて常時携帯するためには、通信、PIM(スケジュール管理)、辞書、ナビ、音楽再生、読書、ゲームなどに機能を絞った機器でかまわない――そう割り切ってしまえば、重たさの呪縛からさらに自由になれるわけです。

 こう割り切ってから、あらためて情報機器を見渡してみると、旅の供に使えそうな情報機器は意外とあるものですね。次回以降、気が向いたら整理してみたいと思います。

旅道具の必要条件 #2

| コメント(0) | TB(0) このエントリーをはてなブックマークに追加

 旅道具の3条件――軽いこと、かさばらないこと、丈夫なこと――ですが、相互に無関係ではありません。

  1. 軽い製品はかさばらず、かさばらない製品は軽いことが多い。しかし、軽い製品も、かさばらない製品も、丈夫ではないことが多い。
  2. 軽くて丈夫な製品は、かさばることが多い。
  3. かさばらずに丈夫な製品は、重いことが多い。
という関係があるわけです。3条件すべてを同時に満たすのは、けっこうタイヘンなことなのですね。

 公共の交通機関を使う国内出張の多いサラリーマンのように、道具が丈夫なことがそれほど重要ではない旅のスタイルもありますね。丈夫である必要さえなければ、道具の選択肢の幅はぐっと広がります。軽くてかさばらないだけの製品でいいなら、日常の中にいくらでもあるからです。

 それに対して、バイクの旅行で大切なのは、第一に振動に負けないように丈夫なこと、第二に狭い荷室に詰め込めるようにかさばらないこと、です。出張旅行者や登山家とはちがって、荷物を手に持ったり肩に担いだりするわけではないので、軽さはほとんど必要ありません。

 だから、上記の2〜3はほとんど問題になりません。2のような製品は選ばなければいいし、3はそれでかまわないからです。

 ところが、上記の1が問題でしてね。一般に、かさばらないように作られる製品は、同時に軽いことを目指して開発される傾向があります。つまり、3のような製品はとても少ないのです。

 その結果、かさばらないこと、丈夫なことの2条件を満たそうとすれば、けっきょく3条件すべてを満たす製品を選ばざるをえない。そして、3条件すべてを満たす製品はなかなか見当たらず、あっても高額だったりする。

 「旅(ツーリング)といえばバイク」というぐらい、バイクの日常離脱イメージは強いです。が、実際のところ、バイクの旅は、意外と、難しいところがあるのですね。まぁチャリダーほどシビアじゃないけど。

旅道具の必要条件 #1

| コメント(0) | TB(0) このエントリーをはてなブックマークに追加

 旅行用品店やアウトドア店に行けば、旅の道具がたくさん売られています。どれを選ぶか迷うこともあるでしょうが、旅の道具に不可欠な要素はたぶん3つに絞ることができるのではないかと思います。

 すなわち、(a)軽いこと、(b)かさばらないこと、(c)丈夫なこと。

 だいたいこの3つは、ファッション性とは矛盾します。とくに条件(b)を若者のファッションと両立させるのはたいへんです。若い人には酷な話ですが、旅の道具に流行追随性を求めるのはきわめて難しいことなのですね。

 カナダはユーコン川のほとりにホワイトホースという街があります。そこのゲストハウスで、日本人学生(19歳男性)からこういわれたことがあります。

「bruinさんもそうだけど、みんなどうやって荷物をそんなにコンパクトにできるんですか?」
 今風のファッションに身を包み、ほとんどは衣類からなるかさばる大きなトランクを重たそうに引きながらゲストハウスに到着した男の子です。ゲストハウスを利用するバックパッカーたちの"身軽さ"に強くあこがれてそう聞いたようすでした。

 日常の衣類はかさばります。とくに冬物はそうですね。だから、長旅になるのであれば、流行のファッションをそのまま持ち込むのは至難の技です。とにかく迅速かつ小さくパッキングできるように、旅のための衣類を準備する必要があります。ぼくの回答は以下の通り。

「ふだんから、いざ旅に出るときのことを考えて、軽く、かさばらず、丈夫な衣類を買い揃えておくことだよ。」

 ところが、いざ旅用の道具を買おうとしても、なかなか迷ってしまうものです。なぜなら、旅道具の3条件は、値段や快適性とトレードオフの関係になっているからです。

 値段が安ければ3つの条件のどれかが犠牲になり、3つすべてを満たそうとすれば高額になる。また、3条件すべてがそろっている製品はいまいち快適性がそこなわれていることが多く、3条件+快適性を満たそうとすれば、さらに高額になってしまう。

 たとえばこのタオル。3条件+快適性をすべて満たしていますが、サイズによって2500円〜4500円もします。普通のタオルの4分の1の大きさに畳めますが、値段は4倍するわけです。日本で売ってるかどうかわからないけど。

 したがって、旅の道具を選ぶときは、(1)予算の範囲内で最大限に3条件を満たししていること、(2)その上で、できるかぎり快適な製品であること、という基準を用いることになります。

 ...と、わかっちゃいたんですがねぇ。

 新学期が始まる前に、6歳になった息子と軽くサバイバル旅行に行ってみようと考えて、息子用の寝袋をネットで注文しました。コレなんですが、パッキングしたときのサイズは、ぼくが愛用しているロングサイズ寝袋の1.5倍ほどもありました。大失敗。

 まぁ、ぼくの寝袋の4分の1の値段ですから、しょうがないのかな。でも、たかが子ども用なのに...

追記)
 上で紹介したSea to Summitのタオルはとても使いやすくて気に入っています。でも、ダイソーで売ってるマイクロファイバータオルとほぼ一緒なんですよね。たぶん、「マイクロファイバー バスタオル」で検索すると、30ドルも払わなくても、もっと安価な商品がたくさんあるんじゃないかな。

 3条件+快適性を満たす商品を、廉価で入手できたときの満足感は、表現しがたいほどすばらしいものですよw

「特に問題はない」

| コメント(2) | TB(0) このエントリーをはてなブックマークに追加

 ぼくは社会学のいくつかの分野については教える立場ですが、それ以外にはたいしてできることがありませんので、基本的に教わる立場です。

 例えば、自転車トライアルのサークルで週に一度、先輩方に教えてもらっていますし、年に数回ほどオートバイのスクールに参加したりします。スクールは無料のものもあれば、宿泊費込みで3万円を超えるようなものもあります。

 で、自転車のほうはまだ初心者なので、いつも参考になる指摘が確実にたくさんあって、毎回「来てよかった」と感謝するのですが、問題はオートバイのほうです。

 オートバイは免許を取ってもう20年以上になりますし、速くはないものの技量の幅を広げるためにサーキットで走ったりすることもあります。つまり、そこそこの知識とスキルをすでに身につけてしまっているわけです。けっして上手なほうではありませんが、明らかに問題があるわけでもない。言い換えると、平均的なテクニックを持つ平均的なライダーなのです。

 そうすると、スクールに行っても、「いいですねー」とか「特に問題はないですね」ぐらいのコメントしかもらえないことが多くなってきます。無料の講習会だとコースを走らせてもらうだけでも満足できるのですが、有料のスクールで改善点の指摘をもらえないと、講習料を無駄にしてしまったような、なんともサビシイ気持ちになることがあります。

 立場をかえて考えてみると、ぼくも授業では、特にやる気があるとか、特にやる気がないとか、何らかの特別に目立つ要素がないかぎり、学生の改善点を個別に指摘するようなことはなかなかできません。レポートを返却するときも、7割がたの学生には採点結果以外はコメントをつけません。

 目をかけることによって明らかに伸びそうな学生や、放置すれば確実に単位を落としそうな学生に個別の対応を行うのは、いわば当然のこと。それ以外の"フツー"の学生たちにどこまで個別に気を配ることができるか、それが現代の大学では重要な課題なのだろうと思います。いろいろと忙しい中、どこまで個別対応に時間を割くことができるか、たいへんチャレンジングな問題です。

 一方、"フツー"の学生たちにも、もう少し工夫してもらいたい面があります。

 オートバイのスクールの話ですが、ぼくも細かく見ていけば改善点がないわけではないはずなんですね。事実、「ここがこういうふうに上手くいかないのだけど、どうすればよいか」と質問をすれば、その場で一般的な回答をしてくれたうえで、さらにライディングの状態を見て個別にアドバイスをもらえることがあります。

 大学の授業でも同じことです。一方的に教わるだけでなく、オフィスアワーなどを活用して自分から質問に行けばいいのです。あるいは、ぼくの場合、講義課目では毎回コミュニケーション・カードに質問などを書いてもらっていますので、そういう機会を有効に利用することです。

 教えた内容をきちんと消化して、しかも自分の知識や経験の中で適切に肉体化できる学生なんて、どこの大学でもさほど多くはありません。社会人学生はそういうのが得意ですけどね。一般的には、教えた内容を教えたとおりに理解できれば優秀なほうで、むしろたいていの学生は教えた内容の半分がやっと理解できる程度でしょう。であれば、毎回の授業でひとつも質問がないということはないはずです。

 せっかくオフィスアワーを設けているのに、利用する学生は限られています。コミュニケーション・カードで適切に質問できる学生も年々減ってきています。ぜひ学生たちには、与えられた教育機会をむだにせず活用してほしいものです。

死のリアリティ

| コメント(2) | TB(1) このエントリーをはてなブックマークに追加

 昨日はああ書きましたが、20代前半までの若者にとって「死」は観念的なものにすぎず、いまいちリアリティに欠けるという面は否めません。

 少なくとも、ぼくはそうでした。

 原付で粗暴な運転をしていた10代。たとえ前の車のバンパーに30cmと迫っても、アクセルを戻すのは嫌でした。パワーのない原付では、アクセルを緩めてしまうとスピードを取り戻すのに時間がかかるからです。

 「前の車が急ブレーキを踏んだらどうしよう」などということは考えない。いや、正確にいうと、そういう危険性を観念的に考えはするのですが、そのことによる危険性を具体的には想像できなかったのです。むしろ、自分の反射神経ならいくらでも避けられるぐらいの感覚でいました。人間には避けられない危険があるということを知るには、まだまだ経験が不足していたわけです。――原付では3回も巻き込み事故にあいました。

