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 来月早々、私の勤務校で下記の通り学会大会が開催されますので、ご案内いたします。

第 26 回日本解放社会学会大会

◆ 会場  関西学院大学西宮上ヶ原キャンパス
◆ 日程  2010 年 9 月 4 日~5 日
◆ 大会参加費
  会員(常勤職) ¥2,000
  会員(非常勤職・大学院生等) ¥1,000
  非会員 ¥2,000

 テーマ部会は「同和対策事業の光と影――現場とアカデミズムの対話から―― 」および「ジェンダー・セクシュアリティ研究とアイデンティティ・ポリティクス」の2本。

 学会大会・懇親会へは会員でなくても参加できます(←ココ重要) プログラムに関心をお持ちになりましたら、ぜひ懇親会ともどもご参加ください。

 以下、大会のプログラムです。

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2010 年 9 月 4 日(土) 
 
13 時 30 分
受付開始(関西学院大学E号館 102 号室前)
 
 
14 時 00 分~16 時 30 分  
自由報告部会(関西学院大学 E 号館 102 号室)
 
司会:金明秀(関西学院大学)
 
1.孫・片田晶(京都大学)
在日朝鮮人 3 世の学生組織と
「学習」的実践としての在日アイデンティティ
 
2.金沙織(埼玉大学)
強制連行と療養所収容と――ハンセン病問題聞き取りから――
 
3.黒坂愛衣(東京外国語大学)
強制隔離と患者労働――ハンセン病問題聞き取りから――
 
4.福岡安則(埼玉大学)
「原告 vs.非原告」の対立図式を超えて
――ハンセン病問題聞き取りから―― 
 
16 時 40 分~17 時 30 分  
理事会・総会(関西学院大学E号館 102 号室)
 
17 時 40 分~18 時 20 分
優秀報告賞選考会議(関西学院大学E号館 201 号室)
 
18 時 30 分~20 時
懇親会(関西学院会館)
 
懇親会費
¥5,000(常勤職)
¥3,000(大学院生など)
 
 
2009 年 9 月 5 日(日)
9 時 45 分  
受付(関西学院大学E号館 102 号室)
 
 
10 時~12 時 30 分  
テーマ部会Ⅰ(関西学院大学E号館 102 号室)
 
テーマ:同和対策事業の光と影
――現場とアカデミズムの対話から――
 
司会  三浦耕吉郎(関西学院大学)
 
報告:
 
1.山本哲司(龍谷大学)
部落差別におけるアイデンティティ問題の諸相
――まちづくり事業を終えて
 
2.二口亮治(大阪市人権協会)
部落関係者とは誰か――新しい部落分散論に抗して
 
3.山本崇記(立命館大学)
京都市における「ポスト同和行政」の展開とその課題
――住宅地区改良事業と隣保事業という「呪縛」
 
討論者:黒坂愛衣(東京外国語大学)
川端浩平(関西学院大学) 
 
 
14 時 00 分~16 時 30 分
テーマ部会Ⅱ(関西学院大学E号館 102 号室)
テーマ:
ジェンダー・セクシュアリティ研究とアイデンティティ・ポリティクス
 
司会:風間孝(中京大学)
 
報告:
 
1.戸梶民夫(京都大学)
被差別者アイデンティティの語りの変化
――在阪性的少数者グループの参与観察から
 
2.堀江有里(立命館大学)
〈アイデンティティ〉の共有と抵抗の不可能性
          ――ある性的少数者コミュニティの事例から」
 
3.菊地夏野(名古屋市立大学)
フェミニズム理論におけるアイデンティティの限界と可能性
――バトラー/コーネル/スピヴァク
 
コメンテーター:高橋慎一
渡邊太(大阪大学) 

 移民研究の分野には、「移民に対して偏見や悪感情が高揚するのはどういう場合か」という問題設定があります。ある国では移民が歓待されているのに対して、別の国では犯罪者同様に忌み嫌われている。その差はどこにあるのか、ということですね。

 いろいろな仮説が提唱され、様々な国で検証が行われていますが、多くの国の調査で統計的に有意な説明力を安定して示す仮説がいくつかあります。その一つは、「移民はこの国の役に立つ」と信じている人ほど移民に悪感情を持たない、というもの。逆にいえば、「移民はこの国の厄介者だ」と信じている人ほど移民の排斥に賛成する、という仮説です。

 リベラルなスタンスからは、「人のことをまるでモノのように《役に立つ》などと、いったい何さまなのだ」という倫理的反発を覚える方もいらっしゃるでしょう。しかし、例えば、こちら(不景気だからこその移民政策のススメ - My Life After MIT Sloan)のコメント欄をお読みいただくだけで、この仮説がどのような人々を説明しようとしているのか、お分かりいただけると思います。

 この仮説については、後日いくつかの文献を詳しく紹介する予定ですが、直接的には今回のテーマではありません。今回とりあげるのは朝鮮学校です。

 朝鮮学校といえば、チョゴリ切り裂き事件に象徴されるように、時として憎悪の対象となってきました。暴力を振るわないまでも、「独裁者崇拝を教える異常な学校」という認識を持つ人は少なくないようです。そうやって、朝鮮学校を「この国の厄介者だ」と思っている人々が少なからずいるかぎり、朝鮮学校が偏見や憎悪の対象から外れることは期待しにくいでしょう。しかし、今後とも在日コリアンが日本に定住していく以上、それは誰にとっても不幸なことだといえます。

 つまり、今回のテーマは、朝鮮学校が《日本の役に立っている》理由を整理してみよう、ということです。題して、「朝鮮学校が日本に存在する5つのメリット」。読者の皆さんは、この思考実験を経ることで、無償化排除問題などについて意見がよりポジティブな方向に変わるかどうかをそれぞれ自己検証してみてください。

 なお、この記事ではあえてマジョリティ視線に立って、パーソンズのAGIL図式を手掛かりに話を進めていきます。

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 まずは「適応(Adaptation)」から。これは、システムの外部に働きかけて必要な資源を調達するサブシステムのことで、国家レベルでいえば経済にあたります。日本経済に朝鮮学校が寄与していることは何か?

【メリットその1 韓国・朝鮮語話者の大量供給】

 朝鮮学校は韓国・朝鮮語話者を継続的に輩出しています。2000年からの韓流を支えたドラマや雑誌の翻訳は、そのほとんどが朝鮮学校出身者の手によるものです。韓流による経済効果は、朝鮮学校が支えたといっても過言ではありません。

【メリットその2 誕生圏経済のリクルート源】

 これは朝鮮学校というより在日コリアン全体にいえることですが、1980年代に入るまでは非常に厳しい就職差別があったため、学歴にかかわらず一般企業に勤めることは非常に困難でした。その結果、在日コリアンは自ら起業するケースが多かった。

 統計の取り方(「自営」の定義)によりますが、なんと在日コリアン男性の5割から6割が自営業主です。この比率は日本人男性の2倍以上。いかに自営業に追い込まれてきたかわかりますね。

 しかし、裏を返せば、自営業のノウハウと知識と人脈を持ち、ベンチャー起業のリスクを果敢にとりにいける人材を、朝鮮学校は大量供給しているともいえます。国家の庇護に頼らない自由で不羈の企業人を朝鮮学校は輩出してきたというわけです。

 日本にもグローバリズムが浸透しつつある中で、在日コリアンは貴重な生存戦略のモデルを提供してくれるかもしれませんよ。

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 次に、「目標達成(Goal attainment)」について考えてみましょう。これは、システム共通の目標に向かって外部に働きかけるサブシステムのこと。国家レベルでいえば政治(外交)にあたります。日本政治に朝鮮学校が寄与していることは何か?

【メリットその3 北朝鮮との外交カード】

 ときどき、北朝鮮の人権侵害を批判しながら、朝鮮学校を差別しようとする政治家がいます(例えば「橋下府知事の発言をめぐる諸問題」)。

 しかし、これはまったくナンセンスな話であって、こんな論理矛盾に満ちた主張をしているかぎり、日本政府の北朝鮮批判は国際社会で通用しません。事実、日本政府が行っている朝鮮学校に対する差別は、国連の諸機関で批判の対象となっており、北朝鮮が日本を批判する糸口になってしまっています。

 でも、裏を返せば、日本政府が朝鮮学校をきちんと処遇しさえすれば、人権外交上のポイントになりうるわけです。

 拉致問題以降、北朝鮮外交といえば「圧力をかけろ」の一辺倒で、実質的には、むしろ日本は外交カードを何も持っていない状態です。朝鮮学校の存在は、北朝鮮外交の閉塞状況を打破する重要なカードになりえます。

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 次は、「統合(Integration)」。これは、システム内部の利害を調整するサブシステム。国家レベルでいえば、共同体や司法がそれにあたります。日本の共同体や司法に朝鮮学校が寄与していることは何か?

