アイデンティティ・ポリティクスという言葉を辞書的に説明すると

| TB(0) このエントリーをはてなブックマークに追加

 以下は、ある社会学辞典のために執筆した原稿です。日本では「アイデンティティ・ポリティクス」という言葉がどうにも理解されにくいので、まずは辞書的な記述を紹介しておきます。専門用語がだいぶ混ざっているので読みにくいと思いますが、そのうち日常用語を使ってわかりやすく解説したいと思います。

************

【概念の背景】

 人種、宗教、ジェンダー、性的指向など、何らかの差異を共有するとみなされる集団(アイデンティティ集団)ごとに社会的資源が偏って分配されていることは少なくない。そうした偏りは自由と平等を基調とする近代市民社会の理念に反するため、しばしば是正の要求を喚起することになるが、その要求のあり方は二つの運動様式に大別される。すなわち、普遍的な市民としての平等な分配を勝ち取るための運動と、個々の集団としての要求に見合った公平な分配を勝ち取るための運動である。両者はそれぞれ争点が異なるため、論理的には必ずしも矛盾しないが、現実には激しく衝突することが多い。

 近代主義的な社会計画を人々が信奉し、画一的な社会理念が堅固に共有されていた時代においては前者が主たる運動様式であったが、1960年代半ば以降、そうした理念が疑問視されるようになるとともに、後者の運動様式が注目されるようになった。後者の運動様式を総称する概念はいろいろと提案されてきたが、1990年代以降はアイデンティティ・ポリティクスという熟語の使用例が増えている。

【概念の内容】

 アイデンティティ・ポリティクスとは、アイデンティティ集団を単位としてさまざまな社会的資源の獲得を目指そうとする運動である。多くの場合、当該社会で歴史的に周辺化されてきたマイノリティによる自己決定権や差異の承認要求としてたち現れる。アイデンティティ・ポリティクスの獲得目標を「差異への権利」と表現したり、その運動様式のことを「承認の闘争」と呼ぶこともある。日本語の中にはそのままでアイデンティティ・ポリティクスに該当する熟語は存在しないが、「当事者主権」「当事者運動」などで指示される対象はアイデンティティ・ポリティクスに含まれる。

 アイデンティティ・ポリティクスには、顕著な特徴として、以下の3点が広範に観察される。(1)市民的平等の追求のように普遍的な「市民」や「国民」に同化するのではなく、アイデンティティ集団の異なった扱いに関する承認を求めること、(2)多様な社会的資源のうち、物的資源の公正な再分配を追求するだけでなく、文化的資源と関係的資源の剥奪をも異議申し立ての対象に含むこと、とりわけアイデンティティ集団に付与される否定的な威信を撤回させること、(3)特定の差異に基づくアイデンティティを共有するメンバーを手段的にも情緒的にも動員しやすいため、相対的に運動を生起させやすいこと、である。

 加えて、アイデンティティ・ポリティクスへの反作用として、以下の3点が指摘される。(4)市民的・国民的な統合を求める保守的な立場からは、個々のアイデンティティ集団がばらばらに要求を突きつけているように見えるため、《わがまま》な権利要求だという反発を招きやすいこと、(5)共通の労働者の権利を求める革新的な立場からは、アイデンティティ集団が階級闘争を分断しているように見えるため、階級闘争に対する《裏切り》だという批判の対象となりやすいこと、(6)差異を共有するとみなされる集団が特定のカテゴリーによって表象されると、その集団内部における差異が結果として不可視化される弊害があるため、とりわけ多重マイノリティからは《過剰な代弁》であるとの告発が寄せられること、である。

【概念の適用事例】

 カナダのケベックなどにみられる地域的マイノリティの独立運動は、文化的差異の承認とアイデンティティ集団による自己決定を求める典型的なアイデンティティ・ポリティクスである。ポスト・コロニアリズムの文脈における帝国主義批判も、支配的な価値意識の転換と自己決定を求める告発であり、アイデンティティ・ポリティクスの範疇といえる。ただし、独立運動や脱植民地主義のように領土管理の独立性が争点になるだけでなく、エスニック集団のアイデンティティ・ポリティクスは、居住国に対して文化的独自性を尊重する多文化主義を要求する形で表出することが少なくない。

 障害者解放運動におけるアイデンティティ・ポリティクスでは、障害者を特別な保護と医療専門職による治療の必要な弱者とみなすパターナリスティックな「個人モデル(医療モデル)」を脱却し、社会に設けられた障壁によって障害者の自己決定が阻まれているとみなす「社会モデル(生活モデル)」によって不利益を克服することが目標とされる。

 アイデンティティ・ポリティクスは、今日のマイノリティ解放運動において議題設定の大前提とも言える位置を獲得しているが、グローバル化にともなう社会秩序の解体が「マジョリティとは誰か」という認識を流動化させるようになると、極右団体による移民排斥運動のように当該社会のマジョリティが担い手となることもある。例えば日本において、2000年代以降、「日本は在日コリアンの支配を受けているため、日本人としての主権を取り戻すべきだ」といったデマを主張するカルト団体が一定の支持を得たり、雑誌や新聞が東アジアの隣国を中傷してナショナリズムを煽り立てる記事を集合的に書きたてたりするのは、一種のアイデンティティ・ポリティクスだと考えることができる。


前のエントリー3件

次のエントリー3件

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://han.org/blog/mt-tb.cgi/347

このブログ記事について

このページは、mskimが2015年6月 7日 10:56に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「わかりにくいレイシャル・ハラスメント #3 差異の不承認の場合」です。

次のブログ記事は「在日韓国人の調査研究」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。