2008年3月アーカイブ

風になる?

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 イソップ寓話の有名な「北風と太陽」の話ですが、どうも納得できないのですよね。はたして、北風は本当に旅人の上着を脱がすことができないのか?

 というのも、おおかたのバイク乗りは、風の力がどれほど強く、また、どれほど器用なものなのか、身をもって知っています。

 たとえば、高速道路の通行券を2枚の革の間にぴったりと挟んで留めてあったとしましょう。手でぎゅーっと引っ張っても簡単には取れないような状態です。それが、走行中に風の力で吹き飛んでいってしまったりする。

 あるいは、ゆるめにジッパーを閉じていたタンクバッグがいつの間にか風の力で開いてしまい、中に入れていた帽子やウィンドブレーカーが風圧でバッグから飛び出していってしまう、とか。

 よく、バイクに乗ることを「風になる」などと詩的に表現することがありますが、現実には、バイクにとって風は行く手を阻む頑強な敵であったり、イタズラして装備を奪い取るやっかいな相手だったりします。

 まあとにかく、風の力は強いだけでなく、器用なのです。

 だから、旅人の上着を剥ぎ取るぐらいなら、ぼくは可能だと思うんですよね。上着どころか、補正下着みたいにぴったり身体に張り付く下着以外は、すべて風の力だけで盗ってしまうことができるんじゃないかという気がします。

 ところで、「ビューフォート風力階級」というのをご存知でしょうか。0から12までの13段階で定義された風の強さの尺度です。ウィキペディアから風力9以上を引用させてもらうと;

風力階級呼称地上10mでの風速(m/s)地上10mでの風速(ノット)陸上の様子海上の様子
9大強風(だいきょうふう)20.8〜24.4m/s41〜47ノット屋根瓦が飛ぶ。人家に被害が出始める。大波。泡が筋を引く。波頭が崩れて逆巻き始める。
Strong gale
10全強風(ぜんきょうふう)24.5〜28.4m/s48〜55ノット内陸部では稀。根こそぎ倒される木が出始める。人家に大きな被害が起こる。のしかかるような大波。白い泡が筋を引いて海面は白く見え、波は激しく崩れて視界が悪くなる。
Whole gale
11暴風(ぼうふう)28.5〜32.6m/s56〜63ノットめったに起こらない。広い範囲の被害を伴う。山のような大波。海面は白い泡ですっかり覆われる。波頭は風に吹き飛ばされて水煙となり、視界は悪くなる。
Storm
12颶風(ぐふう)32.7m/s以上64ノット以上被害が更に甚大になる。大気は泡としぶきに満たされ、海面は完全に白くなる。視界は非常に悪くなる。
Hurricane

 さて、風力の最大値「12」ですが、京都滋賀あたりでは台風の中でもあまり経験できないほどのすさまじい強風の状態です。なにせ「颶風」ですからね。「颶風」。もう漢字の読み方も分からないぐらい、めったにない強風ですw

 ところが、バイクではそんなにめずらしい強風とはいえません。

  • 高速道路の法定速度である時速100kmなら秒速28m (全強風/台風なら「並の強さ」)
  • 名神高速でぎりぎりつかまらない時速120kmなら秒速33m (颶風/台風なら「強い」)
  • 気持ちよさそうに飛ばしてるなーという時速140kmなら秒速39m (この辺から風のイタズラがひどくなります)
  • 「公道でそれ以上は危険だろ」と感じる時速160kmなら秒速44m (台風なら「非常に強い」)
  • サーキットのストレート、時速180kmなら秒速50m (前を向いて息をするのがつらい)
  • ぼくのバイクで全開いっぱい、時速200kmなら秒速56m (台風なら「猛烈」)
 つまり、主要高速道路を流れに乗って走るだけで、いつだって台風並みの強風を体験できるわけです。そして、これぐらいの風の強さになると、手でしっかり押さえていないかぎり、ボタンをはずされたり、引きちぎられたりして、上着を剥ぎ取られるのは時間の問題だ、ということを知るようになります。

 もし、太陽と競争中の北風が、つい本気を出して秒速80mの突風を断続的に吹き付けたとします。旅人は吹き飛ばされ、地面に衝突し、命を失うでしょう。あとはゆっくり時間をかけて地面を転がし、上着を剥ぎ取ればいいのです。