【メリットその4 「民主主義の学校」の教材】

 A.トクヴィルやJ.ブライスの言葉を受けて、「地方自治は民主主義の学校である」と論じられることがありますね。そのココロは、「地域共同体という身近な環境で身近なテーマについて民主的に解決する訓練を積まないかぎり、国家という巨大な機構を民主的に運営することは難しい」ということです。

 その点、朝鮮学校は共同体内にある非常に身近な異文化集団です。これを安易に排斥しようとせず、利害を調整しながら上手に付き合うスキルを習得することができれば、日本の民主主義はきっと成熟の度合いを深めることでしょう。 

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 最後は「潜在(Latency)」。 これは、シンボルによってモノゴトを意味づけることで、集団のパターン(◎◎らしさ)を維持するためのサブシステムです。少しわかりにくいですかね。文化を維持するサブシステムと言い換えてもかまいません。国家レベルでいえば、教育やマスメディアなどの社会化エージェントが相当します。

【メリットその5 カウンターカルチャーの供給基地】

 あえて人名を挙げるのは控えますが、日本を代表するような文化人には、在日コリアンが少なくありません。著名な文学賞を受賞した小説家、映画賞を受賞した監督、有名なアーティスト、等など。90年代には、「在日文学抜きにはもはや日本の文学を語ることはできなくなった」という声すらあったぐらいです。

 在日コリアンのハイブリッドな文化環境での生育経験や、マイノリティとしての被差別体験などが、日本人にとっての《あたりまえ》を揺るがすメッセージを生みだすためでしょう。1970年代以降、在日コリアンは、サブカルチャー、カウンターカルチャーの供給源であり続けてきました。

 ところで、それら在日コリアン文化人の多くが、朝鮮学校の経験者です。朝鮮学校は、いわば、日本におけるカウンターカルチャーの供給基地なのです。次の文学、次の芸術、次の映画が、いま、朝鮮学校で育っているのかもしれませんよ。

 ロバート・E・パーク(1864-1944)といえば、「社会学入門」で必ず習う巨人の一人です。いわゆるシカゴ学派の隆盛を支えた最重要人物で、都市社会学や人種・民族関係論に深い足跡を残したことで知られています。

 パークは社会学説史上の輝ける星です。しかし、ずっとアカデミアで活躍してきたわけではありません。ミシガン大学でジュン・デューイに師事し、実践的な問題への関心を深めた後は、大学院へと進学せずに人権派ジャーナリストとして全米各地で約10年の経験を積みます。特に人種問題には強い関心を示し、ベルギー領のコンゴで土地の人々がベルギー王室からきわめて過酷な扱いを受けていることを知るや、国際紙上での告発を通じて対応を改善させたこともありました。今ならめずらしい話ではありませんが、なにせ19世紀のことです。奴隷解放宣言からまだ30年前後という時代なのですから、パークが当代随一の人権家であり、理想家であったことは間違いありません。

 その後は大学院でふたたび学問を修め、シカゴ大学に就任してからは偉大な研究業績を量産していきました。日本ではパークの業績として都市社会学の研究ばかりが紹介されますが、アメリカでは彼のライフワークとして人種関係論を挙げる人が圧倒的に多い。パークはアカデミアにおいても実践家であり、特に人種問題には一貫して関心を示し続けてきたからです。 

 そんなパークですが、現代のアメリカにおいては、どうにも人気がない。それどころか、リベラル気質の若い研究者たちから「彼はレイシストだ」と忌み嫌われていたりします。人権家であったはずのパークですが、いったいなぜ没後に評価が反転し、こともあろうに「レイシスト」と呼ばれるようになってしまったのか。

 そのことを議論する前に、まずはパークの業績を少し紹介しておきたいと思います。パーク自身は「人種関係循環モデル」(1921年)と名づけたものの、現在はより簡単に「同化理論」と呼ばれている論考です。

 パークらによると、文化的に異質な集団が「接触」した後に生じる相互作用には、段階的な4つの類型があるといいます。すなわち:

  1. まず、稀少資源の獲得をめぐって各集団がそれぞれ「競合」し、経済的に分業が成立するステージをへて、
  2. 努力目標が競合集団への政治的攻撃に転化する「葛藤」のステージにいたる。
  3. 競合や葛藤によるコストを軽減するために、各集団は文化的独自性を保ったまま、一定の「適応」の努力をするようになり、
  4. ついには、競合集団の文化や価値を完全に受容する「同化」の段階に達する。

 パークは科学的な一般理論指向が強い研究者でしたので、「人種関係循環」についても科学的一般性を備えていると信じました。「接触から競争へ、競争から葛藤へ、葛藤から適応へ、さらに同化へと必然的に社会体系は変動し、このコースを変えることはできない」と。

 さて、パークの理論に対しては、3つのスタンスから批判が寄せられています。

 第一の批判は、同化が「必然的に進行するプロセス」というのは誤りだ、という指摘です。たしかに、(1)から(3)までは、非常に多くの国の移民集団で共通して観察される現象だといえます。それに対して、(3)から(4)にいたる同化プロセスは、どこの国のどの移民にも当てはまる話とはいいがたいのですね。むしろ、パークの後を引き継いだミルトン・ゴードンによると、(3)までで同化は止まってしまって、その先には進まないケースが多い。

 また、理論的にも(3)から(4)にいたるプロセスの説明があいまいです。大まかに彼らの主張をまとめるに、(a)時間の経過とともに移民後の世代交代が進行し、(b)エスニック・ゲットーから郊外に居住地を移す者が増加する、(c)それによって、地域的な隔離が解消する。また、(d)社会階層の民族間格差も自然と減少していく。(e)そうしたプロセスは、民族集団の集合性と独立性を解体することになり、(f)同族内のコミュニケーションを減少させ、(g)アングロ・サクソン系の文化に同化する「アメリカ化」が達成されるのだ、と。しかし、人種主義が激しければ、いくら世代交代が進んでも階層移動や地域移動が進まないケースはいくらだって考えられますので、彼らの説明は論理に飛躍があるといわざるをえません。

 第二の批判は、あまりにも理想主義的だ、というもの。

 パークらがこの理論を提出した時期は、アメリカ南部諸州において事実上のカースト制が法制化されていたいわゆる「ジム・クロウ期」のまっただ中であり、法によって人種の隔離が義務づけられ、法の外ではクー・クラックス・クラン(KKK)による大々的なリンチが繰り広げられていた時代でした。いわゆる「人種主義の世紀」の真っ只中です。当時のもっとも一般的な反応は、「ヨーロッパからの白人移民集団すら交じり合うのが難しいのに、アジア系や黒人と完全に同化するなんて気持ちの悪いことをいうな」というものだったでしょう。(というようなことが論文にチラと書かれていました。)

 ところが、時代を経て1960年代に入ると、しだいにリベラル勢力から批判を受けるようになっていきました。すなわち、上述のような時代に、たいして説得力のある根拠を示すわけでもなく、同化が「必然的に進行するプロセス」などと主張するのは、厳しい差別の現実が見えていない証拠だ、というわけです。

 たしかに、人種・民族間の競合が生じるのは、多くの場合、支配的な民族集団と従属的な民族的マイノリティのあいだです。したがって「葛藤」とは、事実上、支配的民族集団による民族的マイノリティへの抑圧や収奪を意味します。このような権力関係は、マジョリティ側が権益を得る構造である以上、むしろ安定的なものであるとみなすほうが自然です。つまり、パークらの言うように適応、同化へと移行する動因が論理的に成立しないのです。にもかかわらず、パークらが同化は自然に達成できると主張したのは、人種主義へのアンチテーゼを過度に意識するあまりに、ある種の理想を論じたのだと解釈せざるをえないのですね。

 第三の批判は、同化そのものを理想視する視点が非倫理的である、という批判です。1970年代ぐらいから、多文化主義の進展とともに、「同化は『差異への権利』を暴力的に抑圧する人権侵害」であるという理解が普及し、今では、「同化=人種主義的」という考え方が一般的になっています。