 クロムウェルのヘルメットとゴーグルを個人輸入した20歳。かっこわるいヘルメットをかぶるぐらいなら、死んだほうがマシだと考えていました。「死ぬ」というのが具体的にどういうことなのか、よくわかっていなかったにもかかわらず。

 当時はレーサーレプリカ全盛時代でしたので、半キャップのヘルメットもゴーグルも、バイク屋には売っていませんでした。今でこそありふれたものですが、ぼくはイギリスからわざわざ取り寄せたのです。でも、コルクを緩衝材としたヘルメットがいかに時代遅れで、いかに安全性能に劣っているかなんて考えもしませんでした。半キャップだと衝突時に顔面を守ることができないなんて考えませんでした。折れたあごの骨が脳に突き刺さったりするなんて知らなかった。ぼくが考えていたのは、「ブリティッシュ系のバイクには当然このヘルメット」ぐらいのもので、とにかく見かけが優先だったのです。――トラックの陰から飛び出してきたシルビアとの衝突事故で、内臓破裂の被害を受けるまでは。

 女の子を隣に乗せたくて、バイクを売って四輪を買った21歳。対向車のことなんか考えずに峠を飛ばしまくりました。こちらがセンターラインを割らなければ衝突するはずがない、ぶつかっても相手が悪いんだと思っていました。

 当時、事故について無知だったわけではありません。それどころか、『別冊ジュリスト』や『判例ジャーナル』に目を通し、事故発生時の過失割合については保険屋さん並の知識を持っていました。でも、それもやはり「事故」や「過失」を観念的にとらえるだけで、事故の状況をリアルに理解するにはいたらなかった。たとえ過失が少なくても、死んだら終わりだというのに、それがわかっていなかったのです。――生きててよかった。いや、ほんと。

 パラグライダーで飛びまくった23歳。ベテランが飛ぶのを見合わせる荒れたコンディションでも、おれならグライダーをコントロールできる、そして誰よりも高く飛べるんだと思い上がっていました。まぁ当時の競技水準の中ではそこそこ上手なほうでしたので、まったくのカンチガイというわけでもありませんでした。ワールドカップの予選にも出たりしたし。

 でも、その一方で、ぼくが他の誰よりもたくさんコースアウトをし、他の誰よりもケガをしているという事実を、うまく認識できませんでした。自然を相手にするスポーツで、自分の力量を公平に見定めることのできない者は、生き延びることが難しいのです。その単純な事実を、若さゆえの過剰な自意識に阻まれて、うまく理解できなかった。いや、頭では理解はしていたつもりです。でも、腑に落ちるということはなかったのですね。――斜面に激突して背骨を折るまでは。

 うーん、自分で書いていて恥ずかしい。認めたくないものですね、若さゆえの過ちというものは。シャア専用ぐらいのつもりでいたからなぁ。

 でも、道路を見渡すと、他にも同じような愚か者がたくさんいます。

 半キャップのヘルメットのあご紐を締めない、紐は締めても首からぶら下げている、そんなバイクをたくさん見ます。自動二輪(原付を含む)の死亡事故原因第一位は頭部損傷ですが、その30%はヘルメット脱落によるものです。やはり、「かっこわるいヘルメットをかぶるぐらいなら死んだほうがマシ」ということなんでしょう。

 あんまり無茶な運転をするライダーにはときどき声をかけることもあるのですが、なにせ自分が若いころには同じようなことをしていただけに、怒るに怒れないんですよね。

 警察も、物陰に隠れて違反行為を事後的に取り締まるより、死亡事故が起こる前に若者のヘルメットをきちんと指導してあげるべきだと思うのですが。

死のリスク

| コメント(0) | TB(0) このエントリーをはてなブックマークに追加

 いまの日本で、健康に日常生活を営んでいる人々のうち、日々「死のリスク」を意識している人はどれくらいいるだろう。"今日死ぬかもしれない"という心構えを持ち、対策を考え、準備を整えている人はどれくらいいるだろう。

 スタントマン、鉱山作業員、消防士など危険性の高い職業に従事している人。乳幼児を育てている保護者、......他には?

 一定の年齢に達したバイク乗りが集まると、"よくいままで生き延びてきた"という話題が出る。長いバイク人生の中で、死に直結しかねない危険な状況に何度も遭遇したり、また、実際に身近な人が事故で亡くなったりという経験を重ねているため、今日まで交通戦争を生き残った事実を「幸運」として実感する機会が多いためであろう。

「どうして今まで生き延びることができたんだろう」
「偶然だろうね」
「えー、そんなもんかな」
「経験、技術、性格とか他にも理由はあるだろうけど、やっぱり幸運だったということに尽きるんじゃない?」
「そうだね、この歳になって安全運転に徹していてもやっぱり避けられない危険ってたくさんあるし」

 経験をつんだライダーにとって、「死」は身近なリスクである。"5分はやく到着するより、死のリスクを5%減らす"――これが成熟したライダーの日常だ。リスクを軽減するとは、例えば以下のような対策を採ることをいう。

パッシブ・セーフティ(万一の事故の際にも身の安全を確保する受動的な対策)
ヘルメット死亡事故原因の第一位は頭部損傷
胸部パッド死亡事故原因の第二位は胸部損傷
脊椎パッド事故による脊髄損傷の確率は低いが、損傷時のリスクが大きい
皮手袋事故の際、最初に接地するのは手の平。引き裂き強度にすぐれた手袋を装着していなければ、指は簡単に切断される
肩肘パッド事故の際、肩や肘が接地する確率が非常に高い
革パンツ転倒後に路面を滑走すると、革製品以外は引き裂かれたり熱で溶解して皮膚に甚大な被害を及ぼす
ブーツ転倒時にくるぶしの骨折を防ぐ。くるぶしの複雑・粉砕骨折は治癒しにくい。一昔前なら足を切断。

アクティブ・セーフティ(事故を未然に防ぐ能動的な安全対策)
交通が流れているときは"すりぬけ"をしない"すりぬけ"は混合交通のリスクが集約される危険行為。"すりぬけ"をしないだけでリスクは大幅に軽減できる。
赤信号で車列が停まっているときは"すりぬけ"して最前列に出る。青信号スタート時はやはり混合交通のリスクが集約される場面。四輪との併走を避けるために、可能であれば最前列まで出たほうがよい。ただし歩行者の飛び出しに注意
車線の中央を走行する「二輪はキープ・レフト(車線の左端を走行せよ)」という誤った知識が流布しているが、車線の端を走行していれば、後続車の無理な追い越しを誘発する上、パンクの危険性も高くなる。そもそも、「キープ・レフト」とは、二輪、四輪を問わず、「中央車線のない道路でも左側を走行せよ」という意味である。
車間距離は四輪の1.3倍四輪に比べて二輪は制動距離がやや長くなる。
四輪の死角に入らない日本では首を回しての安全確認(目視)があまり熱心には指導されていないため、斜め前を走行する四輪からはこちらが"見えていない"ことを前提にしなければならない
四輪と併走しない同上
ライトや明るい服装で被視認性を高める四輪からは二輪は"見えない"ものである。存在をアピールする必要がある。昼ならハイビームにするのもよい
隣の車線の前走車が少しでも自車線に近寄ってきたら減速日本のドライバーは完全に車線変更動作に入ってしまうまでウィンカーを出さない傾向がある。巻き込み被害を避けるためには予測によって自衛するしかない。
横道や道路外施設から鼻先を出してる車は出てくると考えるいわゆる「〜かもしれない」運転に徹して、他の車両を信用しない。
止まってる車はドアを開けると考える同上
タクシーの後ろは可能なかぎり走らないタクシーにとっても二輪は商売のジャマだろうが、二輪にとってタクシーは生命を脅かす存在。お互い近寄らないのが吉
赤信号では後続車が停止するまでギアはニュートラルに入れない追突防止のため
できるだけ車列の先頭を走行しない道路外施設やわき道からの飛び出しを避けるため。
峠では車線の中央をキープサンデードライバーは平気でセンターラインをオーバーしてくる。センターラインギリギリまで寄せて走るのはきわめて危険。

 以上は、リスク軽減策のほんの一部である。これだけの対策を日常的にとっていてもなお、慣れたライダーであれば「死のリスク」をゼロにはできないことを知っている。日本の道路事情は、それほど過酷なのである。

橋にかけるロマン

| コメント(0) | TB(0) このエントリーをはてなブックマークに追加

 橋やダムには「ロマン」があります。大自然を相手に知恵と体力と勇気を試される非常に危険な大仕事ですので、たいていの橋やダムにはヒーロー譚があったりするものです。これがいわゆる「男のロマン」。建築後はその機能美や夜景の美しさから若い恋人たちをひきつけるものです。これは...なんのロマンだろう。

 ともかく、マンハッタン島には東西に大きな橋がいくつかかかっていて、やはり、そのすべてにちょっとした逸話があります。天才ローブリング親子が名声と人生をかけたブルックリン橋。フラッター現象で崩落するという大惨事で世界に聞こえたタコマ橋、等々。

gwb.jpg

 ニュージャージー州のフォート・リーとマンハッタンを結んでいるジョージ・ワシントン・ブリッジ(George Washington Bridge: 略してGWB)もそのひとつ。ル・コルビジェをして「世界で最も美しい橋」といわせた建築です。

 7本ものハイウェイが集中するロケーションですので、むかしから激しい交通渋滞の名所で、1962年にはもう一本の橋板を通して上下二層構造に改築するという離れ業をこなしたこともあります。上下あわせて14車線の橋は世界唯一らしい。それでも渋滞はひどいですけどね。

 この橋のなにが美しいと評価されたのかというと、スチールがむき出しの色合いや、トラス構造の骨組みをむき出しにした鉄橋です。写真を撮ったときは補修中だったのでカバーがかぶせてありますが、本来はそういう構造なのですね。(テロ対策で、いちおう撮影禁止らしい)

 ル・コルビジェいわく「無秩序な都市にあって唯一の気品の源である」とのこと。たしかに、現代建築の巨匠が好みそうな、機能主義的な様式美はあるといえるかもしれません。個人的には、美しいというよりむしろ無機的な威容が冷たいニューヨークにぴったりだと思いましたが。

 でも、G.W.ブリッジに独特な景観を与えているトラスの鉄橋ですが、本来の設計では単なる骨組みであって、表面には大理石かなにかを張ることになっていたそうです。予算不足で裸のままの設計に変更されただけだったのですね。それがむしろ現代建築らしい無骨な機能美につながったというのですから、面白いものです。

 ちなみに、G.W.ブリッジの東側は「ワシントン・ハイツ」という地域です。この一帯には、「ワシントン」や「フォート」(砦)と名のつく地名がいくつかあります。それは、アメリカがイギリスからの独立をかけて戦ったころ、ちょうどこの辺り、ハドソン川の両岸にジョージ・ワシントン将軍が砦を築いたことに由来するそうです。

オクラホマ

| コメント(0) | TB(0) このエントリーをはてなブックマークに追加

 アルバカーキーAlbuquerqueという町のホステルでの会話。

ぼく「へー、あちこち行ってますね。このあたりだとニューメキシコ州以外ではどこに行きました?」
客A「このへんは全部行ったよ。あ、でもオクラホマには行ったことがないな」
客B「おれもオクラホマに行ったことはないな。行こうと思ったこともないや。」

 と、オクラホマは相手にされていません。というより、バカにされきっています。客Aはニューヨーク市、客Bはロサンゼルス在住なのに。もしかして全米からバカにされている...?