 でも、北風は、旅人を殺してしまうことを避けて、勝ちを太陽に譲ってあげたのでしょう。バイク乗りは北風さんの実力をちゃんと知っています。


注)ぼくは日本の公道ではスピードを出しませんよ。あくまで一般論です。

ネオペイガニズム

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 息子を連れてのサバイバル旅行はキャンセルとなりました。今年もGP申請作業の担当になりましたので、時間が取れなくなったためです。残念ですが、夏に日程を拡大してなんとか実現したいと思います。

 そんなこともあって、ちょっと仕事から逃避して本を読みました。フィリップ・プルマン『ライラの冒険』シリーズ。久しぶりのファンタジーです。

 ネオペイガニズム(キリスト教以前の多神的な宗教世界に回帰しようという運動)は、ファンタジーの基本的なモチーフの一つです。とくに、もともと多神教になじみの深い日本では、非常に好まれる主題だといえます。

 が、『ライラの冒険』には正直驚きました。ここまで鮮烈なキリスト教批判は、欧米のファンタジーとしてはちょっとめずらしいのではないでしょうか。少なくとも、保守的なキリスト教徒の多いアメリカだったら、児童文学として受け入れられるのは難しいような気がします。

 それが、イギリスでは多数の文学賞を受賞しているというのですから、欧米の宗教事情も多様ですね。

猫は勘定に入れません

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 あいかわらず旅行ネタですが、今回はペットの話。

 旅行となると、ペットの扱いに困ることが多いものです。ウチには6歳の双子だけでなく、猫が7匹もいます。キャットシッターに鍵を預けるのはあまり好きではないし、ペットホテルではいっさい飲み食いしなくなる猫がいることも分かっているので、3日以上家を空けるような旅行には連れて行かざるをえません。かなりの難事業です。
1920年代のサイドカーに乗るトミーと愛犬クワトロ。アラスカにて。 子どもたちはドライブ好きなので問題ないのですが、猫はそうも行きません。

 じっと黙って移動に耐えていられるのはせいぜい1時間。すると、神経質な猫から「アウォー」とか「ニ゛ャー!」とか悲痛な泣き声を上げはじめます。

 そして、一匹が泣き始めるとすぐに7匹全員に波及し、車内はとんでもない騒ぎになります。

 いったん騒ぎになると、なだめてもすかしてもダメ。ケージから出しても、うろうろ歩き回って落ち着かないだけ。

 というより、ハンドルの上にのぼろうとしたり、コンソールの上で視界を邪魔したり、ブレーキペダルの下にもぐろうとしたり、危なくってしょうがない。

 まぁそれでも、車で移動しているかぎりはなんとかなるものです。 

 問題は、宿。ペット連れでは泊めてくれる宿がないのです。

 犬といっしょに泊まれる宿というのはないわけではありませんし、その多くは猫同伴もOKです。でも、7匹の猫なんてのは、たいていのホテルや旅館にとって想定外なんですよね。なんとか頭数が多くても大丈夫という宿を見つけたとしましょう。でも、たとえ犬より汚すリスクが少なくても、猫割引なんかしてくれません。7匹もいると、旅費がかさんでしょうがない。

 それでも、公然と猫を連れ込めるのならまだいいのです。地域全体がペット禁止で、泊まれる宿が一軒もないということもめずらしくはありません。そんなとき、「二度とこんな街に来るもんか!」という不快な気分で去ることになります。

 けっきょく、家族総出で快適に旅行したければ、行き先がどうしても限られてしまうのです。

 そういえば、ロサンゼルスで2年間暮らしたとき、アニマルシェルター(野良を保護して飼い主を探す施設)から猫を2匹引きとって育てていましてね。ある日、ふと思い立って、猫たちを連れて妻と旅行に出ました。国立公園めぐりです。

 グランド・キャニオン、ブライスキャニオン、ザイオン・ナショナルパーク、いずれもよかった。景色もよければ、人もいい。宿もいい。どのホテルも当然のようにペットOKです。わざわざ調べる必要もない。ペット連れでも飛び込みで大丈夫。すばらしい!