 日本ではむしろ、同化は共同体が示す善意であり歓迎の表現とされます。例えば、転校生が土地の言葉を話すようになると、ようやく「本当の仲間になった」と喜んだりしますね。在日コリアンに対して、本当の仲間になってほしいからこそ日本に帰化してほしい、などの表現もよく聞かれます。だから、アメリカでは同化を非倫理的だとみなす視点が一般的になっていると聞いても、ピンとこない人が多いかもしれません。

 でも、たとえば次のようなケースを考えてみてください。 

 Aさんは京都の女子大学を卒業し、東京で就職しました。職場で同じ京都出身の男性と知り合い、すぐに結婚し、子どもが産まれました。家庭内ではみんな京都の言葉を話します。

 ある日、子どもが幼稚園に入りたがらない。どうしたのかと思っていると、別のお母さんが話しかけてきた。いわく、「お宅のお子さん、私たちの子どもと遊ばせないでいただけませんか? 関西の下品な言葉がうつっちゃうと困るんです。標準語を話せないなら、もうこの幼稚園から出て行ってほしいんですよね。」

 Aさんは仕方なく、子どもに東京の言葉を使うように促すのですが、「今日さぁ、幼稚園で友だちに笑われちゃって、なんだかイヤになっちゃったよ」などとなじみのない言葉を話すのを聞くと、わが子への愛情が薄らいでしまう気がするのでした。

 どうです。Aさんの立場からすれば、ずいぶん屈辱的な状況でしょう。心の痛む場面だと思いませんか。自分が母親に話しかけたのとは違う言葉で自分がわが子から話しかけられるんですよ。それはさびしいものです。自分で納得して土地の文化になじむのであればまだしも、半ば強要されてのことですから、屈辱感や寂しさはいっそう引き立ってしまいます。それが、同化というものです。同化には心の痛みが伴うのです。

 上述の通り、70年代ぐらいからアメリカではこうした事情が知られるようになり、その結果、同化を強要したり、同化を理想視する考え方を、非人道的であると批判するようになっていったわけです。また、同化させる側の文化を優位にとらえているという意味で、異民族を同化させようとする人を「レイシスト」と呼ぶようになっていきました。

 パークは人種関係論に社会学的視座を持ち込んだ初めての偉大な人物であり、その業績である同化理論があまりにも有名であったため、「同化の象徴」として嫌悪されるようになったのですね。

 永住外国人に地方参政権を付与する法案はけっきょく日の目を見ませんでしたが、それに関連して一言いっておきたいことがあります。

 宮台真司氏のブログhttp://www.miyadai.com/から、「外国人参政権問題について週刊SPA!12月15日号にコメントしました」の一部を引用します。

■外国人参政権を考える上で、在日韓国・朝鮮人とそれ以外を分ける必要があります。在日韓国・朝鮮人以外の永住外国人は、'90年の入国管理法改正(永住権のない外国人を柔軟に受け入れることを目的として「定住者」という新しい在留資格を創設するなどした。これで日系外国人の在留が激増)大量に入国した日系人が中心です。
■在日韓国・朝鮮人については国籍取得が容易なので、参政権を求めるのであれば国籍を変えていただきたい。帰化をすればエスニック・アイデンティティに瑕がつくとの反論もありますが、国籍とエスニック・アイデンティティを分けて考えるのが国際標準なのです。

 シッタカブリというか、なんというか...。初めてこれを読んだときは呆れて物もいえなかったけど、その後、TBSラジオの「アクセス」でも、在特会レベルのご高説を自信たっぷりに開陳していたようですね(2月16日)。ヘイト・スピーチといっても過言ではない内容です。

特別永住者の方々が最初は2世までという約束で基本的には国籍を取っていないのに日本人に準じる権利を様々に与えられというのは、ご存知のように在日の方々の多くが強制連行で連れてこられたという左翼が噴き上げた神話が背景にあるんです。在日のなかで強制連行されてきた方というのはごく一部で、大半は一旗上げにやってきた人達なんですよ。ただ、区別がつかないから、あるいは戦争に負けて罪の意識というか原罪感覚というのがあったのでしょうか、まぁ、色んな人が混ざっちゃっているけど、しょうがないということで分かってやっている感じで特別永住の方々に対する特権の付与をやってきたわけです。僕に言わせると、あえてそれをやっているという感覚が段々薄れてきてしまっていることも問題だし、1世、2世とは違ってエスニックリソースを頼らず、日本人のネットワークをそれなりに頼っている人間が増えたのに、まだ4世、5世にも特権を与えるのが続いているのはおかしいし

 完全にスルーしたままだと、彼が正しいことをいっているのだという誤解を広めてしまうかもしれないので、いささか出遅れた感はありますし、力不足ではありますが、ここらできっちり訂正する努力はしておくべきでしょう。

1. 平然とデマを流布する傲慢

 まず基本的な歴史の問題として、「特別永住者の方々が最初は2世までという約束で基本的には国籍を取っていないのに日本人に準じる権利を様々に与えられ」たという事実はない。これはおそらく、「91年問題」をご都合主義的に曲解しているのであろう。

 1965年に締結された日韓条約において、「協定三世」(実質的には在日4世以降にあたる)の滞在地位は、協定発行後25年(1991年)までに協議を行うとだけ定められた。これは日韓両政府が、戦後半世紀近くもたてば同化の進展により在日問題は《消失》している可能性があると期待していたことによる。いわば、在日韓国人は日韓両政府から保護の責務を放棄されたわけであって、けっして、「2世までという約束で......日本人に準じる権利を様々に与えられ」たわけではないのである。

 その証拠に、日韓条約締結後も、在日コリアンに対するさまざまな差別は温存された。1965年といえば、法務省の池上努氏が在日外国人を評して「権利はない」「追い出すことはできる」「煮て食おうが焼いて食おうが自由」だと表現した年である。いくつかの例外的な措置を除けば、外国籍者に基本的人権すらも認められていなかった時代の話だ。いったい、何をもって「日本人に準じる権利を様々に与えられ」たなどといえたものか。

 ねえ宮台さん。「2世までという約束で基本的には国籍を取っていないのに日本人に準じる権利を様々に与えられ」たという発言を裏付ける歴史的事実が何か一つでもありますか。特に、2世が活躍するようになった1965年から1981年までの間、「日本人に準じる権利」と呼べる「約束」なるものが、何かありましたか。ぜひとも、証拠を示してほしいもんです。

2. 歴史問題を矮小化する傲慢

 宮台氏は「在日のなかで強制連行されてきた方というのはごく一部で、大半は一旗上げにやってきた人達なんですよ」という。

 なるほど、それは《ウソ》とは言い切れない。いわゆる強制連行で日本に渡ってきた在日一世の男性は2割程度だと推定されている。逆に言えば、8割は出稼ぎだ。したがって、ミクロな次元では、「一旗上げに」海を渡ったケースも当然多かったろう。

 だが、日本が朝鮮半島を植民地支配した36年の間に、朝鮮半島からは膨大な人口が半島外に流出した。植民地支配のプロセスで、伝統的な社会秩序と経済基盤が崩壊したためである。そうしたマクロな社会状況に言及することなく、ミクロな次元でのみ捉えようとするのは公正な視点とはいえない。

 社会学では、こうしたマクロな社会状況の影響で生じた社会移動を「強制移動」と呼ぶ。純粋に自発的な意思で移動したと推定される移動(「純粋移動」)とは区別して分析するためだ。宮台氏も、社会学者である以上、そうした用語法と分析視角についてまったく知らなかったということはあるまい。

 おそらくは、意図的に、在日コリアンの歴史を、ミクロな次元に矮小化しようとしたのであろう。そのことについて、倫理的な問題を責めようとは思わない。だが、少なくとも社会学者として、恥ずかしいとは思わないのかね?