 ぼくのお気に入りの小説のひとつに、スタインベック著『怒りのぶどう』があります。不況で土地を失ったオクラホマの農家たちが仕事と食べ物を求めてルート66を西へと移動するのですが、道中「オーキー」などと罵倒され、賃金を買い叩かれ、ひどい目にあいながらも、たくましく生きるという話です。上の会話を聞きながら、『怒りのぶどう』を思い出していました。

 日本でいえば、ときどき京都の人が滋賀県民を田舎者として小ばかにするようなことがありますね。(あるいは、福岡の人が佐賀県民を、東京の人が埼玉・千葉県民を。)

 客観的にみれば、大津市や草津市は京都市よりも中産階級が多いのでよっぽど都市的ライフスタイルが発達しているし、レジャーも盛んで訪れる観光客は京都よりも多いくらいなのですが、京都人にとって"滋賀県民は田舎者だ"というイメージは根強いようです。京都人は自分たちが田舎者だって気づいていないこともあるしなぁ。

 さて、「オーキー」に相当する罵倒語は「滋賀作」になるのでしょうか。ただ、からかうように「オーキー」と発音すれば、英語圏では語感だけで間違いなく侮蔑をこめた罵倒語だとわかるのに対して、「しがさく」は語感が弱いですね。たとえはやしたてるように発声しても、それだけで侮蔑をこめた罵倒語だとはわからない。たぶん、会話の中で発生した罵倒語ではないのでしょう。

 差別語、罵倒語は、語感が大切です。発声するだけでそれとわからなければ意味がない。たとえば、日本人を差別する英語にJapとかNipとかあります。でも、英語では罵倒語として通用する語感があっても、日本語としてはやはり語感が弱い。「じゃっぷ」とか「にっぷ」と呼ばれたって、なかなか腹は立ちません。

 日本人をバカにするとしたら、たとえば「ぽんじん」「にぽん」「はぽん」とかが語感としては適切でしょう。からかうように、あるいは吐き捨てるように「ぽん」と発声すれば、確実に侮蔑の意図が伝わります。外国人から、「おいおい、またポンジンが集まって徒党を組んでるぜ、ははは」とかって笑われたら、きっと、めちゃくちゃ腹が立つことでしょう。

 アメリカでは、普段は差別する側といえる人を対象に、「差別されてみる訓練」をしてくれるレッスンがあります。お金を払ってわざわざ差別される体験をしにいくの。すごいでしょう。

 こういうのって、バカにされてみなければ、侮蔑された人の本当の気持ちはわからないものですからね。「差別語は使っちゃいけない」なんて杓子定規にとらえるだけでは何の役にも立ちません。実際に差別されてみれば、そしてそれで実際に傷ついてみれば、少しは理解も進むだろうという考えなのでしょう。

 オクラホマは、可もなく不可もない、ごくふつーの田舎めいた州でした。でも、↑のようなことを考えていたので、なんとなくサビシイ印象があるのでした。

北米の沙漠

| コメント(0) | TB(0) このエントリーをはてなブックマークに追加

 サン・ディエゴのホステルにて。相手は博士号を取ったばかりの33歳女性。ワシントンDC在住。

女性「明日はどこに行くの?」
ぼく「はっきりとは決めてないけど明日はI-8でツーソンまで行くかなぁ。で、南部を回ってフロリダまで行ってからニューヨークに戻るよ。」
女性「え、バイクでデザートを通るの? 昼に? あついわよ。気をつけてね」
ぼく「うん、あついらしいね」(どうもこれがのん気に聞こえたらしい)
女性「出発する前に誰かにデザートを通るって伝えてからにしたほうがいいわ。ちゃんと生存が確認できるように。ここのフロントに伝えてから出なさいな」
ぼく「ははは、ありがとう。」
女性「笑いごとじゃないのよ。あそこはね、メキシコからの密入国者が毎年何人も猛暑で行き倒れて死んでしまうところなのよ。比喩じゃなくて本当に、車のボンネットで卵焼きができるくらい熱いの。あたしが行ったときも、たった10分エンジントラブルで停まっただけで本当に死ぬかと思った。遭難した!って大騒ぎだったんだから。それにね...」(以下10分ほどおどされる)
ぼく「んー、でも、それを自分で経験したくて旅をしているんだよね」
女性「わかったわ。(真顔で)グッドラック!」
ぼく「(オイオイやめてくれよ...) ^_^;」

 実際にどうだったかというと、いや、本当にあつかった。暑いというより熱かった。

 この日、気温は摂氏45度くらいまであがったようですが、ハイウェイのうえは当然さらに気温が高くなります。直射日光にさらされたものは触れないほど熱く、バイクも革手袋なしでは触れません。

 熱中症予防にハイドリングシステムで水分補給していたのですが、ホースの中のドリンクが飲み頃のホットコーヒーぐらいの温度にあたたまっていたぐらいです。

 休憩所で難を逃れようとしても、コンクリートが日なたと地続きなので日陰ですら床がカンカンに熱いのです。自動販売機はすべて故障中。ぜんぜん休憩になりません。

 しかたなく走り始めると、熱せられた地面とカンカンに熱くなったバイクのエンジンから、まるでストーブの熱風みたいにとがった空気が吹き上げてきます。しかも、ただ走っているだけなのに、タイヤから焦げ臭い匂いが漂ってくるし。

 Tシャツでバイクに乗っている人を見て、10分ほど夏用のメッシュジャケットに替えてみましたが、けっきょく暑いのに加えて熱くなっただけでした。気温が体温より高ければメッシュジャケットにはまったく意味がありませんね。もちろん3シーズンジャケットでも暑いのですが、熱風を防げるうえ、高速で走っていると汗が気化するときに少し涼しくなったりします。

 それにしても、あのTシャツ野郎はすばらしい馬鹿ですね。結構好きです。真似しようとは思わないけど。

dune_s.jpg

 昨日も書きましたが、多くの場合、desertは水域がないだけであって、べつに砂ばかりっていうわけじゃないですから、「沙漠」と訳してもらいたいところです。アラスカでもツンドラが枯れて沙漠化している地域があるようですが、ようするに草が生えずに荒地になっているということですね。「砂漠化」では印象がかなり違います。

 とはいっても、北米にも砂だらけのところはあります。規模が小さいですから「砂丘」dune扱いですけど。写真はカリフォルニア州の南東端にある砂丘で、北米ではめずらしいためか横に休憩所が設置されていました。

 アリゾナの沙漠の写真はありません。そんな余裕ありませんでした。

 そういうわけで、アメリカ最南部のコミュニティをまわってみたいというもくろみは、一日で挫折しました。ぼくはまだ耐えられたんですが、バイクがかわいそうで。だから進路を北に変えて、ルート66沿いに進んむことにしたわけです。

参考)アリゾナはグランドキャニオンとサボテンで有名な州で、北米でもっとも自然美の豊かな地域のひとつです。文字通り死ぬほどあつい夏の州南部はオススメしませんが、グランドキャニオンに近いフラッグスタッフFlagstaffという町のホステルには日本からも何人か旅行客が来ていました。ルート66を町おこしにしている、かわいらしい町ですよ。

南カリフォルニア

| コメント(0) | TB(0) このエントリーをはてなブックマークに追加

 「desert」で辞書を引くと「砂漠」と出ます。でも、少なくとも北米大陸についていえば、砂漠という訳は正確ではありません。「不毛の地」「荒野」「乾燥地帯」ぐらいが適切な訳でしょう。エンカルタの英英辞典にはこう載っています。

desert /dézzərt/
1. arid area: an area of land, usually in very hot climates, that consists only of sand, gravel, or rock with little or no vegetation, no permanent bodies of water, and erratic rainfall
不毛の地域:通常とても暑い気候で、砂、砂利、岩だけしかなく、植物はほとんどないしまったく生えず、水域は存在せず、不規則に雨が降る土地。
クリックすると大きくなります。カリフォルニアの典型的な山の風景 つまり、サハラ砂漠などの砂だけしかない土地だけでなく、サボテンしか生えないやせた土地もやはりdesertなのですね。かつては水が少ない土地という意味で「沙漠」と表現することもあったようですが。

 写真はカリフォルニアの典型的な山の風景です。東海岸の風景に比べると高木がなく、枯れ草ばかりで全体的に茶色をしています。月がきれいだったので撮りました。このとき、脳内に流れるバックミュージックはホテルカリフォルニア。On a dark desert highway〜♪

 さて、ロサンゼルスで古い友人たちと会ったり、アメリカ社会学会のカンファレンスに出席したり、日本から来ていた共同研究者と進行中の調査プロジェクトのミーティングをしたり、といった仕事をこなしたあとは、仕事モードからリゾートモードに切り替えました。

 まずはロサンゼルスのビーチ。

 ロサンゼルスといえばサンタモニカやベニス・ビーチが有名ですが、あそこは商業地であまり水質がよくないということもあって、土地の人が海に入って泳ぐことはめったにありません。ジモティにとっては散歩をしたり、ショッピングをしたり、ビーチバレーをしたり、スケートを楽しんだりするところなのですね。ぼくにとっては桟橋(ピア)から釣りをするところ。