 ...と、いい気分になっての帰り道。久しぶりにラスベガスに寄っていこうかという話になりましてね。いや、苦労しました。2時間ほど電話を掛けまくりましたが、ペット同伴OKの宿が一軒も見つからないのです。一軒も!

 けっきょく、監視の薄そうなモーテルに部屋を取って無断で連れ込みましたが、以後はラスベガスに足を踏み入れたことがありません。今でも、「あそこは人をもてなす街じゃない。お金を相手にする街だ」という否定的なイメージがこびりついています。

 あと、宿以外の問題としては、飛行機やフェリーですね。フェリーはこっそり客室に連れ込むとしても、飛行機はそういうわけには行きません。

 とくに、国際線の場合、ペットは一匹ずつ大きなケージに入れて、寒々しい貨物室に入れなければなりません。

 足元において世話をできないか、とか、せめて2匹一緒に入れて寂しくないようにできないか、とか、いろいろと航空会社と交渉してみましたが、全部アウト。なんとか手続きを済ませて貨物室に入れましたが、関空で引き取ったときの猫たちの悲壮な表情といったら!

 飛行機に乗せる前の、航空会社(N◎rthWest)の窓口対応も不愉快でした。

 旅費や検疫などの手続きはかなりの時間をかけて、あらかじめ電話などで航空会社と話し合いましたので、あとは手続きを済ませるだけ、という状態でチェックインカウンターに臨んだのです。

 ところが、窓口のおばさんが、シッタカブリしていろんな手続きや書類を要求するのです。まぁアメリカではよくあることなのですがね。ただ、おばちゃんの不遜なこと!

 ぼくが「会社にもちゃんと確認してある。文書でもルールを確認してある」と話したところ、ぶっきらぼうに「Show it.」(見せろ)と来たもんだ。客に命令すんなよ。いま思い出しても腹が立つ。

 文書を受け取ったおばちゃんが電話で会社に確認したところ、やっぱりぼくが正しいとわかったのですが、それでも謝りもしない。これもまぁ、アメリカではよくあることなのですがね。

 ペット連れで旅をすると、人のいやな所が見えてくるもんですね。写真のような旅をしてみたいもんだ。


 モバイル用途に適した情報機器はいろいろとあります。でも、一般にはフルサイズのノートPC、超薄型ノートPC、UMPC、スマートフォン、PDA、といったところでしょう。

 他にもありますが、今回は、PCとの連携機能がない電子辞書、機器自体でファイルの管理ができない携帯電話、情報機器としての機能に乏しいデジタル・メディア・プレイヤー(iPodなど)は除外しました。ただし、iPod TouchはPDAの一種ですね。

 これらについて、いくつかの評価基準でテキトーに5点満点の値を与えたのが下の表です。「x4完全環境」というのは、その機器だけで普段どおりの仕事ができるかどうかという基準です。メーカーや製品によって違いはありますが、いま売られている製品の平均的な位置づけを汲み取ることはできているんじゃないでしょうか。

 x1軽さx2小ささx3頑丈さx4完全環境
フルサイズノート1125
モバイルノート3314.5
UMPC3434
スマートフォン553.52
PDA4.5551.5
注1)スマートフォンとは携帯電話にPDAの機能をもたせた機器のことです。PDAより「x1軽さ」が0.5ポイント分だけ有利にしてあるのは、スマートフォンであれば別に携帯電話を持ち歩く必要がなくなるためです。

注2)モバイル機器を評価するとき、「バッテリーの持ち時間」という基準が重要視されるものなのですが、正直なところどれも大差ありません。ぼくが思うに、「フルに使っても8時間以上持つ」のが最低条件なのですが、もっとも優秀なスマートフォンやPDAでもせいぜい6時間しか持ちません。けっきょく、予備バッテリーや充電器を持ち運ばなければならないのなら、バッテリーの持ち時間を議論する意味がない。ということで、基準から外しました。

 で、この表の値に対して、用途別にいくつかウェイトを付ける計算式を組んでみたのが下の表です。数値の大きさにはほとんど意味がありません。タテの列(用途)ごとに順位に注目してください。首位の機器には赤い色を付けてあります。