3. マイノリティの生き方を決め付ける傲慢

 ぼくはかつて、「在日コリアンに地方参政権の門戸を開くかどうかというのは《日本人の問題》だ」と書いた(外国人の地方参政権 #1)。すなわち、日本で生まれ育ったにもかかわらず意思決定に参加できない者がいるということを不正義だとみなすか、それとも、「ガイコクジン」だから仕方がないと排除するか、それを責任を持って決めるのは日本人の課題だということだ。

 議論のうえで、やはり外国人には意思決定に参加させられないというのなら、(参政権が認められないことではなく隣人として受け入れられなかったことが)たいへん残念ではあるが、一つの結論として重く受け止めよう。

 だが、「参政権を求めるのであれば国籍を変えていただきたい」などと、マジョリティの知識人が、マイノリティの生き方に口を挟む暴力を、ぼくは許すことができない。

 かりに、宮台氏が「特別永住者には無条件で日本国籍を選択できるようにすべきだ」という言論を同時に展開しているのであれば、まだロジックとしては理解できる。だが、参政権がほしければ頭を下げて仲間入りを請えといわんばかりの一方的な放言を、けっして認めることはできない。

 宮台氏はこうもいったらしい。「日本人のネットワークをそれなりに頼っている人間が増えたのに、まだ4世、5世にも特権を与えるのが続いているのはおかしい」。

 なるほど、「おかしい」だろう。「3世以降になっても外国籍のままであるのはそれ自体が人権侵害である」との主張により国籍法を改正した国もあるほどだ。それを、外国籍のまま放置した旧宗主国の責任を問わず、一方的に「在日特権」呼ばわりするとは、宮台氏の認識こそ「おかしい」のではないか? 

 なお、私が日本の国籍を取得しないのは、「帰化をすればエスニック・アイデンティティに瑕がつく」からではないことを申し添えておく。

4. 「国際標準」を語る愚かさ

 宮台氏は、「国籍とエスニック・アイデンティティを分けて考えるのが国際標準」であるという。ほお、ずいぶんと世界のエスニック・マイノリティについて詳しいらしい。宮台氏にそんな研究業績があったとは知らなかった。

 確かに、国籍とエスニック・アイデンティティが独立しているケースは少なくない。出生地主義の国籍法を持っている国では概してそういう傾向がある。だが、国籍が移民のエスニック・アイデンティティに重要な役割を果たしているケースも少なくはない。「世界標準」などと乱暴に一般化できるようなものではないのである。というより、これだけ複雑で微妙な問題を「世界標準」などと一般化してしまうことで、自らの無知をさらけ出しているも同然である、とぼくは思いますがね。

5. 簡単ならやってみるがいい

 宮台氏は、「在日韓国・朝鮮人については国籍取得が容易」だという。ぼくには日本国籍を取得した在日コリアンの知人もいるが、「容易だ」などという人にはお目にかかったことがない。

 そんなに「容易」だと思うなら、宮台氏自身がやってみればいい。一度、日本の国籍を離脱した上で、再度、日本国籍を取得してみなさい。元日本国籍者は、在日コリアン以上に、日本国籍取得が容易らしいですよ。

 その上で、本当に「容易」だったというのなら、あらためてあなたの発言を評価することにしよう。

********************

【3月30日追記】→「その後の顛末」へ

卒論の思い出

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 昨日のエントリーを書いていて、ずいぶん昔に書いた卒業論文の「あとがき」を思い出しました。あまりにも気恥ずかしいのでやめようかなとも思いましたが、ちょっと思うところがあって、あえて公開することにしました。

 職業としての学問に着手したばかりの22歳の在日青年が、何を考え、どういう気持ちでエスニシティを研究テーマに選んだのか、一つのサンプルとして(できれば笑わずに)お読みください。

(BLOGOSさんへ事務連絡:本稿は転載不可です)

************ここから*************

 かつて両親が総連系の運動を支持していたこともあり、私は小学校教育の多くを福岡市にある民族学校で受けた。民族教育の甲斐あって、当時は生活の中にあるあらゆる民族的なものに対して絶対的な価値を感じとっていたものである。しかしその後のより高等な教育は日本の学校で受け、日本の友人とともに思春期を学ぶうちに、ちょうど日本人の若者が日本民謡や演歌に対して抱くものと同様の感覚でもって朝鮮の歌を聴くようになり、ついには「朝鮮」という言葉そのものになにかしら古くさく因習的で、克服すべきなにものかであるような語感が付けくわわるようになった。

 私の高校三年生は、この89年と同じく革命ラッシュであった。韓国ではオリンピックを目前にして全社会構成員的なデモがくり広げられ、フィリピンでは2月革命が一応の勝利をあげた。どちらの場合も独裁者は因果の報いを受け、隠遁の生活を余儀なくされるようになった。それをテレビでみていた私はといえば、まあ日本の報道の性質にも大きな問題はあったと思うが、フィリピンの民衆蜂起に対して全身を震撼させ心を高揚させる一方、韓国の学生・市民運動については「またやっているのか」といった程度の冷めた失望感しか感じえなかったのである。

 また高校時代といえば、ひも解いた本の中で一番こころに残っていたものは知里幸恵さんの『アイヌ神謡集』の序にこう書いてあったことである。「愛する私たちの先祖が起伏す日頃互いに意を通ずる為に用いた多くの言葉、言い古し、残し伝えた多くの美しい言葉、それらのものもみんな果敢なく、亡びゆく弱きものとともに消失せてしまうのでしょうか。おおそれはあまりにいたましい名残惜しい事で御座います。」同じ頃、「朝鮮」や「在日」という言葉のついたものには興味を示しさえしなかったのにである。

 とはいうものの、人格形成期に受けた民族教育のおかげか、転校後の小・中学校で下劣な輩に浴びせられた罵倒語への反感によってか(これはいまもって消え失せることはない)、あるいは日頃の会話の中で日本人の友人達によって発せられる無意識的な差別発言によってか、いずれにしても「日本」への愛着は進まず、また「朝鮮」に対する呪詛も捨てきれはしなかった。

 そういった私の歪んだ民族感情が、再び呼び覚まされ意識にのぼるようになり、すこしずつはっきりと形をあらわにしていったのは、学生組織で精力的に活動を行っている同胞の友人達や誠意ある日本の友人達との、たゆまない議論と対話におかげをこうむっている。

 はたしてこの論文は、同胞社会への、そしてひいては人類的な倫理社会への貢献を目指したものであるということもさることながら、自らの呪詛を清算し自らを再び問いなおす意味をもったものでもある。

 前者の意図がどこまで達成されたかは非常にこころもとないが、後者については、一つの形あるものを著すきっかけとなってくれた友人諸氏にお礼を言いたい気持ちでいっぱいである。

 朝まで議論を尽くしてくれた友人、面倒な調査に協力していただいた方々、草稿の一部を熱心に目を通していただいた先輩方に、この場を借りて心からの感謝を捧げさせていただきたい。

 まず、日本政府が1994年に批准した「児童の権利に関する条約」から、2つの条文を紹介します。

第2条
1 締約国は、その管轄の下にある児童に対し、児童又はその父母若しくは法定保護者の人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的、種族的若しくは社会的出身、財産、心身障害、出生又は他の地位にかかわらず、いかなる差別もなしにこの条約に定める権利を尊重し、及び確保する。

第29条
1 締約国は、児童の教育が次のことを指向すべきことに同意する。
(a) 児童の人格、才能並びに精神的及び身体的な能力をその可能な最大限度まで発達させること。
(b) 人権及び基本的自由並びに国際連合憲章にうたう原則の尊重を育成すること。
(c) 児童の父母、児童の文化的同一性、言語及び価値観、児童の居住国及び出身国の国民的価値観並びに自己の文明と異なる文明に対する尊重を育成すること。
(d) すべての人民の間の、種族的、国民的及び宗教的集団の間の並びに原住民である者の理解、平和、寛容、両性の平等及び友好の精神に従い、自由な社会における責任ある生活のために児童に準備させること。
(e) 自然環境の尊重を育成すること。

 第2条を読めば、政治的主張を理由として朝鮮学校のみを無償化対象から除外するのは、明らかに同条約が禁止する差別ということになります。日弁連の会長声明が明快に断言したように、法的な観点からは「この差別を正当化する根拠はない」のです。朝鮮学校のみを無償化対象から除外することは、きわめて違法性の高い差別政策だということになります。この点に議論の余地はありません。

 しかし、このことについてはすでに「橋下府知事の発言をめぐる諸問題」において簡単に触れていますので、今回のエントリーでは第29条をテーマに取り上げたいと思います。

 第29条第1項の(C)は、民族教育の尊重を謳った条文です。ややあいまいな記述にはなっていますが、民族文化や出身国の政治的伝統を重視した教育は、「18歳未満のすべての者」(第1条第1項)にとっての権利だというわけです。