 では、ジモティはどこで泳ぐかといえば、もう少し北上して、マリブ・ビーチやズーマ・ビーチまで行きます。どちらもたいへんキレイなところですが、ぼくはズーマのほうが好きですね。

 南カリフォルニアのビーチには、アメリカの他のビーチとはハッキリした違いがあります。すなわち、みんな引き締まったカラダをしているのです。ほとんど例外なし。

 南カリフォルニアは暖かいせいか、ことあるごとに男も女も服を脱いで肌を出します。そして、肌を出す機会が多いため、みなさん、カラダづくりに熱心です。たぶん、全米でもっともフィットネスやジョギングが盛んな土地でしょう。もちろん、ジョギング中も脱いでます。そんな人々にとって、ビーチはカラダづくり発表会の場でもあるのですね。(→参考

 みんな腹筋が縦に割れてるのです。そんな中、一人だけ横に割れたおなかで水着を着ていると、くやしいやら恥ずかしいやら。つい、むなしくおなかを引っ込めたりしてしまいます。

 ロサンゼルスのあとは、200kmほど南下してサンディエゴのビーチ。

 サンディエゴでは、なぜかロサンゼルスよりもビーチの人口密度が高いです。ヌーディストビーチになっているようなところを除けば、日本の海水浴場なみに人が多いです。そして、それがみんな、老若男女を問わず、いいカラダをしている。町の中では太ってる人も見かけるけど、ビーチには近づけないんだろうなぁ。その気持ちはよく分かる。分かるぞ。

 という感じで、カラダを鍛えようという決意をお土産に、南カリフォルニアを後にしたのでした。

ウィスラー

| コメント(0) | TB(0) このエントリーをはてなブックマークに追加

 カナダ西部の大都市バンクーバーの北にウィスラーWhistlerというまちがあります。日本ではスノースポーツのリゾート地として有名ですが、大都市からわずか百数十キロのドライブで大自然にアクセスできるため、年間を通してたいへん人気のある保養地です。

ウィスラー バンクーバーからウィスラーにアクセスするルート99は、ぼくが北米を旅行してもっとも楽しかった舗装道路です。ドライブ好きならカナダ旅行の際にけっして外してはならない行程でしょう。無数のビューポイントのなか、南半分はよく整備された高速ワインディング、北半分は少々ラフな路面だけどアップダウンのある連続コーナーを楽しむことができます(写真は北端部分)。

 しかも、「観光地のそばにはパトカーがいる」という鉄則はルート99には当てはまらないようで、ドライビング、ライディングを目的にきている走り屋さんたちが飛ばしまくっていました。

 そのウィスラーですが、カナダの保養地の中ではやや異色の場所だという印象を持ちました。ツアー客やバックパッカーが多かったバンフを「観光地」と表現できるとすれば、ウィスラーは都市的スポーツを楽しむための「レジャー地」と呼べると思います。

 というのも、まずノリが体育会系なのですね。まったりゆったりと自然を散歩するような人は少なくて、ウィスラーでは遊び方も派手です。昼はロッククライミングやダウンヒル(スキー場をマウンテンバイクで駆け下りるのです。すっごい危険な遊びですよ)、夜はパブでどんちゃん騒ぎ(「今夜は何をして遊ぶんだい?」と聞かれました)。ホステルは部屋も通路も遊び道具が散乱しています。

 自然相手のスポーツが好きな人にとっては天国のような場所なんでしょう。あちこち動かず、ウィスラーだけに1ヶ月以上留まっているという長期逗留組みがとても多かった。カナダに来ているというより、ウィスラーに来ているということかな。冬は日本からもウィスラーに山ごもりする人がけっこういますよね。

 そして、地形的には山地なのですが、対人関係の築き方や距離感のとり方などはドライで個人主義的なところがあり、文化的にはたいへん都市的といえます。

 たとえば、ほかの観光地とは違って、ホステルでも「みんな友だちになろうよ光線」を出している人は少なく、自分の遊び道具を熱心に整備したり、自分の友だちとだけ話をする人が多かった。

 また、ウィスラー以外の北米では、ツーリング中のライダーは別のバイクとすれ違うとき左手を出して挨拶をします。「Hi!」「おつかれさん」「気をつけてな」といった意味を込めたハンドサインを出し合うのですね。片方のライダーがツアラーであれば、もう片方はツアラーでなく土地のライダーであってもハンドサインは出し合います。ところが、ウィスラーでは土地のライダーはハンドサインはほとんど出さないし、出しても返ってきません。

 ルート99の緊密な交通網でバンクーバーと連結されていて、経済的、社会的にはバンクーバーと同一の都市圏に含まれるのでしょう。山の中にあるからといって田舎だとはかぎらないんだなぁと実感しました。

 アラスカからカナダに戻ってきたところで、デンプスター・ハイウェイを通って北極海に近いイヌビクInuvikという町に行ってきました。この町の発音は現地の人に聞いても「ヌビク」という人と、「イービク」という人が同じくらいいて、よく分からないんですよね。

 デンプスター・ハイウェイは、ダルトン・ハイウェイと同じく未舗装のハイウェイです。とがった小石がたくさんあるため、パンクがとても多いことでも有名です。ダルトン・ハイウェイに比べると、山の中を通るので見晴らしがよく、景観に優れているといえます。また、ダルトン・ハイウェイは終点に石油の基地以外に何もないのに対して、こちらはイヌビクという先住民の多い町がありますので、それなりに楽しめます。

 また、カナダで北極海に抜ける唯一の道路がデンプスター・ハイウェイです。極北のオフロードを走りたがるモータリストにとっては、アラスカのダルトン・ハイウェイと並んで「聖地」となっています。

 ここでもやはりファイアー・ウィードが印象的ですが、個人的に「ホーステイル」(馬の尻尾)と呼ばれていた雑草がたいへん気に入りました。乾燥すると種子が服につきまくるので現地では嫌われていましたけど。

 イヌビクまで行くためには、ユーコン川やマッケンジー川を無料フェリーに乗って渡ったりします。アメリカやカナダのナビゲーションソフトではフェリーのルートが登録されていないみたいで、イヌビクまで経路探索しようとすると「不明です」とエラーが出てきます。

 イヌビクは人口約3千5百人。日本の感覚だと少ないように感じますが、この緯度圏では最大規模の町です。もともと水害を逃れるためにインディアンとエスキモーのまちを移転してつくったのですが、北西カナダの拠点として発展してきましたので、今では人口の6割が非先住民です。

 イヌビクでは、よくもわるくも、先住民の現実をいろいろと目の当たりにしました。まぁそれを見にわざわざ行ったわけですが、後味の悪い旅でした。詳細はナイショ。

 往路もテントに5cmほど雪が積もったりしましたが(8月1日)、復路のデンプスター・ハイウェイは悪天候で苦労しました。ただ、気温が低かったおかげで、ツンドラが紅葉を始めていました。どの低木もカエデ並みに鮮やかに発色しています。全体がきちんと紅葉したらかなりの見ものでしょう。一目千本どころじゃなく、地平線まで視界に入るすべての植物が紅葉するのですから。

 日本から極北に旅行に行くときは、オーロラ観光のために真冬がハイシーズンとされていますが、個人的には9月がオススメです。2月に行ってオーロラが見えなければそれまでですが、9月に行けば、たとえオーロラが見えなくても、ツンドラの紅葉を楽しめるかもしれませんので。

01s.jpg02s.jpg03s.jpg
デンプスター・ハイウェイの入り口。ドーソン・シティから東に20kmほど。なんと8月1日深夜から早朝にかけて積雪があり、テントにも積もりました。昼過ぎには解けましたが、山の上には雪が残っています。道路はよく整備されていて、雪が降ってもおおむね硬くしまっています。ドロドロになるところもありますが。
04s.jpg05s.jpg06s.jpg
風雪で岩が崩れて表面を白い砂利が覆った山。赤土が露出したレッド・リバー雑草もワイルドフラワーもピンク色
07s.jpg08s.jpg09s.jpg
ハイウェイの脇にはまるで植えてあるかのようにファイアー・ウィードが生えています。高地を抜けます。森林限界線。湖のほとりにかわいらしい町がありました。対岸でなければおジャマしたところなのですが。
10s.jpg11s.jpg12s.jpg
ピール川の渡河フェリーまで2km小さな無料フェリーが往復して大河を渡してくれます。水辺に生える野草。緑の中に白くて清楚な花がフワフワゆれています。
13s.jpg14s.jpg15s.jpg
白樺、ブラックスプルース、ホワイトスプルースが混生しています。マッケンジー川の渡河フェリーを待っているところです。全長4千kmを超えるカナダ最長の川で、北米でも2番目の長さ。イヌビクに到着しました。エスキモーとインディアンの両方が暮らす町です。ただし、北西カナダの拠点として整備されてきましたので、現在は過半数の住民が非先住民です。
16s.jpg17s.jpg18s.jpg
一部のエスキモーが作る氷の家「イグルー」をモチーフとしたイグルー・チャーチ。土地に溶け込むことで先住民を一人でも"教化"しようとする教会の努力がうかがえます。ビジターセンターの外観。かっこいいでしょう。教会もビジターセンターも、しっかりと土台にすえつけられているように見えますが、ここの建物はすべて高床式です。地表が凍ったり解けたりを繰り返す永久凍土の影響を少なくするための知恵でしょう。上下水道も熱線入りのパイプがあちこちに張り巡らされています。これがホーステイルです。白と赤の2種類があって、赤いほうは成長につれて色が薄くなっていきます。これは若いのでワインレッドに近いですが、しだいにピンクを経て白っぽくなっていきます。群生するので、野原一面が赤やピンク色に染まってきれいです。ただし、乾燥すると種子が「ひっつき虫」になるので、現地では嫌われていましたが。
19s.jpg20s.jpg21s.jpg
キャンプ場の横を流れる川落ち込んだ気分の帰り道でしたが景色に癒されました。晴れた日に、遠くで降る雨を見るのは風情があっていいものです。「でも、あの雨の中を走るとなるとタイヘンなんだけど」と思っていると...
22s.jpg23s.jpg24s.jpg
案の定、ハイウェイは厚い雲の下へと入り、冷たく激しい雨にたたかれました。ツンドラの紅葉は本当にきれいです。まだ色づき始めたばかりというのに、この状態。ツンドラの紅葉もう一枚。発色が鮮やかです。