 オフィスをそのまま持ち出したいモバイル用途でかまわない
 移動少移動多・衝撃少移動多・衝撃多移動多・衝撃少移動多・衝撃多
 (x1+x2+x3)+x4^22(x1+x2)+x3+x4^22(x1+x2+x3)+x4^23(x1+x2)+x3+2(x4)3(x1+x2+x3)+2(x4)
フルサイズノート2931331822
モバイルノート2733342830
UMPC2633363238
スマートフォン1828313845
PDA1726313747

 人によってウェイトのつけ方(計算式)はちがうでしょうけど、結果としてはだいたいこんな感じじゃないでしょうか。

 次回はこの表の中身をもう少し詳しく。

 出張や旅行にどういう情報機器を携帯するべきか――年を経るごとに選択肢が増えてきているとはいえ、今でもやっぱり悩ましい問題です。

 今日はまず思い出話から。

 まだモバイルという言葉も概念もなかったころ、ACアダプターや予備バッテリーなどの備品込みで7kgもある「ラップトップ」パソコンを持ち運んだりしました。いや、重かった。ほんとうに、重かった。めちゃくちゃ重たかった。

 「ラップトップ」(laptop)とは、ひざ(lap)の上でも使えるほど軽い、ディスプレイ一体型のポータブルPCをさす言葉。1980年代後半に一時期流行した言葉です。でも、本体が5kgもあって、ひざの上で使えるものか! ということで、今では、80年代後半に発売された重たいマシンを揶揄するときにしか使用されません。欧米のPC広告では今でもLaptopという言葉を見かけますが、まぁヤツらはガタイがいいからなぁ。

 初めての海外旅行には、備品込みで4kg以上もある東芝の「ノートブック」パソコンを持っていきました。本体重量が3kgというのは、当時のフルサイズノートとしては最軽量の部類です。でも、やっぱり重かった。いくらスーツケースを転がしているとはいえ、みょーに重たかった。一歩ごとに生気を吸い取られている気分になるほど、重かった。

 ところで、当時すでにヒューリットパッカードから95LXというハンドヘルドPCが発売されてはいたのです。でも、そのころの僕にとって、モバイルPCとは「研究環境をそのまま持ち出せるPC」のことでしたので、必要なソフトウェア(SPSSなど)を稼動させることができないものは興味の対象外でした。

 「研究環境をそのまま持ち出せるPC」という意味で、初めて実用にたるモバイルだったといえるのは、リブレット20という東芝のサブノートPCでした。発表されるや否や予約注文を入れましたね。そのころ博士後期課程の院生でしたが、全国規模の調査を実施していたので出張も多かったし、毎日どこにいくにもカバンに入れて持ち運んでいました。ボロボロになって修理不能になるまで使い倒しました。持ち運びの苦労から解き放ってくれたこのマシンを愛していたといってもいいでしょう。唯一、画面の小ささだけが不満でした。

 その後2年間留学し、日本に戻ってすぐに購入したのは、SONYのA4サイズ超薄型ノートPC。ドッキングポートを自宅と研究室に用意し、毎日通勤に持ち運びました。軽くて、フルサイズのキーボードがついていて、十分な大きさの画面がついている。たぶん、丈夫さを要求しないのであれば、A4サイズ超薄型ノートPCが「旅に持っていく情報機器」の一つの完成形でしょう。

 でも、2005年度に北米大陸一周の旅に連れて行く情報機器を選ぶとき、A4サイズ超薄型ノートPCは考えませんでした。デジカメとメディアを交換する必要もあったのでSONY製品はもともと対象外でしたが、それだけでなく、バイクによる3ヶ月に及ぶ長旅ですので、「丈夫なこと」が重要だったためです。

 選んだのは、パナソニックのLet's Note Y型(業務用で3年保障付)。筐体は大きいけど軽いモデルです。きっと、衝撃には強いに違いないと考えてのことでした。当時はまだ耐衝撃性を強化したT型が発売されていませんでしたが、Y型も筐体に余裕があるせいか十分に振動に耐えてくれました。