 気づいている人はあまり多くはありませんが、日本人はちゃんと日本の学校で民族教育を受けています。まず、日本語の教育を受けられますね。日本の歴史も学べます。しかも、2千年も歴史の違うギザのピラミッドと仁徳天皇稜を比べて、日本の陵墓が世界一だと誇らしげに記述してあったりします。高校だと柔道や剣道を正課で学ぶこともできます。《立派な日本人》になるための教育がいろいろと用意されているわけです。

 その結果、諸外国の青少年に勝るとも劣らない強さの国民的プライドを日本の青少年は持っている、ということが国際比較調査によって明らかになっています。日本の教育を受けると自虐的になると批判する人もいますが、そのような事実は科学的には観察されていません。

 一方、在日コリアンはどうでしょうか。日本の学校に通うかぎり、在日コリアンとしての民族教育を望むことは難しい。事実、私が1993年に関わった調査では、韓国籍の青年のうち、母国語を「まったく話せない」か「いくつかの単語しか知らない」者が7割を超えています。いわば、民族的に文盲のまま放置されているわけです。

 しかも、日本の教科書には、朝鮮半島の歴史は「わざとか?」というほど登場しません。 出てくるといえば被征服の記述が中心となります。それで、ルーツに誇りを持って健全に生育せよというほうに無理がある。上述の調査で、「あなたはこれまでに,在日韓国・朝鮮人である自分を嫌だと思ったことがありましたか」という設問に対して、64%が「あった」と回答しています。

 そうした中で、体系的な民族教育を全国規模で実現している唯一の機関が、朝鮮学校です。日本人の子どもたちが日本の学校で自然な日本人に育っていくのと同じように、朝鮮人の子どもたちが朝鮮人として自然なプライドを身につけていくことができる、唯一の環境だということもできます。

 ミクロなレベルでいえば、日本の学校に通いながらも、在日コリアンとしてのプライドを持つにいたるケースも中にはもちろんあります。しかし、マクロなレベルでいえば、朝鮮学校を否定するということは、実質的に、在日コリアンに対する民族教育の機会を否定するということです。

 大阪府の橋下知事は、朝鮮学校を、その政治的姿勢ゆえに批判していますが、だったら、朝鮮学校と同等の民族教育を保障する政治的に中立なシステムを府下に作ってみればいい。その上での朝鮮学校批判ならば説得力もありますが、現状のやり口は、権力をかさにきたレイシズムの吐露にしか見えません。

 民族教育の多様な選択肢がある中で朝鮮学校だけが攻撃に晒されているのならば、(もちろん、それも人権侵害ですが)まだしも救いはあります。しかし、朝鮮学校は、日本で在日コリアンの児童に権利として民族教育を保障する、現状で唯一の機関です。

 したがって、朝鮮学校のみを無償化の対象外とすることは、実質的に、在日コリアンの子どもたちが在日コリアンとして健全に生育する機会を否定するのと同じだということです。

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 差別論のシリーズの途中ですが、ちょっと必要があって、HAN A面オンラインドキュメントに下記の雑文をアップしました。

 「マイノリティの戦略

 以上。

 前回のエントリーで、「衝突壁」については別の機会に、と述べましたが。でも、よく考えてみると、2003年ごろに中学校の先生方を対象とした講演会で同じようなことをしゃべったことがありましたので、そのテープ起こしの内容を紹介することにしましょう。

――――――

 しかし、ナショナリズムに関するどういう情報を、どういったふうに消費していったらいいのか、おとなたちも迷っているというのが現状です。左右両翼が入り混じって《国家的な自分探し》をしている感じですね。そうなると、高校生たちなんか、ナショナル・アイデンティティを模索し始めたばかりだし、まして、中学生ぐらいになるとはじめてナショナリズムというものを意識化するようになったばかりという年齢層でしょう。ナショナリズムが自分探しとリンクしているような気がするけれども、その正体はわからない。

 そういうときにどうするか。「日本人としてのぼくはどうすればいいのだろう、どういう考えをもてばいいのだろう」といった疑問を解消するために、「非日本人」という《外部の存在》を利用するわけですね。どういうふうに利用するのかというと、ちょうどガードレールにぶつかっていくイメージです。

 たとえば、皆さんがお持ちの生徒さんたちも、「自分はどこまで自由を持っているのだろうか」ということを確認したがります。そして、それを確認するために、わざとルールを破ったりしますね。そして、「あっ、ここまでならOKなんだ、ここまでやったら、ダメで怒られちゃうんだ」というふうに、わざわざ、ルールを故意に破って、ルールの外延を確かめていくということをしますね。それと同じく、自分のアイデンティティがわからないとき、そのアイデンティティの輪郭をはっきりさせるために、自分と他者との境界線を探ろうとします。その時に利用されるのが、《外部の存在》であるマイノリティなわけです。

 ちなみに、アイデンティティの問題は、民族差別にかぎらず、ほかのどれでも一緒です。外部を利用することによって、「わたし」や「われわれ」を確認しようとする。

[...中略...]

 それと同じように、日本人らしさを確認するために異文化マイノリティに衝突して確かめてみる、ということがありうる。つまり、マイノリティ、例えば在日韓国・朝鮮人というのはこういうやつらなんだというイメージをまず作り上げる。そして、そのイメージを攻撃する。そして、その攻撃したことに対する反論を受けてそれによって「ああ、日本人っていうのは、こういうふうに見られるんだ」とか、その反論に対して再反論をしていくことによって、「ああ、日本人はこういうふうに言論を申し立てていくべき存在なんだ」ということを理解しようとしているわけなんです。

 先ほどの読み上げましたメッセージは、その典型的な事例であると言っていいと思います。

 マイノリティ、民族的マイノリティとは、さまざまな部分で権力的に少数派に置かれた人々のことをいいますけれども、社会的には非常に不利な位置にある。のみならずマジョリティが自分らしさを探すためにガードレール役として、(ガードレールとは英語ではクラッシュバリアですけれど)、クラッシュする対象として利用されていく。そういう形でも差別が起こっていっているということです。

 先ほども申し上げたように、ここで紹介したメッセージはむしろ柔らかい方で、インターネットではより過激な、あるいはよりグロテスクなマイノリティ攻撃が、今や主流となりつつあります。《自分探し》のための新しい差別の登場です。

 前回、「在日コリアンに地方参政権の門戸を開くかどうかというのは《日本人の問題》だとぼくは思っている」と書きました。つまり、日本人の寛容性の問題であり、日本人の地域観の問題である、という文脈でこの言葉を使ったわけですが、じつは別の文脈にもこの言葉は当てはまります。

 つまり、日本人のナショナリズムの問題だ、という意味です。もう少しわかりやすく言うと、外国人の地方参政権をダシにして日本人が国民的アイデンティティを模索している側面があるという意味です。もっといえば、日本人が「日本人とは何か」という問いを立てるために、外国人を衝突壁として利用するのはやめてほしい、ということです。

 ...ってネタフリに続けて詳しく説明しようと思ったけど、なんだか気分が乗らないから、この話はここまで。やっぱり別の話にします。ただ、ネタフリの最後にある「衝突壁」については、ヘイトクライム#2を書くときにあらためて言及しましょうか。

 今朝、Zeitbedingtさんがツイッターでこう書きました。

参政権を社会貢献の手段ととらえる見解には、あんま馴染めない。参政権の法的性質としてあえて公務性を否定しようとは思わないけど、社会貢献って法的性質じゃないし。実際、多くの投票者は自己利益に合致する(または反しない)代表者を選んでるだけじゃなかろうか。

 これはおそらく、ツイッターの仕組みを理解していなかったために幻となったぼくのつぶやき(↓)を念頭に書かれたのではないかと。

@nasukoB はじめまして。参政権というのは社会に貢献する手段ですから、日本や地域社会への愛着が強く、いっそう貢献したいと考えている在日ほど欲しがります。逆に、日本は外国だと思っている在日は欲しがりません。一般論として。

 なるほど、投票行動は自己利益を最大化するように行われるのだから、それを「社会貢献の手段」と表現するのは不適切だという指摘には、うなずかざるをえないかも。

 ただ、現時点で参政権を持たない在日外国人が参政権の獲得を望むとき、背後にあるのは具体的に誰かに投票したいということではなく、もっと抽象的な、「私も地域の一員として意思決定の代表者を選ぶプロセスに参加したい」といった気持ちでしょう。

 この点に関して紹介したいデータがあります。『在日韓国人の社会成層と社会意識全国調査報告書』の13章「権利」です。より具体的には、「日本の参政権」を望む理由についてロジスティック回帰分析を行った箇所。