ファイアー・ウィード

| コメント(0) | TB(0) このエントリーをはてなブックマークに追加

ファイアー・ウィード 7月末ともなれば、白夜のフェアバンクスとはいえ、夏の盛りがすぎて朝晩の冷え込みが厳しくなってきます。毎日少しずつ日照時間が短くなって、日没後は本を読むのが少しつらくなってきます。

 そんなある日、逗留先のご近所さんたちとお酒を飲みながら雑談をしていたところ

「そろそろ冬が来るね」
 7月の末ですよ。最初はジョークかと思ったのですが、みんなしみじみとした表情でうなづいているじゃないですか。フェアバンクスの夏は6〜8月のわずか3ヶ月間。それ以外は冬です。短い短い夏の3分の2がすでに終わって、あと1ヶ月もすれば冬が来るのです。
「あと二週間でオーロラが始まる」
「一週間もすれば強いオーロラは見えるようになるかな」
 白夜に隠れて見えなくなっていたオーロラが始まるということは、美しいけれどもつらく厳しく暗い冬がまた到来することを意味しています。
「ファイアー・ウィードが一番上まで咲いたら1週間後に初雪が降るっていうよね」
 ファイアー・ウィード(和名ヤナギラン)はアラスカでもっともポピュラーな花です。写真は7月はじめに撮ったものなのでまだ下のほうしか咲いていませんが、7月末にはもう上のほうに2〜3の花芽しか残っていません。

 「火の雑草」という野卑な名前を持ってはいますが、人々はたいへんこの花を愛しています。名前の由来は、火事のようにいっせいにマゼンダ色の花が野に咲くから、とか、山火事の後いちばん最初に咲く生命力の強い草だから、など諸説あります。

「今年はベリーが豊作だったね」
「雨が多かったせいかな。」
「そういえばデナリ・ナショナル・パークのガイドが今年はウサギが多いっていってた」
「へー、ベリーがよく採れる年はウサギが多いって本当なんだね」
 捕食関係にあるウサギと山猫の数の相関はよく知られていますが、ウサギとベリーの関係は初耳でした。

 フェアバンクスでは、調査に答えてくれた方が、取れたてのブルーベリーのジャムをくれたり、野菜やフルーツをくれたり、謝礼を要求するどころか逆にぼくをもてなしてくれることが少なくありません。みんなどこか少し粗っぽいけれども、やさしくてフレンドリーです。厳しい自然に対処するためにみんなで協力しあって生きる知恵を持っています。

バイクに乗る理由

| コメント(0) | TB(0) このエントリーをはてなブックマークに追加

 ニューヨークでのあるパーティでのこと。自動車学校で「キミは乗らないほうがいい」といわれて免許をあきらめた経歴がある大学院生が、こういいました。

 「しかたがないから、バイクにでも乗ろうかな、それだったら私でも乗れるだろうし。」

 「え、でもバイクはあぶないよ。」

と僕が答えるのを聞いて、周囲の人たちから質問されました。

 「どうして危ないとわかっていてバイクに乗るんですか?」

 これまでにも何度となく聞かれてきたのと同じ質問です。またか、と思うぐらい、よくある質問です。なのに、毎度毎度、ぼくは答えにつまってしまいます。

 いちばん正直に答えるとすれば「好きだからとしかいいようがない」ということになります。もっとハッキリいえば、「そんな質問をしてくる時点で、キミには説明したってわからないよ」といってあげたい。

 バイクを移動の手段としてみると、なるほど、生身なので危ないし、エアコンはないから快適でもないし、非合理的に思えるかもしれない。でも、バイクはたんなる手段ではなく、それ自体を楽しむ目的でもあるわけです。バイクのコンサマトリーな楽しみを知らない人には、「どうしてバイクに乗るのか」を説明するのは難しい。

 「どうしてあの人と付き合ってるの?」のような問いと同じで、分かる人にはわかるけど、分からない人にはいくら説明したってなかなか分からないわけです。

 でも、なにせ研究者のパーティーですから、そんな感覚的でそっけない回答に、みんなは納得できません。だから、かわりにバイクのどういう部分が好きなのかを無理やり言説にして、それっぽく説明をさせられることになります。

 「自然を感じられるところがいいんだ。谷に入るとすーっと空気が変わったりするの。そういうのは車じゃわからない。そのかわり夏冬は地獄だし、キャンプ場を出るとき雨降ってたりすると、なんでこんな旅してるんだろうってウツが入ることもあるけど、その後、パーっと晴れて気持ちよく飛ばせたりすると、それだけで生気がみなぎってくる気がする」

 「車体との一体感がよくてね。まるで馬に乗っているみたいに"あやつっている"という実感がある。といっても馬に乗ったことはないんだけどw」

 「日常の足に使っていても、バイクってすぐにでも旅にでかけられるようなイメージがあるでしょう。ぼくは旅人にあこがれがあるみたいでね。」

 「サーキットって気持ちいいんですよね。景色も路面もきれいだし。歩行者や飛び出しを気にしなくていいし、白バイもいないし。ただ前だけ見て好きなように走っていればいいというのは何ともいえない快感なんですよ」

 いずれも、僕がバイクを好きな理由の一部ではあるけれども、じゃあ、それ(ら)が理由でバイクに乗っているかというと、そうとはいえないのですね。つまり、上記の理由がなければバイクに乗らないかというと、やっぱり乗るような気がするわけです。さらに言い換えると、上記の理由では表現しつくせない"なにか"が他にもたくさん残っているわけです。

 「僕がバイクに乗る理由」というきわめて主観的なテーマを説明するために、本一冊分くらいのスペースをくれれば、より正確なことを伝えて納得してもらう方法はあると思います。でも、パーティでの「どうしてバイクに乗るの」という素朴な疑問に正確に答える方法は、ぼくにはありません。だから、結局、それっぽい理由を捏造して、話にオチをつけることになってしまうわけです。

 "自分にとっては説明するまでもない自明のことだけれども、いざ他人に説明しようとするとうまい言葉がみつからない"ようななにかを伝えようとすると、どうしても、相手がすでに理解できる枠組みをもっている代替的なストーリーを作話することになってしまいますね。

アラスカの磁場

| コメント(0) | TB(0) このエントリーをはてなブックマークに追加

 アラスカには、ある種の人々を強く惹きつける磁場のようなものがあります。

 フェアバンクスの日本人はアラスカ大学関係者、旅行業関係者、その他、という3つのグループに分けられるのですが、その多くの方がこの磁場に引き寄せられるようにアラスカに定着しています。

 "その磁場の正体をきれいに言語化できたらこの調査は終了"

 と思って現地でインタビューを重ねましたが、ハッキリする前に残念ながら時間切れとなりました。中途半端なまま結果を刊行するか、再調査するか、迷っているうちに時間ばかりがすぎてしまいました。6月までに決着をつける予定です。

 さて、磁場の正体を明らかにするために、磁界の中心にあるのは何だろうかと考えてきたのですが、人によってその答えが違うのですね。

 当初は、トラッパー(罠猟師)やハンターなど、完全なブッシュ生活をしている人々が磁界の中心に近い存在だろうと思っていたのですが、これはカヌーや山歩きなどアウトドアライフに強い関心を持つ一部の人にとってのイメージにすぎませんでした。

 北の大自然(とともに生きる生活)はもちろん磁界の構成要素のひとつです。調査の語り手の言葉を借りるなら「北への憧れ」ですね。

 しかし、インタビューの全体像からいえば、それよりもむしろ、アラスカのどこか「のんびりした時間の流れ」や、アメリカ本土以上に個々人のライフスタイルを尊重する「こだわらないところ」を強調する語り手が多かったように思います。

 ぼくの専門のひとつであるナショナリズム研究の一環として、"人口の流出入の激しいアラスカでは、きっと民族問題も少ないにちがいない"、そう思ってはじめた調査ですが、むしろあまりにも民族間のトラブルが少なすぎて、調査の手がかりにすらならなかった印象があります。

 ここでは、先住民(いわゆるエスキモーやインディアン)以外はみんなよそ者なのですね。WASPだからといってこの地域の主流の地位を占めているわけではありません。先住民以外は、みんなただの「個人」なのです。

 アラスカは、そんな個々人をまるごと受け入れる大きさを持った土地です。そして、人々が厳しい自然と対峙するために、人種、民族、宗教の違いにこだわらず、困ったときには力をあわせて生きていく土地です。

 そうそう、「アラスカの人が好き」という語り手もいました。安易に人に頼らず、文字通り自分の手で問題を解決していく不羈の精神を持つ人々。そんなアラスカ人が好きだというわけです。

 こうしたさまざまな理由があって、ある種の人々にはアラスカがオーロラのように魅力的にみえるのでしょう。

デナリ

| コメント(2) | TB(0) このエントリーをはてなブックマークに追加

 カナダはまだそれほどでもないのですが、アメリカの地名というのは、こう、情緒がないというか、即物的というか、とにかく味気ないところが多いです。

 川沿いだからリバーサイド。崖があるからクリフ。赤土の流れる川だからレッドリバー。ラジウム温泉が出るからってRadium hotsprings、硫黄の山だからってサルファ・マウンテン。ダウンタウンのあたりなんか、もう名前どころか数字ですからね。ファースト、セカンド、...。

 北米大陸最高峰のマッキンリー山もそう。19世紀末、探検に来た若者が、当時のアメリカ合衆国大統領(候補?)ウィリアム・マッキンリーにちなんで命名したというのですが、この山とはまったく何の脈絡もありません。

 アラスカの人々はこの山のことを「デナリ」と呼ぶことが多いです。地域のインディアンの言葉で「偉大なもの」の意味らしい。たしかに、この山だけまるで単独峰のように、他の山々から抜きん出てそそり立っています。

 植村直己をはじめ、多くの探検家たちの永眠する山は、本当にきれいでした。「デナリ」はアラスカの象徴であり、誇りでもあります。白人たちが"発見"した土地に思いつきで与えたいーかげんで即物的な名前と違って、なんと相応しく、なんと叙情的な響きを持つものか。