 そしてもうひとつ。GPS機能を内蔵したPDA、マイタックのMio168をもっていきました。辞書ソフトと、アメリカ全土の地図+ナビゲーションソフトをインストールして、ポケットに常時携帯するためです。

 PDAは基本的にネットワーク機能を持たないスタンドアローン機器として発達してきましたので、2005年度までにはもう使命を終えた製品というのが一般的な評価となっていました。現代の情報機器にネットワーク機能は不可欠ですからね。しかし、GPS機能をもつMio168によって、ふたたびPND(パーソナルナビゲーション装置)として注目を浴びるようになりました。

 これは便利でしたねぇ。ぼくにとって初めてのPDAでしたが、こんなに役に立つものだとは思っていませんでした。瞬時に起動するし、必要な用途の7割がたはノートPCを使わずにPDAですんでしまうし。辞書やナビだけでなく、無線LAN用のSDIOカードをいれて、時々メールチェックにも使いました。

 PDAを実際に使ってみたことで、はじめて、モバイルが理解できた気がします。つまり、「研究環境をそのまま持ち出せるPC」である必要はないということですね。

 仕事はデスクトップやノートPCでやればいい。ポケットに入れて常時携帯するためには、通信、PIM(スケジュール管理)、辞書、ナビ、音楽再生、読書、ゲームなどに機能を絞った機器でかまわない――そう割り切ってしまえば、重たさの呪縛からさらに自由になれるわけです。

 こう割り切ってから、あらためて情報機器を見渡してみると、旅の供に使えそうな情報機器は意外とあるものですね。次回以降、気が向いたら整理してみたいと思います。

旅道具の必要条件 #2

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 旅道具の3条件――軽いこと、かさばらないこと、丈夫なこと――ですが、相互に無関係ではありません。

  1. 軽い製品はかさばらず、かさばらない製品は軽いことが多い。しかし、軽い製品も、かさばらない製品も、丈夫ではないことが多い。
  2. 軽くて丈夫な製品は、かさばることが多い。
  3. かさばらずに丈夫な製品は、重いことが多い。
という関係があるわけです。3条件すべてを同時に満たすのは、けっこうタイヘンなことなのですね。

 公共の交通機関を使う国内出張の多いサラリーマンのように、道具が丈夫なことがそれほど重要ではない旅のスタイルもありますね。丈夫である必要さえなければ、道具の選択肢の幅はぐっと広がります。軽くてかさばらないだけの製品でいいなら、日常の中にいくらでもあるからです。

 それに対して、バイクの旅行で大切なのは、第一に振動に負けないように丈夫なこと、第二に狭い荷室に詰め込めるようにかさばらないこと、です。出張旅行者や登山家とはちがって、荷物を手に持ったり肩に担いだりするわけではないので、軽さはほとんど必要ありません。

 だから、上記の2〜3はほとんど問題になりません。2のような製品は選ばなければいいし、3はそれでかまわないからです。

 ところが、上記の1が問題でしてね。一般に、かさばらないように作られる製品は、同時に軽いことを目指して開発される傾向があります。つまり、3のような製品はとても少ないのです。

 その結果、かさばらないこと、丈夫なことの2条件を満たそうとすれば、けっきょく3条件すべてを満たす製品を選ばざるをえない。そして、3条件すべてを満たす製品はなかなか見当たらず、あっても高額だったりする。

 「旅(ツーリング)といえばバイク」というぐらい、バイクの日常離脱イメージは強いです。が、実際のところ、バイクの旅は、意外と、難しいところがあるのですね。まぁチャリダーほどシビアじゃないけど。

旅道具の必要条件 #1

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 旅行用品店やアウトドア店に行けば、旅の道具がたくさん売られています。どれを選ぶか迷うこともあるでしょうが、旅の道具に不可欠な要素はたぶん3つに絞ることができるのではないかと思います。

 すなわち、(a)軽いこと、(b)かさばらないこと、(c)丈夫なこと。

 だいたいこの3つは、ファッション性とは矛盾します。とくに条件(b)を若者のファッションと両立させるのはたいへんです。若い人には酷な話ですが、旅の道具に流行追随性を求めるのはきわめて難しいことなのですね。