 分析モデルがラフなので、この結果が一人歩きするようだと困るのですが、ここで注目してもらいたいのは「地域活動参加」の係数が有意だということです。4章「地域移動」、5章「地域意識」、11章「愛着」もあわせてお読みいただけると、このデータの意味が間接的にイメージできると思います。

 すなわち、在日コリアンはみな地域に強い愛着を抱いているが、普段から地域活動に参加し、今以上に愛着を持てる地域を創りたいと願う人、今以上に地域への貢献を求めている人ほど、地方参政権を求めているということです。

 最後に、関連する話題なので古いエッセイを一つ紹介して終わります。

 福岡安則「『在日』と日本人との共生は可能か」(月刊『アプロ・21』)

 先日、李怜香さんがツイッターに書いたこと。

永住外国人地方参政権法案に反対する人の特徴は、わたしが外国人だというと、意見もまったく聞かず、参政権法案に賛成だと決めつけて話をすすめるところだね。賛成反対どころか、言及さえしてないのになぁ。超能力者か(笑)

 それに答えてぼくが書いたこと。

ぼくも、地方参政権については賛否を公言したことは一度もないんだけど、その手の人々は賛成だと思い込んでくるね。金明秀ではなくザイニチという記号を相手にしてるんだろう。

 あぁ、字数だけ気にしてたら、めちゃくちゃ偉そうにタメ口つかってる...。ごめんなさい。

 ともかく、ぼくはこれまで、とても仲のよい友人を除けば、地方参政権について個人的見解を披露したことがありません。正確に言うと、HANBoardなどに、地方参政権を外国人に付与できるとする理論的な学究成果を紹介したことはあります。また、諸外国において移民2世以降の政治参加がどう扱われているかについて述べたこともあります。でも、ぼく自身がそれを肯定的に捉えているか否定的に捉えているかについては明言したことがありませんし、ぼくが参政権を欲しがっているかどうかについてはいっさい言及したことがありません。

 では、なぜぼくは、賛否を表明してこなかったのか。主たる理由の一つを紹介すると、在日コリアンに地方参政権の門戸を開くかどうかというのは《日本人の問題》だとぼくは思っているからです。

 外国人の地方参政権をどうするべきかについてはいろんな考え方があるものの、どれをとっても後付けのリクツにすぎません。そもそも、大量の移民の子孫が何代にもわたって「外国人」のままであるというのは、世界的にもまだ新しい状況なのですから、答なんてどこにもないのです。

 言い換えると、どこの国でも、そういう新しい状況に対して根源的な疑問を持ち、その疑問に答えるために、後付けのリクツを模索している最中なのです。

 その根源的な疑問とは何かというと、「自分の意思で国境を渡った移民一世はともかく、この国で同じように生まれ育ち、同じように社会に貢献している二世以降が、出自が違うということだけで政治的な権利を持たないというのは、ずいぶん不公正じゃないか? もしそれが法律だとしたら、その法律のほうがおかしいんじゃないのか?」 というものです。

 素朴で直感的な問いですね。でも、少なくともヨーロッパでは、それが始まりでした。つまり、隣人である移民の子孫が政治的に排除されている状況を、その国の国籍を持つ人々の多くが《おかしい》と感じる気持ち。自分の国はそんなに不公正で義理を欠く国だったのかという憤り。それが、外国人に地方参政権を付与しようという運動の出発点だったということです。

 以下は、日本人と在日コリアンに限定して話を進めましょう。というより、ぼくの私的見解の話に戻ります。

 日本国籍を持つ地域の友人・知人たちが、「同じ町の居住者である金君に選挙権がないというのはぜったいにヘンだよ。ずっとこの市に住んできたし、町内会の仕事もやってくれている。道路問題では行政との交渉で汗もかいてくれたじゃないか。人権講演会の講師も勤めてくれた。これだけ住民として貢献しておいて、政治的権利がないというのは、おかしいじゃないか。こんな歪んだ状況は隣人として許せない」と言ってくれるのであれば、選挙権を獲得した上で、地域の一員としての責務を今まで以上に全うしたいと思う。

 一方で、「へー、選挙権がないんだ。まぁ、国籍が違うんだから、しょうがないよね。文句があるなら国に帰れば? ともかく、ぼくの目に入らないところに消えてくれないかな。」と言うのであれば、そんな地域のメンバーシップ(=地方参政権)はいらないと思う。だいたい、外国人だから仕方ないなんて、20世紀の話だろう。グローバリゼーションの進んだ現代では、それじゃつじつまが合わなくなってきていて、どうすれば矛盾を解消できるかどこの国でも議論してるんだろうが。それを、ガイコクジンという記号としか見ようとせず、自分には関係のない話だと切り捨てるような輩が多数派であれば、そんな地域に貢献しようとは思わないということだね。

 つまり、ぼくの地方参政権に対する賛否(y)は、隣人たる日本国籍者たちが同じ地域のメンバーだと支持してくれる気持ちを持っているかどうか(x)の関数なんですね。ネットでは参政権付与に反対というテキストが目立つけれども、世論調査では賛成が過半数を占めているようですから、ぼくの気持ちも前向きになってきています。

 さて、最後に一つ大事なことを。

 ここまで読んで、「『どうしてもくれるって言うなら参政権を貰ってやってもいいよ』なんて、いったい何様なんだ。どうしてそんなに偉そうなんだ」と思ったアナタ! あなたは、ガイコクジンは頭を下げて参政権をこいねがうべきだと思っていることになりますね。それは傲慢ではないのですか? 偉そうなのはどっちかな?

ブログを移転して読者がいなくなったのを機に更新をストップしていましたが、関学での仕事も軌道に乗ってきましたので、学生たち、とくにゼミ生を主たる想定読者として、ぼちぼち更新を再開していきたいと思います。

さて、去る19日、下記のような京都弁護士会会長声明が出されました。

朝鮮学校に対する嫌がらせに関する会長声明
(京都弁護士会、2010年1月19日)

声明の内容を一部を引用すると、

2009年(平成21年)12月4日(金)午後1時頃、京都市南区にある京都朝鮮第一初級学校校門前において、授業中に、「在日特権を許さない市民の会」等のグループ数名が、「朝鮮学校、こんなものは学校ではない」「こらあ、朝鮮部落、出ろ」「お前らウンコ食っとけ、半島帰って」「スパイの子どもやないか」「朝鮮学校を日本から叩き出せ」「北朝鮮に帰ってくださいよ」「キムチくさいねん」「密入国の子孫やんけ」などの罵声を拡声器等で約1時間に渡って同校に向かって大音量で浴びせ続けるという事件があった。その際には、公園に置いてあった朝礼台を同校の門前まで運んだり、門前に集まって門を開けることを繰り返し求めたり、公園にあったスピーカーの線を切断するなどの行為も行われた。

 という差別事件があり、それに関して警察その他関係当局は必要な対処をすべきである、というのが声明の主旨です。

「在日特権を許さない市民の会」(在特会)というのは、ようするに右翼組織なのですが、従来の右翼組織とは2つの点で違いが見られるという印象を持っています。ひとつは、インターネットを利用して支持を広げていること、もうひとつは、近年の日本ではめずらしくヘイト・クライムを積極的に指向していること。つまり、差別発言を街宣車でがなりたてるだけでなく、暴力行為を行うところが目新しい。

例えば、西宮では、いわゆる従軍慰安婦を支持する集会に在特会が乱入し、けが人を出したそうです。支持者のレポートによると

今日関西の「慰安婦」問題各連絡会は、阪急西宮北口のロータリーで午後6時半より、第900回目の「水曜デモ」に連帯し、合同の「水曜デモ」を行ないました。...中略...およそ30人あまりの「水曜デモ」となりました。
ところが終盤になって宝塚方面から来た「在特会」が約30名が、警察の制止を跳ね除け、集会の中心のロータリーになだれ込みました。
いつもの事ですが彼らは「朝鮮人帰れ」「慰安婦は売春婦帰だ」「外国人参政権反対」売国奴小沢一郎」などと、大口スピーカーで怒鳴りまわめきながら、女性に体当たりしたり、口々に罵声を浴びせ、私たちが展示していたパネルを剥ぎ取り、足で踏みにじり、横断幕を奪い取ろうとしました。
そしてあろう事か、暴徒化した彼らは、1人でいた人や、写真を撮っていた人に襲い掛かり、引き倒し、羽交い絞めにし暴行を加えたのです。
この暴力によって1人の青年が後ろへ引き倒されて腕を怪我し、近くの病院で手当を受けたところ骨折はなかったものの、全治2週間の診断されました。

