前回のエントリー「差別と政治、差別の政治」は、社会的構築主義のスタンスから差別を定義したらどうなるか、というテーマでした。
具体的にいえば、現在はまだ「差別」だとみなされていない事象でも、クレイム申し立ての運動によって「差別だという共通理解」を広げられれば「差別問題」を構築できる、という話です。あるいは、現在はまだ「道徳」の課題だとみなされている差別問題も、運動の方向次第では「犯罪」として法的処罰の対象に加えられる可能性がある、という話です。ですから、差別問題に実践的に関わっておられる方々からすれば勇気の出る説明様式だろうと思います。
また、学術的にも、「不当性」の難問から逃れられることが理論面での大きな強みといえます。僕自身の学術的なスタンスとはイマイチ相性が悪いのですが、それでも、特に社会問題の発生を説明するときは、社会的構築主義の有効性を認めないわけにはいきません。構築主義的なアプローチを用いなければ、とうてい説明の付かない現象が無数にある、ということもできます。
ただ、難点がないわけでもありません。
一つ目の難点は、クレイムが広く認められる前の段階では、その差別の存在を説明できない、ということ。これはどちらかというと純粋学問的な問題なので、説明は省きます。
二つ目の難点は、いわゆるアイデンティティ・ポリティクスの問題。まぁ、これは構築主義の問題ではなく、構築主義の切り口が鋭かったために浮き彫りになった問題点、というべきなので、同じく省略。
三つ目の難点は、正当/不当という客観的要件を説明の枠組みに含まないため、ある事象をめぐって差別かどうかがリアルタイムで争われている段階では、その論争にまったく寄与することができないということ。「不当性」の難問から逃れられるという強みは、同時に弱みでもあるのです。
この難点を回避するため、坂本佳鶴恵さんは、前回紹介した著書の中で、差別だというクレイムがあればそれは差別なのだ、といった内容の書き方をしていた箇所があったような気がします(構築主義プロパーの方はまずこういう書き方をしないと思いますが、逃げ道があるとすれば、やはりそこしかないでしょう)。こういう考え方に立てば、少なくともクレイムが発生すれば、それがまだ社会に広く支持されていなくとも、「差別」だと規定することはできる。
しかし、これは新保先生の定義と同じで、識別性が低すぎます。訴えがあればなんでも「差別」ということだったら、逆差別の訴えすら「差別」ということになってしまう。構築主義は価値中立ですから、差別撤廃運動からのクレイムも、歴史修正主義からのクレイムも、同じ枠組みで捉えます。
構築主義は自明視されている因習を相対化したり、実践的なダイナミズムを記述したりするのに有効ではありますが、反差別の実践そのものには残念ながらあまり役に立たないのですね。
たとえば、前回も例に出した朝鮮学校の高校無償化除外問題を考えてみましょう。
(1)朝鮮学校だけを除外するのは差別だという異議申し立て(クレイム)が起きる、(2)クレイムが周囲に影響を与える。例えば、差別か差別でないかといった論争が広がる、(3)論争を経て、クレイムは正当だという理解が広がり、朝鮮学校除外は「差別」だと理解されるようになる。もしくは、除外は問題なしとはいわないまでも合理的だという理解が広がり、朝鮮学校除外は「仕方がない」と理解されるようになる。(4)さらに別のクレイムの発生に続く。
今はちょうど構築主義的なプロセスが進行中で、上の段階でいえば2の途中にあります。
クレイムの内容は:
「朝鮮学校だけを除外する根拠がない。差別だ」
「子どもを人質にとる卑劣な政策だ」
「子どもの権利条約、人種差別撤廃条約に抵触する人権侵害だ」
クレイムへの反論は:
「制裁措置をやっている国の国民だから除外して当然」
「北朝鮮という国は不法国家。関係する学校とか施設とかはお付き合いをしない」
「反日教育に何で日本人の税金を使うの?」
現時点ではどちらが優勢になるか、まったく予断を許しません。構築主義は、このどちらの立場にとっても、自説を補強する材料にはまったくなりません。坂本さんがいうように、差別問題をめぐっては、つねにこの種の論争(差別か、差別でないか)が発生しますので、構築主義がいかに役に立たないか、理解できると思います。
ただ、構築主義の立場からいえることが一つあります。トラブルが発生しないかぎり、人々はそこに問題があることにすら気づきません。トラブルこそ社会問題の所在を示すのです。
これまでにも、朝鮮学校だけを行政サービスの対象外とする措置はたくさん採られてきたにもかかわらず、今回ほど話題になったことは少ない。今回はわかりやすい人権侵害の構図であったおかげか、大きなトラブルになっているわけです。その結果、良くも悪くも、朝鮮学校に関心を持つ人が増えている。
朝鮮学校からのクレイムを支持する人々にとっては、いま現在は不愉快だし、少ない資源を動員しながら論争を有利に導く活動もしなければならないけれども、おそらく、この「トラブル」は、先々、必ずしも悪い方向には振れないだろうと思います。

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