 カナダはユーコン川のほとりにホワイトホースという街があります。そこのゲストハウスで、日本人学生(19歳男性)からこういわれたことがあります。

「bruinさんもそうだけど、みんなどうやって荷物をそんなにコンパクトにできるんですか?」
 今風のファッションに身を包み、ほとんどは衣類からなるかさばる大きなトランクを重たそうに引きながらゲストハウスに到着した男の子です。ゲストハウスを利用するバックパッカーたちの"身軽さ"に強くあこがれてそう聞いたようすでした。

 日常の衣類はかさばります。とくに冬物はそうですね。だから、長旅になるのであれば、流行のファッションをそのまま持ち込むのは至難の技です。とにかく迅速かつ小さくパッキングできるように、旅のための衣類を準備する必要があります。ぼくの回答は以下の通り。

「ふだんから、いざ旅に出るときのことを考えて、軽く、かさばらず、丈夫な衣類を買い揃えておくことだよ。」

 ところが、いざ旅用の道具を買おうとしても、なかなか迷ってしまうものです。なぜなら、旅道具の3条件は、値段や快適性とトレードオフの関係になっているからです。

 値段が安ければ3つの条件のどれかが犠牲になり、3つすべてを満たそうとすれば高額になる。また、3条件すべてがそろっている製品はいまいち快適性がそこなわれていることが多く、3条件+快適性を満たそうとすれば、さらに高額になってしまう。

 たとえばこのタオル。3条件+快適性をすべて満たしていますが、サイズによって2500円〜4500円もします。普通のタオルの4分の1の大きさに畳めますが、値段は4倍するわけです。日本で売ってるかどうかわからないけど。

 したがって、旅の道具を選ぶときは、(1)予算の範囲内で最大限に3条件を満たししていること、(2)その上で、できるかぎり快適な製品であること、という基準を用いることになります。

 ...と、わかっちゃいたんですがねぇ。

 新学期が始まる前に、6歳になった息子と軽くサバイバル旅行に行ってみようと考えて、息子用の寝袋をネットで注文しました。コレなんですが、パッキングしたときのサイズは、ぼくが愛用しているロングサイズ寝袋の1.5倍ほどもありました。大失敗。

 まぁ、ぼくの寝袋の4分の1の値段ですから、しょうがないのかな。でも、たかが子ども用なのに...

追記)
 上で紹介したSea to Summitのタオルはとても使いやすくて気に入っています。でも、ダイソーで売ってるマイクロファイバータオルとほぼ一緒なんですよね。たぶん、「マイクロファイバー バスタオル」で検索すると、30ドルも払わなくても、もっと安価な商品がたくさんあるんじゃないかな。

 3条件+快適性を満たす商品を、廉価で入手できたときの満足感は、表現しがたいほどすばらしいものですよw

"恐怖"というメディア

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 冷戦期の国際関係において、プレイヤーの発言力を保証するメディアといえば、資本と軍事力でした。ジョセフ・ナイ氏がいうところのハードパワーですね。

 冷戦が終わるあたりから2001年までは、知識や情報、文化、価値観などのソフトパワーが主要メディアとして浮上してきました。アメリカはちょうどクリントン政権時代。

 ジョセフ・ナイ氏は、アメリカのテレビ番組や映画、音楽、インターネットのコンテンツ、民主主義という価値観などを念頭に置きながら、ソフトパワーを「アメリカの魅力」と表現しました。しかし、2001年の911テロは、この認識があまりにも理想主義的だったことを明らかにしました。なぜならば、テロ(terror)が引き起こす/した"恐怖"も、やはりソフトパワーの一種だったからです。

 911テロ以降といえば、アメリカはブッシュ政権時代。ブッシュ政権といえば、石油資本大好きだし、戦争も好きだし、一般にはハードパワー重視のように思われています。でも、国際政策において、"恐怖"を権力の源泉として縦横に駆使したという意味では、足腰の定まらなかったクリントン大統領以上にソフトパワーを重視しているともいえるのです。

 何の話かというと、じつは前々回のエントリーに書いた住基ネットのことです。いきなり国際関係から国内の話になって恐縮ですが。

 軍事力とはちがって、"恐怖"というメディアには思想の左右がありません。「右」の人々は、テロの脅威を喧伝する形で"恐怖"をあおりたて、国民統制の強化という主張をごり押ししようとする。「左」の人々は、管理社会の危機を誇張する形でやはり"恐怖"を利用し、市民社会の自由という主張を通そうとする。