 全景を拝めるのは週に一度あるかないかという話でしたので、ぼくは午前3時にデナリ・ナショナル・パークのキャンプ場を撤収し、もっとも天候の落ち着く時間を狙っていきました。

 真夏とはいえアラスカの早朝は寒かったですけどね。どうです、大成功でしょ^^
 この1時間後には濃いガスが出て、一日中真っ白だったんですよ。

国立公園を午前3時に出てから南に2時間のライディング。午前5時のデナリの朝焼け。午前6時ごろ、違う角度からもう一度。威容の全景を拝めるのは週に一度あるかどうか。この日も1時間後にはガスに隠れた。広大なデナリ・ナショナル・パーク。人の影響を厳格に管理し、自然をあるがままの状態で維持する努力で知られる。ただし、デナリからかなり北にあるため奥地まで入らないとデナリは見えない
マイカーの乗り入れが許されるのは公園のほんの入り口付近まで。それより先は徒歩か有料バスを予約する。バスの窓からバスの窓から
たいていは、アリのようにしか見えない遠くの動物を双眼鏡でがんばって探すことになるのですが、運がよければ接近遭遇することがあります。
バスの窓から運がよければバスツアーでも野生生物をまじかにみることができるかも。これはグリズリー。これほどの接近遭遇はまれにみる幸運だとの話でした。バスの中からだとぜんぜん怖くないですね。こういうのは「熊を見た」だけで、「熊と出会った」のではないと僕は思います。キャンプサイトでお茶を飲んでいたらかわいらしいお客さんが。

アラスカ魂

| コメント(0) | TB(0) このエントリーをはてなブックマークに追加

エリオット・ハイウェイにあるロードハウス。インディアンの女の子が無愛想に店番していた 写真は「ダルトン・ハイウェイ」で紹介したロードハウスです。いろんなものがオブジェとしてきれいに飾ってありますが、その実、ドラム缶だのチェーンだのといった"ゴミ"なんですね。

 アラスカでは、こうした"ゴミ"が庭に散乱していることが多々あります。というのも、アラスカでは何を買うにも送料が高額になるため、新たに購入するよりも廃棄物を再利用して自作したほうが時間的にも経済的にもメリットがある場合が多いのです。つまり、こういった"ゴミ"に見えるものも、そのうち再利用される予定の"資源"なのですね。サステイナブルです。

 逆にいうと、自分の知恵と体力で目の前の問題の解決に当たろうとすること、そのために使えるものは何でも使うこと、そういう態度がアラスカで生きていくために必要な資質ということかもしれません。

アラスカの屋外トイレ。アラスカは都市部でないかぎり水洗トイレは少ないです。マイナス40度でここを使うのを想像してみてよ
 ちなみに、左の写真は、このロードハウスのトイレ(アラスカのトイレはたいていポットン便所です)に張ってあった壁紙。マイナス40度でも屋外トイレ。さむそー。

 話は変わりますが、同じく「ダルトン・ハイウェイ」の最後で紹介したように、復路でスピードがのったまま2mほど崖下にコースアウトしました。

 写真を撮るために止まろうと思って、路肩によってしまったためです。路肩には砂利が山盛りになっているため、足を踏み入れるとタイヤをとられてコントロールを失ってしまうのです。道は左カーブなのに慣性のまま直進することしかできず、数瞬後には苦労の甲斐なく飛んでました。

 見渡すかぎり一人っきりで走ってたんで、道の真ん中で止まればよかったんですけどね。路肩は危ないと分かっていたのに、ついクセで。往路を征服した安堵感もあったのかな。

 で、転落の結果、胸とわきの肋骨を骨折しました。ヒットエア(エアバッグの付いたジャケット)のおかげで、頭から岩の上に落ちたわりに首を損傷しなかったのは幸いでした。ただし、胸の骨折はエアボンベで強打したせいですが。

 たまたまそばで客まちをしていたヘリのパイロットと、道中で顔見知りになったピーター(推定58歳)に手伝ってもらって路上までバイクを引き上げてもらいました。

「写真撮っておかなくていいのか?w」(byパイロット)
 といわれて撮ったのがあの写真です。バイクのほうは、運よく、クラッチの液漏れと、パニアケースのステーとウィンドシールドが折れただけで済みました。コースアウトしたときは120km/h→40km/hぐらいまで減速できていたのかもしれません。一枚目の写真は、そのときの応急措置です。みっともなー。

パニアケースのステーが折れました。木切れで応急手当 直してもらいました。
 朽ちた木切れを使ったいーかげんな応急措置でしたが、意外とラフに乗っても大丈夫でしたので、ダートも含めて何千キロかそのまま走っていました。

 しかし、事故から2週間後、アンカレッジ近郊でBMWバイクのオーナーたちの集会(Rally)に参加したのですが、地元の方のガイドでオフロード走行をしたとき、さすがに応急措置ではもたずに壊れてしまいました。

 駐車場に止めていると、地元のライダーたちが目ざとくそれを発見しまして、話しかけてきました。

「どうしたんだこれ」
「ダルトン・ハイウェイでクラッシュしてね」
「俺んち、ここから15分ぐらいなんだけど、3時間ぐらい待てるんだったら直してきてやろっか?」
「マジ? ありがとう!」
 2枚目が修理後の写真です。
「信じがたいほど美しい仕上がりじゃないですか! ありがとう!」(ぼく)
「アラスカに住んでればそれくらいできるさ」(直してくれた人)
「おいおい、おれはそんなことできないぞw」(その友人)
 他の参加者からも、割れたウィンドシールドを新品に換えてもらったり、酒をおごってもらったり、ずいぶんやさしくしてもらいました。しかも、クジで一等賞(BMWディーラーの$250商品券)が当たったり。まぁとにかくいろいろと楽しかった。

アラスカの本

| コメント(0) | TB(0) このエントリーをはてなブックマークに追加

 今日はいくつか本の紹介。

 ぼくがアラスカになんとなく関心を持ちはじめたのは10歳ぐらいのときだったと思います。しかしはっきりとした憧憬を意識するようになったのは12歳のころですね。そのきっかけのひとつになったのは、ある小説でした。

 当時、ぼくは新田次郎という作家がお気に入りで、11〜12歳までの2年間でそのころに出版されていた作品はほとんど読破したと思います。短〜中編の山岳小説では今でも右に出るものはいないという大家なのですが、いくつか長編の小説もあります。ぼくが好きなのは銅山町での公害との闘いを描いた『ある町の高い煙突』、そしてフランク安田の生涯を描いた『アラスカ物語』。けっきょく、この2冊が、小学生のころに読んだ本でいちばん印象に残っているもの、ということになります。

 『アラスカ物語』のハイライトは、クジラ乱獲による飢餓と西洋人が持ち込んだ疫病で絶滅の危機に瀕していた北極海沿岸のエスキモーたちを救うため、フランク安田が鉱山技師たちとともに2年がかりで金鉱を探しあて、その資金を元手にブルックス山脈を越える民族大移住を決行するあたりでしょう。フランク安田のことを「エスキモーのモーゼ」とたたえた新聞もあったとか。そんな偉大な日本人が実在したことを知っていましたか?

 アメリカに在外研究に出る直前になって、20数年ぶりに読み直してみましたが、いま読んでも社会学者の批評眼に耐える興味深い記述がたくさんありました。同書が執筆された当時はエスキモーについて日本語で読めるまともな文献はほとんどなかったはずですので、新田次郎さんは1ヶ月というかなり短期間のアラスカ取材で非常に正確に情報を収集されたようです。

 エスキモーといえば、ジャーナリスト本多勝一さんが若いころにエスキモー村に住み込みで書いたフィールドノートが秀逸です。文化人類学的な参与観察の業績として十分に通用する内容になっていて(もちろん多くの学術書よりも読みやすいです)、『カナダ・エスキモー』というタイトルで出版されています。

 アラスカに関する書籍でほかにぼくが好きなのはジョン・マクフィーの『アラスカ原野行』。やはり著者はジャーナリストですが、時間と手間と紙幅をかければこれほど豊かな情報を読者に与えられるものかと感心させられた本です。ぼくのアラスカ理解のかなりの部分はこの本が基点になっているといっても過言ではありません。

 ほかには、読み物として、星野道夫さん、野田知佑さんも好きですね。

 一方、アラスカについての書籍のうち、ぼくが個人的にあまり好きではないものもついでに2冊紹介しておきましょう。

 ひとつは桐生広人『消える氷河』。地球温暖化の影響は極地方で極端にあらわれているらしく、カナダの氷河はおそらくあと50年もたたないうちに消えてしまうと予想されています。そのことを科学者の予測という方向だけでなく、エスキモーたちからの聞き取りからも明らかにしようと、環境保護団体「グリーンピース」が行った調査に同行したフォト・ジャーナリストが書いた本です。残念ながら、また聞き、耳学問、思い込み、が随所に盛り込まれていて、信頼性には欠けます。しかし、アラスカの環境保護派の主張を知るには手ごろな一冊です。このテーマで書かれた日本語の資料としてはたぶんもっとも入手しやすいものだからです。というより流通に乗ってる書籍としては唯一じゃないかな。

 これに関連して、最近、極地方の先住民たちがアメリカ政府を裁判に訴えました。先進諸国の環境保護の無作為が地球温暖化を後押ししていて、その結果、薄くなった流氷や河の氷が割れて死亡する事故が相次いでいる。こうした事故の責任は先進諸国にあるが、中でも環境保護政策の国際合意(具体的には京都議定書でしょう)をじゃましているアメリカ政府の罪は重い、というわけです。

 もうひとつは、ノンフィクション新人賞かなにかを受賞した広川まさき『ウーマン・アローン』です。フランク安田の存在を知ってそのゆかりの地を訪ねてみたい、とユーコン川をカヌーで下ることを決意し、冒険を終えるまでを清新な感性でつづった紀行文です。読後にちょっと勇気が出るような、そんなお勧めの一冊。賞を取るのもわかります。

 なのにどこがあまり好きじゃないのかというと、最後にただ一点だけなのですが、どうしても許せない独善性を感じるためです。

 フランク安田とエスキモーたちが拓いた町「ビーバー」を訪問した彼女は、現在の町長から「もうフランク安田のことを知っている人はここにはほとんどいないのよ」といわれ、町長からの要請もあって、新田次郎の『アラスカ物語』とその英訳本を寄贈するために戻ってこよう、そしてエスキモーたちに読んでもらうんだと決意します。それが次の旅を予感させる終わり方になっているのですね。