とのことです。

 アラスカからカナダに戻ってきたところで、デンプスター・ハイウェイを通って北極海に近いイヌビクInuvikという町に行ってきました。この町の発音は現地の人に聞いても「ヌビク」という人と、「イービク」という人が同じくらいいて、よく分からないんですよね。

 デンプスター・ハイウェイは、ダルトン・ハイウェイと同じく未舗装のハイウェイです。とがった小石がたくさんあるため、パンクがとても多いことでも有名です。ダルトン・ハイウェイに比べると、山の中を通るので見晴らしがよく、景観に優れているといえます。また、ダルトン・ハイウェイは終点に石油の基地以外に何もないのに対して、こちらはイヌビクという先住民の多い町がありますので、それなりに楽しめます。

 また、カナダで北極海に抜ける唯一の道路がデンプスター・ハイウェイです。極北のオフロードを走りたがるモータリストにとっては、アラスカのダルトン・ハイウェイと並んで「聖地」となっています。

 ここでもやはりファイアー・ウィードが印象的ですが、個人的に「ホーステイル」(馬の尻尾)と呼ばれていた雑草がたいへん気に入りました。乾燥すると種子が服につきまくるので現地では嫌われていましたけど。

 イヌビクまで行くためには、ユーコン川やマッケンジー川を無料フェリーに乗って渡ったりします。アメリカやカナダのナビゲーションソフトではフェリーのルートが登録されていないみたいで、イヌビクまで経路探索しようとすると「不明です」とエラーが出てきます。

 イヌビクは人口約3千5百人。日本の感覚だと少ないように感じますが、この緯度圏では最大規模の町です。もともと水害を逃れるためにインディアンとエスキモーのまちを移転してつくったのですが、北西カナダの拠点として発展してきましたので、今では人口の6割が非先住民です。

 イヌビクでは、よくもわるくも、先住民の現実をいろいろと目の当たりにしました。まぁそれを見にわざわざ行ったわけですが、後味の悪い旅でした。詳細はナイショ。

 往路もテントに5cmほど雪が積もったりしましたが(8月1日)、復路のデンプスター・ハイウェイは悪天候で苦労しました。ただ、気温が低かったおかげで、ツンドラが紅葉を始めていました。どの低木もカエデ並みに鮮やかに発色しています。全体がきちんと紅葉したらかなりの見ものでしょう。一目千本どころじゃなく、地平線まで視界に入るすべての植物が紅葉するのですから。

 日本から極北に旅行に行くときは、オーロラ観光のために真冬がハイシーズンとされていますが、個人的には9月がオススメです。2月に行ってオーロラが見えなければそれまでですが、9月に行けば、たとえオーロラが見えなくても、ツンドラの紅葉を楽しめるかもしれませんので。

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デンプスター・ハイウェイの入り口。ドーソン・シティから東に20kmほど。なんと8月1日深夜から早朝にかけて積雪があり、テントにも積もりました。昼過ぎには解けましたが、山の上には雪が残っています。道路はよく整備されていて、雪が降ってもおおむね硬くしまっています。ドロドロになるところもありますが。
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風雪で岩が崩れて表面を白い砂利が覆った山。赤土が露出したレッド・リバー雑草もワイルドフラワーもピンク色
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ハイウェイの脇にはまるで植えてあるかのようにファイアー・ウィードが生えています。高地を抜けます。森林限界線。湖のほとりにかわいらしい町がありました。対岸でなければおジャマしたところなのですが。
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ピール川の渡河フェリーまで2km小さな無料フェリーが往復して大河を渡してくれます。水辺に生える野草。緑の中に白くて清楚な花がフワフワゆれています。
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白樺、ブラックスプルース、ホワイトスプルースが混生しています。マッケンジー川の渡河フェリーを待っているところです。全長4千kmを超えるカナダ最長の川で、北米でも2番目の長さ。イヌビクに到着しました。エスキモーとインディアンの両方が暮らす町です。ただし、北西カナダの拠点として整備されてきましたので、現在は過半数の住民が非先住民です。
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一部のエスキモーが作る氷の家「イグルー」をモチーフとしたイグルー・チャーチ。土地に溶け込むことで先住民を一人でも"教化"しようとする教会の努力がうかがえます。ビジターセンターの外観。かっこいいでしょう。教会もビジターセンターも、しっかりと土台にすえつけられているように見えますが、ここの建物はすべて高床式です。地表が凍ったり解けたりを繰り返す永久凍土の影響を少なくするための知恵でしょう。上下水道も熱線入りのパイプがあちこちに張り巡らされています。これがホーステイルです。白と赤の2種類があって、赤いほうは成長につれて色が薄くなっていきます。これは若いのでワインレッドに近いですが、しだいにピンクを経て白っぽくなっていきます。群生するので、野原一面が赤やピンク色に染まってきれいです。ただし、乾燥すると種子が「ひっつき虫」になるので、現地では嫌われていましたが。
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キャンプ場の横を流れる川落ち込んだ気分の帰り道でしたが景色に癒されました。晴れた日に、遠くで降る雨を見るのは風情があっていいものです。「でも、あの雨の中を走るとなるとタイヘンなんだけど」と思っていると...
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案の定、ハイウェイは厚い雲の下へと入り、冷たく激しい雨にたたかれました。ツンドラの紅葉は本当にきれいです。まだ色づき始めたばかりというのに、この状態。ツンドラの紅葉もう一枚。発色が鮮やかです。

 アラスカには、ある種の人々を強く惹きつける磁場のようなものがあります。

 フェアバンクスの日本人はアラスカ大学関係者、旅行業関係者、その他、という3つのグループに分けられるのですが、その多くの方がこの磁場に引き寄せられるようにアラスカに定着しています。

 "その磁場の正体をきれいに言語化できたらこの調査は終了"

 と思って現地でインタビューを重ねましたが、ハッキリする前に残念ながら時間切れとなりました。中途半端なまま結果を刊行するか、再調査するか、迷っているうちに時間ばかりがすぎてしまいました。6月までに決着をつける予定です。

 さて、磁場の正体を明らかにするために、磁界の中心にあるのは何だろうかと考えてきたのですが、人によってその答えが違うのですね。

 当初は、トラッパー(罠猟師)やハンターなど、完全なブッシュ生活をしている人々が磁界の中心に近い存在だろうと思っていたのですが、これはカヌーや山歩きなどアウトドアライフに強い関心を持つ一部の人にとってのイメージにすぎませんでした。

 北の大自然(とともに生きる生活)はもちろん磁界の構成要素のひとつです。調査の語り手の言葉を借りるなら「北への憧れ」ですね。

 しかし、インタビューの全体像からいえば、それよりもむしろ、アラスカのどこか「のんびりした時間の流れ」や、アメリカ本土以上に個々人のライフスタイルを尊重する「こだわらないところ」を強調する語り手が多かったように思います。

 ぼくの専門のひとつであるナショナリズム研究の一環として、"人口の流出入の激しいアラスカでは、きっと民族問題も少ないにちがいない"、そう思ってはじめた調査ですが、むしろあまりにも民族間のトラブルが少なすぎて、調査の手がかりにすらならなかった印象があります。

 ここでは、先住民(いわゆるエスキモーやインディアン)以外はみんなよそ者なのですね。WASPだからといってこの地域の主流の地位を占めているわけではありません。先住民以外は、みんなただの「個人」なのです。

 アラスカは、そんな個々人をまるごと受け入れる大きさを持った土地です。そして、人々が厳しい自然と対峙するために、人種、民族、宗教の違いにこだわらず、困ったときには力をあわせて生きていく土地です。

 そうそう、「アラスカの人が好き」という語り手もいました。安易に人に頼らず、文字通り自分の手で問題を解決していく不羈の精神を持つ人々。そんなアラスカ人が好きだというわけです。

 こうしたさまざまな理由があって、ある種の人々にはアラスカがオーロラのように魅力的にみえるのでしょう。

デナリ

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 カナダはまだそれほどでもないのですが、アメリカの地名というのは、こう、情緒がないというか、即物的というか、とにかく味気ないところが多いです。

