偏見と差別の関係

| コメント(0) | TB(0) このエントリーをはてなブックマークに追加

 差別についての研究には、ずいぶん多様なアプローチがあります。学問分野は心理学、社会学、経済学、政治学、等々と多岐にわたっているし、手法もミクロなものからマクロなものまで様々です。

 その中で、直感的にわかりやすいためでしょうか、(一昔前の)心理学分野の研究は一般にもよく知られているように思われます。偏見理論、社会的比較の理論、権威主義的態度、あたりです。とりわけ、偏見理論は差別についての通俗的解釈ともよく合致するため、道徳教育の一環として行われる人権教育においても頻繁に言及されています。

 ここでいう偏見理論とは、「偏見」という心理的な準備状態があるから「差別」という行為が発生する、という前提を含む研究群の総称です。一般には、「差別意識が差別を生む」という表現のほうがなじんでいるかもしれません。「差別は心の問題である」というとき、偏見理論が想定されていることが多いように思います。

 でも、当の心理学分野において、偏見理論はもはや過去の遺物とみなされており、ほとんど注目されることがなくなっている、ということはあまり知られていませんね。(Allportを再評価する向きもあるようですが。)

 ぼくは前任校で心理学主体の学科に所属していましたので、偏見理論が後退した理由を同僚に尋ねたところ、次のような回答を得ました。

 (1)パーソナリティで説明できるのは差別現象のごく一部でしかないこと、(2)「投射」など理論としての精度が低い概念を含むこと、(3)偏見の重要性に過剰に注目するとそれ以外の差別発生メカニズムが見えなくなってしまうこと、(4)実践面においても差別の背後に偏見の存在を前提としてしまうことにより、「偏見を持っていないから差別をしていない」という言い訳に利用されてしまうこと、(5)現在の心理学では、むしろ偏見を持たなくても、自動的な心理プロセスとして差別が発生するメカニズムのほうが研究の主流になっていること。

 以上の回答が間髪おかずに同僚の口から帰ってきました。偏見理論の問題性は、心理学分野ではいわば常識として理解されているのだな、と少しうらやましくなりました。

 というのも、日本の社会学分野で偏見理論を正面から批判した著作は、おそらく2005年末に出版された佐藤裕『差別論―偏見理論批判』(明石書店)が最初だと思われるからです。佐藤さんもぼくも、大学院生のころから学会でことあるたびに同様の偏見理論批判を口にしてきましたが、すんなり批判が受け止められ、同意されることは少なかった。反論はないけれども、「阪大の《計量の人たち》がちょっと変わったことを言ってる」という雰囲気。偏見理論は、一部の(特に運動家的な特性を持つ)社会学者に、根強く支持されているのだなと話し合ったものです。

 いま「日本の社会学分野で」と書きましたが、例えばアメリカではロバート・K・マートンが1948年の「差別とアメリカの信念」という論文で以下のような分類を提示しています。

  1. 偏見も持たず人種的差別もしない人(All-weather Liberal) 
  2. 偏見は持たないが、差別をする人(Reluctant Liberal)
  3. 偏見は持つが、差別をしない人(Timid Bigot) 
  4. 偏見を持ち、差別もする人(All-weather Bigot)

 1と4は説明なしでわかりますね。

 2「日和見平等主義者」の事例としては、「黒人差別法制期のアメリカ南部において、人種的不平等は間違っていると心の中では思いながら、他の白人から焼き討ちにあうことを恐れて、黒人へのサービスを拒絶する白人向けレストランのオーナー」等。

 3「臆病な差別者」の事例としては、「女子職員は無能だと信じているけど、辞められると困るから、男子職員と平等に扱う商店主」等。

 2と3の事例は、すなわち、偏見があっても差別はしないこともあるし、 差別しているからといって偏見があるとはかぎらないことを端的に示しています。この論文は、偏見と差別の因果関係に留保が必要であるということを、たいへんスマートに論証した論文としてよく知られた業績です。

 この種の事例は枚挙に暇がありません。例えば、「統計的差別」も2の典型事例です。統計的差別とは、属性によって不利な統計的事実があれば、それによってその属性を持つ人々が不利な扱いを受ける現象を指します。日本の労働市場で言えば、次のようなこと。

 戦後一貫して女子職員の8割は結婚ないし出産を期に退職してきた。一方、雇用流動性が高まったとはいえ、男子職員の離職率ははるかに低い。もちろん、それは就労機会に男女で格差があったためだけど、統計的事実であることは確か。それを知っていれば、たとえ職員の能力に性差はないと信じている経営者でも、OJTなどの教育投資を無駄にしないためには、男子職員を雇用するほうが合理的。その結果、女性の被雇用率は低くなってしまうのだ、というわけです。

 そろそろまとめに入りましょう。

 「偏見によって差別が生まれる」という説明はたいへんわかりやすいです。しかも、道徳教育を行ううえで都合がいい。おまけに、差別を糾弾する運動においても効果的です。

 しかし、それだけに、本来は多様なはずの差別のあり方を、すべて偏見という心の問題に回収してしまう困った効力を持っています。

 偏見理論はある種の差別事象を説明する力を今でも持っています。しかし、それは多様な差別事象のごく一部でしかないのかもしれないと、つねに意識しておくことが重要だと、ぼくは思います。

P.S.

 マートンの類型と紹介事例の対応関係が間違っていたのを速攻でsilly_fishさんが指摘してくれました。深謝。

前のエントリー3件

次のエントリー3件

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://han.org/blog/mt-tb.cgi/299

コメントする

このブログ記事について

このページは、mskimが2010年2月22日 17:29に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「更新通知」です。

次のブログ記事は「ひと休み」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。