 『アラスカ物語』にはぼくも感激しました。でも、同書はいかにエスキモーに好意的に書かれているとはいえ(同書が書かれた当時の価値観としては本当に驚くべきことです)、やっぱりエスキモーとその文化を日本人の目で外から眺めた内容ですし、計画的思考という意味では無能なエスキモーたちを一本筋の通った日本人が救ったというストーリーです。それを当のエスキモーたちが読んではたして感動するかな。しかも、もはや計画的思考と産業社会の価値観を知っていて、ときには自分の祖先を恥じることもあるエスキモーたちが、読んで面白いと思うものなのかな。日本人のナショナリズムを押し付けられたエスキモーは迷惑だろうなと思わないのかな。

 著者の魅力は、むしろそんなことを考えずに思い込み一本で猪突猛進するところです。こうした独善性は『ウーマン・アローン』全体を貫く特徴のひとつで、それが鼻につかずにむしろ好感をもって読めてしまうところが、人徳というか、この本の魅力になっています。ただ、最後のこれだけは、ちょっと白けてしまうんですよね。

アメリカとカナダの通関

| コメント(0) | TB(0) このエントリーをはてなブックマークに追加

 アメリカ合衆国にバイクを持ち込むのは、本当に大変でした。

 というのも、911テロの後、アメリカは輸出入を厳しく検査するようになっています。そのため、いろいろと手続きが面倒なわりに儲けがほとんどないということで、実績のあるバイク輸送業者がすべて手を引いてしまったのです。したがって、まず輸送を引き受けてくれる業者を探すのが大変でした。

屈強な港湾夫たちが木枠を解体していく ある業者からは、「いまアメリカにナンバープレート付の車両を持ち込むのは不可能です(きっぱり)」とまでいわれたり、あちこちの業者から輸送をことごとく断られたため、相場の倍ほどの値段であやしそうな業者に委託することになりました。契約内容は、「神戸港搬入からNY港渡しまで。アメリカ側の通関は料金に含まず」というもの。

 次の難関は、書類をそろえることでした。かならず必要なのは、(1)Bill of Lading、(2)Commercial Invoice & Packing list、(3)Arrival Notice、(4)日本の陸運局で発行してもらった登録証書、(5)個人情報を証明する書類一切合切、の5点。それに加えて、旅行者が1年未満の使用を前提に車両を持ち込む場合は、(6)米運輸省のHS-7という書類と、(7)環境省の3520-1という書類が必要。という知識をあちこち電話したりネットで検索したりしながらガリンペイロするのが大変でした。

 しかし、そこまで調べても、どの書類を誰が用意するのかまではわからない。1〜3は輸送業者が用意するものなのですが、業者の事務能力に問題があってなかなか届かない。5はどんな書類がどれだけ必要なのかわからない。6〜7はどこに何を記入すればいいのか分からない。

 でも、わからないなりに、できることすべてをやり、準備できるものすべてを用意して、通関に向かったのがよかった。窓口で2時間もかかりましたが、書類のチェックとID確認、インタビューを経て、1年間有効の許可をもらいました。

 これでようやく終わったかと思ったのですが、バイクを倉庫に引き取りにいったとき、次の難関にであいました。

ぼく「バイクを引き取りに来たんですけど」
受付「どの業者?」
ぼく「いや、個人で頼みました」
受付「でも木枠を解体しないといけないでしょ?」
ぼく「バールを貸してくれたら自分でやります。」
受付「それはダメ。解体料金は300ドルね」
ぼく「そんなの聞いたことありませんよ」
 この後、小一時間ほど、倉庫の受付やマネージャーと口論。
ぼく「おれのバイクだろ」(だんだん怒ってきてる)
マネ「ほう。だが、ここはおれの倉庫だ。バイクがほしけりゃ300ドル払うんだな」
 という流れで、根負けして300ドル支払った後のこと。モーガン・フリーマン似のトラックの運転手がそっと近づいてきて教えてくれました。
運転手「トラックを頼めばよかったんだよ」
ぼく「え?」
運転手「あのな、トラックが荷物を積み出すときは、タダなんだよ。あのバイクをいったんトラックで運び出すだろ。そして、倉庫を出たところであんたが解体すりゃ、手数料は300ドルもかからない。」
ぼく「!!」
運転手「今回はもう手遅れだけどな。次のときにそうやったらいいよ」
ぼく「そんなの先にいってくれよ...」

ウィニペグに入る国境検問所 いや、もうホント、いろいろと勉強になりました。

 ところで、この高速道路の料金所のようなところは、カナダ国境の検問所です。空いています。

 ぼくの前に一台、BMWに乗ったおじいさんがいました→入管の様子。こんな感じで、バイクや車に乗ったまま、ヘルメットを脱ぎもせず、いくつかインタビューに答えます。

 なごやかなやり取りであっという間に入国審査が終了し、税関用の黄色い紙をもらって、「中に入ってパスポートにスタンプを押してもらってください」と。見ると、横に小さな建物があって、そこが正式な入管のオフィスということらしい。

 入管の窓口で、「いつカナダを出るかぜんぜん未定だけど、ニューヨークの家には8月末までに帰らないといけない」といったら、8月末までを滞在期限にしたスタンプをパスポートに押してくれました。

 そして、税関の窓口では、受付でもらった紙を出して終わり。「え、それだけ?」といったら、事務官もわかっているらしくて、「パスポートとかバイクの登録とか、すでにいろいろ持ってるでしょ?」だって。アメリカの税関に聞かせてやりたい!

クルーザーとアメリカン

| コメント(0) | TB(0) このエントリーをはてなブックマークに追加

ツーリング開始直後の装備なのでパッキングがいまいちこなれていないし、防水対策もいいかげん。 写真はツーリング開始直後の装備です。

 タンクバッグから出ている青いホースはタンクバッグの中の水筒につながっています。ホースの取りまわしは多少面倒ですが、これさえあれば走行中にも水分補給をすることができます。

 「今日は移動日」と決めたら、短いときで600km、気分しだいで1000km以上の距離を走るわけで、食事とガソリン補給の休憩をのぞけばハイウェイを一日走りっぱなし、なんていうこともめずらしくありません。そうすると、なにせ夏のことですから、問題になるのが水分補給です。マメに水分と塩分を補っておかないと、けっこう簡単に熱中症にかかります。こまめに休憩するか、このようにハイドレーションを装備するか、どちらかがかならず必要となります。

 さて、バイクは大別すると、スポーツ、ネイキッド、ツアラー、オフローダー、クルーザー、スクーターの6種類に分類されます(参考)。それぞれバイクの機能が違うのはもちろんですが、他にも、バイクの乗り方、バイクの楽しみ方、バイクに乗るときの装備など、さまざまな違いがあります。バイクに付随するライフスタイル、ひいては文化が違うといってもいいでしょう。

 ぼくのバイクはBMWのR1150GSといって、オフローダーとツアラーの中間的な位置づけです。イメージとしては、舗装されていようが砂利道であろうが、道を選ばずに世界中を走る旅バイク。ラフな長旅にも耐えられるように、全天候オールシーズン対応のバイクジャケットを着る人が多いです。

 スポーツバイクで峠を走る人は、革つなぎにフルフェイスのヘルメットが典型的なスタイルです。州間ハイウェイで長距離を移動するより、ワインディングの多い一般道をハイスピードで走行することを好みます。

ニューヨーク近郊のツーリングスポット「ベア・マウンテン」 クルーザー(いわゆるアメリカン)乗りは、Tシャツに革ベスト、革ジャン、ジェットヘル(ないしノーヘル)にサングラスが一般的。あまりスピードは出しません。というより、機能的にも装備的にも、スピードを出せないのです。制限速度を守って、まったりと直線道路をクルージングするのが正しい楽しみ方。

 アメリカでは、やはりクルーザーに乗る人が圧倒的に多いです。きちんと調べてはいませんが、ツアラータイプのクルーザーを含めると、実感としては少なくとも7割以上がクルーザーという印象です。

 では、なぜアメリカでそれほどクルーザーが支持されているのか。

 理由はたくさんあります。たとえば、いまのクルーザーの基本的なデザインは、1920年代にはすでに完成していました。Indianやハーレー・ダビッドソンの手による製品群は、第二次世界大戦ごろまで世界的な影響力をもち、多くの模倣を生み出しました。それから時代は変わっても、現在に至るまで一貫してあのスタイルの製品を提供してきたメーカーがアメリカにつねに存在してきたこと。それが理由の一つ。

 また、広大な土地柄、地平線まで続く直線道路はめずらしくありません。直線道路を長距離走行するとなれば、クルーザーかツアラーが有利ということになります。バイクの機能と国土が適合的というのが理由の一つ。

 より重要なのは、ライフスタイル。上でクルーザー乗りのスタイルは、Tシャツに革ベスト、ジェットヘルにサングラスと書きました。このスタイルは、1960年代に非合法活動で悪名をとどろかせたバイカー集団Hells Angelsで一般的だったものです。当時はハーレーといえばHells Angelsのことだったといいます。時代は変わって、Hells Angelsもほとんど非合法活動をしなくなりましたが、そのスタイルにまつわるワルっぽいイメージだけは今に息づいているわけです。さまざまな規制に管理された日常を抜け出し、自由を謳歌したいというとき、このちょいワルなスタイルが一つの手がかりになるということでしょう。男も女も、クルーザー乗りはみょうに体格がいいんですよね。マッチョがクルーザーを選ぶのか、クルーザーに乗るためにマッチョになったのか。

 そして、非日常として旅を求めるアメリカの心性を指摘しなければならないでしょう。バイクを使って日常を抜け出すとしても、サーキットや峠を走る、ドラッガーで直線番長を競いあう、トライアルバイクで岩山を登る、ダートをモトクロスでぶっとばす、荷物を満載して旅に出る、等々、いろんな手段があります。しかし、その中でも、アメリカでは特に長距離の旅に出ることに対して、「フロンティア・スピリットの実践」「自由を求めての挑戦」といった特有の意味づけがあるように思います(「ルート66」も参照)。そして、アメリカで長旅に出るとなれば、やはりクルーザーかツアラーです。