 川沿いだからリバーサイド。崖があるからクリフ。赤土の流れる川だからレッドリバー。ラジウム温泉が出るからってRadium hotsprings、硫黄の山だからってサルファ・マウンテン。ダウンタウンのあたりなんか、もう名前どころか数字ですからね。ファースト、セカンド、...。

 北米大陸最高峰のマッキンリー山もそう。19世紀末、探検に来た若者が、当時のアメリカ合衆国大統領(候補?)ウィリアム・マッキンリーにちなんで命名したというのですが、この山とはまったく何の脈絡もありません。

 アラスカの人々はこの山のことを「デナリ」と呼ぶことが多いです。地域のインディアンの言葉で「偉大なもの」の意味らしい。たしかに、この山だけまるで単独峰のように、他の山々から抜きん出てそそり立っています。

 植村直己をはじめ、多くの探検家たちの永眠する山は、本当にきれいでした。「デナリ」はアラスカの象徴であり、誇りでもあります。白人たちが"発見"した土地に思いつきで与えたいーかげんで即物的な名前と違って、なんと相応しく、なんと叙情的な響きを持つものか。

 全景を拝めるのは週に一度あるかないかという話でしたので、ぼくは午前3時にデナリ・ナショナル・パークのキャンプ場を撤収し、もっとも天候の落ち着く時間を狙っていきました。

 真夏とはいえアラスカの早朝は寒かったですけどね。どうです、大成功でしょ^^
 この1時間後には濃いガスが出て、一日中真っ白だったんですよ。

国立公園を午前3時に出てから南に2時間のライディング。午前5時のデナリの朝焼け。午前6時ごろ、違う角度からもう一度。威容の全景を拝めるのは週に一度あるかどうか。この日も1時間後にはガスに隠れた。広大なデナリ・ナショナル・パーク。人の影響を厳格に管理し、自然をあるがままの状態で維持する努力で知られる。ただし、デナリからかなり北にあるため奥地まで入らないとデナリは見えない
マイカーの乗り入れが許されるのは公園のほんの入り口付近まで。それより先は徒歩か有料バスを予約する。バスの窓からバスの窓から
たいていは、アリのようにしか見えない遠くの動物を双眼鏡でがんばって探すことになるのですが、運がよければ接近遭遇することがあります。
バスの窓から運がよければバスツアーでも野生生物をまじかにみることができるかも。これはグリズリー。これほどの接近遭遇はまれにみる幸運だとの話でした。バスの中からだとぜんぜん怖くないですね。こういうのは「熊を見た」だけで、「熊と出会った」のではないと僕は思います。キャンプサイトでお茶を飲んでいたらかわいらしいお客さんが。

アラスカの本

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 今日はいくつか本の紹介。

 ぼくがアラスカになんとなく関心を持ちはじめたのは10歳ぐらいのときだったと思います。しかしはっきりとした憧憬を意識するようになったのは12歳のころですね。そのきっかけのひとつになったのは、ある小説でした。

 当時、ぼくは新田次郎という作家がお気に入りで、11〜12歳までの2年間でそのころに出版されていた作品はほとんど読破したと思います。短〜中編の山岳小説では今でも右に出るものはいないという大家なのですが、いくつか長編の小説もあります。ぼくが好きなのは銅山町での公害との闘いを描いた『ある町の高い煙突』、そしてフランク安田の生涯を描いた『アラスカ物語』。けっきょく、この2冊が、小学生のころに読んだ本でいちばん印象に残っているもの、ということになります。

 『アラスカ物語』のハイライトは、クジラ乱獲による飢餓と西洋人が持ち込んだ疫病で絶滅の危機に瀕していた北極海沿岸のエスキモーたちを救うため、フランク安田が鉱山技師たちとともに2年がかりで金鉱を探しあて、その資金を元手にブルックス山脈を越える民族大移住を決行するあたりでしょう。フランク安田のことを「エスキモーのモーゼ」とたたえた新聞もあったとか。そんな偉大な日本人が実在したことを知っていましたか?

 アメリカに在外研究に出る直前になって、20数年ぶりに読み直してみましたが、いま読んでも社会学者の批評眼に耐える興味深い記述がたくさんありました。同書が執筆された当時はエスキモーについて日本語で読めるまともな文献はほとんどなかったはずですので、新田次郎さんは1ヶ月というかなり短期間のアラスカ取材で非常に正確に情報を収集されたようです。

 エスキモーといえば、ジャーナリスト本多勝一さんが若いころにエスキモー村に住み込みで書いたフィールドノートが秀逸です。文化人類学的な参与観察の業績として十分に通用する内容になっていて(もちろん多くの学術書よりも読みやすいです)、『カナダ・エスキモー』というタイトルで出版されています。

 アラスカに関する書籍でほかにぼくが好きなのはジョン・マクフィーの『アラスカ原野行』。やはり著者はジャーナリストですが、時間と手間と紙幅をかければこれほど豊かな情報を読者に与えられるものかと感心させられた本です。ぼくのアラスカ理解のかなりの部分はこの本が基点になっているといっても過言ではありません。

 ほかには、読み物として、星野道夫さん、野田知佑さんも好きですね。

 一方、アラスカについての書籍のうち、ぼくが個人的にあまり好きではないものもついでに2冊紹介しておきましょう。

 ひとつは桐生広人『消える氷河』。地球温暖化の影響は極地方で極端にあらわれているらしく、カナダの氷河はおそらくあと50年もたたないうちに消えてしまうと予想されています。そのことを科学者の予測という方向だけでなく、エスキモーたちからの聞き取りからも明らかにしようと、環境保護団体「グリーンピース」が行った調査に同行したフォト・ジャーナリストが書いた本です。残念ながら、また聞き、耳学問、思い込み、が随所に盛り込まれていて、信頼性には欠けます。しかし、アラスカの環境保護派の主張を知るには手ごろな一冊です。このテーマで書かれた日本語の資料としてはたぶんもっとも入手しやすいものだからです。というより流通に乗ってる書籍としては唯一じゃないかな。

 これに関連して、最近、極地方の先住民たちがアメリカ政府を裁判に訴えました。先進諸国の環境保護の無作為が地球温暖化を後押ししていて、その結果、薄くなった流氷や河の氷が割れて死亡する事故が相次いでいる。こうした事故の責任は先進諸国にあるが、中でも環境保護政策の国際合意(具体的には京都議定書でしょう)をじゃましているアメリカ政府の罪は重い、というわけです。

 もうひとつは、ノンフィクション新人賞かなにかを受賞した広川まさき『ウーマン・アローン』です。フランク安田の存在を知ってそのゆかりの地を訪ねてみたい、とユーコン川をカヌーで下ることを決意し、冒険を終えるまでを清新な感性でつづった紀行文です。読後にちょっと勇気が出るような、そんなお勧めの一冊。賞を取るのもわかります。

 なのにどこがあまり好きじゃないのかというと、最後にただ一点だけなのですが、どうしても許せない独善性を感じるためです。

 フランク安田とエスキモーたちが拓いた町「ビーバー」を訪問した彼女は、現在の町長から「もうフランク安田のことを知っている人はここにはほとんどいないのよ」といわれ、町長からの要請もあって、新田次郎の『アラスカ物語』とその英訳本を寄贈するために戻ってこよう、そしてエスキモーたちに読んでもらうんだと決意します。それが次の旅を予感させる終わり方になっているのですね。

 『アラスカ物語』にはぼくも感激しました。でも、同書はいかにエスキモーに好意的に書かれているとはいえ(同書が書かれた当時の価値観としては本当に驚くべきことです)、やっぱりエスキモーとその文化を日本人の目で外から眺めた内容ですし、計画的思考という意味では無能なエスキモーたちを一本筋の通った日本人が救ったというストーリーです。それを当のエスキモーたちが読んではたして感動するかな。しかも、もはや計画的思考と産業社会の価値観を知っていて、ときには自分の祖先を恥じることもあるエスキモーたちが、読んで面白いと思うものなのかな。日本人のナショナリズムを押し付けられたエスキモーは迷惑だろうなと思わないのかな。

 著者の魅力は、むしろそんなことを考えずに思い込み一本で猪突猛進するところです。こうした独善性は『ウーマン・アローン』全体を貫く特徴のひとつで、それが鼻につかずにむしろ好感をもって読めてしまうところが、人徳というか、この本の魅力になっています。ただ、最後のこれだけは、ちょっと白けてしまうんですよね。

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