 さらに、以上のすべてを総合する、ハーレー・ダビッドソンのマーケティング。ハーレー・ダビッドソンは1981年に再生して以来、さまざまな経営戦略を展開し、つねに好調な販売を維持し続けてきました。その手法の一つが、バイクを売るだけでなく、バイクの楽しみ方を紹介するというマーケティング方法です(日本法人の例)。バイクを通じて、アメリカのライフスタイルを、そしてアメリカの夢を売るというわけです。

 他にも、流通やナショナリズムの問題など、いろいろと理由をあげることはできますが、ようは、さまざまな理由がからみあって、「アメリカのバイクといえばクルーザー」という環境を作り上げ、市場を形成し、人々の消費意欲を掻き立てる好循環が成立しているということです。

 ただ、マッチョなアメリカ人って、どうもぼくとは相性がよくない人が多くてね。いや、アメリカ人にかぎらず、体育会系のりがニガテなんですが。

 もちろん、バイクに罪はないですよ。ぼくもクルーザーというバイク自体は好きですし。

パリセーズ

| コメント(0) | TB(0) このエントリーをはてなブックマークに追加

 単数形のpalisadeは「弓矢を防ぐ柵(矢来)」という意味なのですが、複数形でpalisadesになると「川辺の断崖」という意味になります。でもさらに意味をさかのぼると、ハドソン川の両岸にそそり立つ断崖絶壁のことをPalisadesという固有名詞で呼んだのが、19世紀半ばに一般名詞化して広まったそうです。ハドソン川の断崖は、火成岩の大岩がタテに切り立っていて、見た目が防柵に似ている場所があるのですね。

 ハドソン川の断崖は、自然の防塞として、独立戦争のときイギリス軍からニューヨークを防衛するための重要な軍事拠点となったそうです。そのため、「自然がつくった矢来」という意味も同時にこめられているかもしれません。
ニュージャージー州パリセーズの上からハドソン川を臨む
 写真はニュージャージー州側のState Line Overlookという展望台からPalisadesとハドソン川を写したものです。対岸がマンハッタン島ですね。小型のデジカメではちょっと迫力不足ですが、実際に150mほどの高さから大河を見下ろすのはなかなか壮観なものです。

 東海岸の人々は総じてバイクに冷淡です。街中で日常の足としてはバイクを使っている人はあまりいません。でも天気のいい休日には、フリーウェイや郊外の道路で少なからぬバイクを見かけます。バイクは日常を離脱する遊び道具という位置づけなのでしょう。

 この展望台も、週末ともなればニューヨーク市近辺のライダーが集まる"バイク名所"のひとつでもあります。京都近辺でいえば大津ICや堅田の道の駅「米プラザ」のような感じですね。いずれも、ツーリングルートに近く、交通の便がよくて、広い駐車場、売店、居心地のいいイスがあって、見晴らしのいい場所、という特徴が共通しています。

 NY市からおそらくいちばん近いハイキングコースがありますので、バイク乗りでなくてもお勧めのスポットです。G.W.ブリッジからすこし北にあるAllison Parkからだと、たぶんマンハッタンの夜景もきれいだと思います。

ルート66

| コメント(1) | TB(0) このエントリーをはてなブックマークに追加

routemap.jpg ニューヨーク近郊の自宅からツーリングに出発したのは2005年6月10日のこと。それからおよそ3ヶ月ほどかけて、A. ニューヨーク、B. シカゴ、C. ウィニペグ、D. バンフ、E. ジャスパー、F. エドモントン、H. フェアバンクス → アラスカのあちこち → R. ドーソン、S. イヌビク、T. ホワイトホース、V. バンクーバー → 西海岸あちこち → W. サンディエゴ、フェニックスから旧ルート66、Y. ワシントン.D.C. → ニューヨークというルートを回りました。総走行距離はメーター読みで約3万キロ。

 フリーウェイを使って北米一周をするときはだいたい似たようなルートになるんじゃないでしょうか。ただ、当初は南部からフロリダを回ってニューヨークに戻ってくるつもりだったのですが、あまりにも暑かったことと、ハリケーン「カトリーナ」が接近中だったため、旧ルート66経由に変更しました。

 「ルート66」という道は、かつてアメリカでもっとも有名なハイウェイでした。テレビ番組『ルート66』とその主題歌が広範な人気を得たこともあってか、「The Mother Road」とか「The Main Street of America」とか「自由と民主主義の象徴」とまで呼ばれたことがあります。開拓時代にさかのぼるアメリカの移動熱の精神的支柱ともいえる位置を占めていたといえるでしょう。でも、場所によっては狭かったり、くねくねと入りくんでいて、新しいハイウェイの規格に合わなくなり、モータリゼーションの発達とともに廃道となったのです。ディズニー映画『Cars』でもそのことがテーマになっていましたね。

 だから行政上はすでに存在しないハイウェイなのですが、今でも部分的に古い道が残っていますので、古きよきアメリカを体感しようとマイカーで訪れる人たちがたくさんいます。そういうお客さん目当てに道を整備しなおして、古い町並みを演出するなど観光資源に利用している沿線の町もあります(例1例2)。日本からもルート66を自走するためにアメリカに渡るという人は少なくありません。

 ところで、先ほどルート66について「自由と民主主義の象徴」と書きましたが、アメリカでは移動(とその手段)の自由がたいへん大切にされています。何かから自由になるために移動する、ということもしばしば。アメリカにはロードムービーがたくさんありますが、ほとんど例外なく自由を求めて旅をするストーリーです。シアトルで出会った女性が言うには、「(就職先に)シアトルを選んだ理由は別にないなぁ。ただ、シンシナティから離れて自由になりたかったの。」

 日本の感覚では、田舎から都会に出ていくようなケースをのぞけば、都市間を移動したからって自由になるという発想にはつながりにくいと思います。一方、なぜアメリカでは移動することによって自由が得られるという感覚があるのか?

 ぼくがすぐに思いつく理由は3つほどあります。だから他にもたくさんあるでしょう。

 ひとつは、アメリカはその国土の大きさがいろいろな面で精神性に影響を及ぼしているという文化人類学の学説。つまり、国が大きすぎてリアリティをもって想像できる範囲を超えてしまっているため、遠く離れた土地には異界に等しい距離感をおぼえてしまう。そして、異界に飛び込めばしがらみも断ち切れる、というわけです。

 ひとつは法制面での理由。アメリカは州ごとに独立性の高い法律を備えていて、州間ではあまり情報のやり取りがありません。911テロの後はかなり改善されてきていますが、FBIでないかぎり警察すら犯罪歴の情報を州外からアクセスすることが難しかったのです。だから、ある州で犯罪を犯しても、別の州に逃れれば時間稼ぎできる場合があり、それが移動=自由というイメージを形成した側面はあるでしょう。

 最後の理由がいちばん単純で、移動にともなって生活構造(仕事や人脈など)が激変するから。アメリカって国が大きいせいで、引越ししたらそれまでの付き合いはそれっきり終わってしまって、新天地ではまったく新しい友達とすぐに仲良くなることが多いそうな。平均的なアメリカ人が誰とでもすぐに仲良くなるのはそのためだという説もあります。

2種類のキャンプ場

| コメント(0) | TB(0) このエントリーをはてなブックマークに追加

 おととしは1年間大学から休みをもらってニューヨークで勉強してました。とはいえ、せっかくアメリカまで行くのにニューヨークだけではもったいない。で、バイクを持ち込んで、夏に休暇と調査をかねて北米大陸を一周しました。

 3ヶ月のロングツーリングでしたので、いろんな発見がありました。別の場所で書いたツーレポですが、加筆・修正を加えて、こちらにも転載していきます。

 今回は「2種類のキャンプ場」

Denali National Parkのキャンプ場。ひとつの区画が30m×10m以上で、テントとテントはいちばん近いところでも20mほど離れている。 北米には2種類のキャンプ場があります。いや、いろんな「2種類」があるでしょうが、ここで紹介したいのは「宿泊客どうしが仲良くなるキャンプ場」と「ほとんど口もきかないキャンプ場」の違いです。その二つを分ける原理はとても単純で、テントとテントの距離が近ければ前者になり、距離が遠ければ後者になります。ただ、樹木などの障害物があれば後者になりやすいかも。

 心理学にはパーソナルスペースという概念がありますが、逆にソーシャルスペースとでもいうべき距離感がおそらくあるのでしょう。ぼくが知らないだけで、すでにそういう概念はあるのかな? ともかく、"その範囲内だったら対人関係を築かないと気まずい距離"というのがどうやらあるようなのです。

 その範囲のなかの人とは、話しかけるストレスより、話しかけないで見知らぬ関係のままでいるストレスのほうが強いため、積極的に挨拶をしたり話しかけたり夕食に誘ったりして、顔見知りの安心できる関係になろうとする。
これはかなり極端な例だけどBillie's Backpackers Hostelのキャンプグラウンド
 逆に、その範囲を超えるような位置にいる人は、話しかけるストレスのほうが話しかけないストレスよりも強いため(あるいは両者が拮抗すると判断に困るというストレスもあったりして)、バスルームとかで近づかないかぎり、基本的には挨拶以上の関係にはなりにくいです。というより、いつソーシャルスペースに侵入してくるかわからないのはけっこう強いストレスの元なので、見えないもの、存在しないものにして無視してしまうという戦略に出たりします。つまり挨拶すらしないことも珍しくありません。

 どっちのキャンプ場がいいかはそのときの気分しだいですが、ツーリング中のぼくは「仲良くなるキャンプ場」のほうが好きでしたね。人恋しいからという理由ももちろんありますが、食事代や酒代が浮くというメリットもあります。どこかで大量にスープでも作ってたり、どこかで酒瓶を並べてたりしますので、「ハーイ!」っていいながら近づいていけば、もう食事や飲み物の心配はいりません。そうやって図々しくたかって食費を節約していました。名づけて「モーターサイクル・ダイヤリーズ戦略」。チェ・ゲバラもやったんだと思えば多少は羞恥心と罪悪感がマシかなと。

このアーカイブについて

このページには、過去に書かれたブログ記事のうち交通・観光・スポーツカテゴリに属しているものが含まれています。

前のカテゴリはナショナリズムです。

次のカテゴリは差別・人権です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。