 でも、「右」も「左」も、"恐怖"を過剰にあおるという点において、ちがいはないのですね。

 リスクを客観的に評価して対策を講じることは重要ですが、"恐怖"を背景に自説を迫るのは脅迫と同じです。住基ネット訴訟の原告団の主張は前者に近いと思いますが、訴訟をめぐる報道は、合憲判決に賛成であれ反対であれ、どうも後者の色彩が濃い。

 知識や情報など、権力を媒介する文化的メディアのことを、社会学では「文化的資源」と呼びます。しかし、"恐怖"という「資源」には、知識や情報とは違って、際限がないのです。希少性がない。正確にいうと、"恐怖"を権力と結びつけるチャンスには希少性があるものの、恐怖そのものは個人的な感情にすぎないので誰もが入手可能だということです。

 つまり、"恐怖"を権力と結びつけるチャンスを持つ者(たとえば国家やマスメディア)であれば、無限にその資源を活用して自説をごり押しすることができてしまうのです。

 ぼくも社会学者ですので、管理社会のおそろしさは十二分に承知しています。でもね、「右」であれ「左」であれ、"恐怖"を使って「下」を操縦しようとする態度は、それ自体におそろしさを感じざるをえないのです。


注)引用符なしの「恐怖」は個人的感情、引用符つきの「"恐怖"」は個人を超えた創発的な価値物の意味で用いました。

謝恩会/卒業パーティ

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 もうじき卒業式、そして卒業式の後は「卒業パーティ」です。今は「謝恩会」とは呼ばないところが増えているのですね。

 学費に見合った教授を受けただけなのに、感謝すべき「恩」を感じることなんてない...ということなんでしょう。たぶん。

 考えてみると、教えてもらったことに対して恩義を感じるためには、それなりに条件があるんですよね。

(1)対価を支払っていない場合

 人間社会において、互酬性(もらったらお返しをしなきゃいけないというルール)というのはきわめて強い規範です。

 互酬性が崩れてしまう――いつも奢ってもらうばかりで奢ってあげるチャンスがないとか、いつも世話になる一方でこちらからは何もしてあげられないとか――と、罪悪感や憤怒などネガティブな感情を引き起こします。そして、ネガティブな感情は対人関係のじゃまになるので、そういう感情に見合うだけの権力関係が生じるようになります。

 つまり、してもらう一方になると、してくれる相手に服従するようになるわけです。おごってくれる彼氏には従順になるとか、いつもやさしく教えてくれる先輩にはなついて言うことを聞くとか。

 「恩」とは、まさしくこういう服従の一形態です。

 でも、学校教育では、学生は授業料という対価を支払っていますので、普通に授業を受けているだけでは、なかなか互酬性はくずれません。

 だから、学生が教員に「恩」を感じるのは、えてして、学業以外の面で何か世話になったりしたケースだったりします。悩み事の相談に乗ってもらったとか、いっしょに遊んでもらったとか、恋人を紹介してもらったとか。

(2)成長させてもらったという実感がある場合

 とはいえ、フツーに教えてるだけなのに、深〜く「恩」を感じてくれる学生さんも中にはいますね。

 それはたぶん、たんに知的好奇心が満たされただけでなく、何か具体的に「成長させてくれた」と実感するようなことが、授業やゼミ指導の中にあったんでしょう。

 ただ、こういうのは学生の側に一定の感受性が要求されますからねー。

 少なくとも、ぼくはニブいので、学生だったころにこういう恩義の感じ方をしたことがありません。

(3)独学では到達できなかったという確証がある場合

 自学自習ではどうしても壁にぶつかることが多いものです。ほんのちょっとしたことに気づかずに、膨大な時間をムダにしてしまったりもします。8割がたパズルが解けているのに、あと2割がどうしても見つからないような気持ちになったりもします。

 そんな個人的な研究課題について、何度も何度も考えて、何度も何度も試行錯誤して、それでもうまくいかないことがあるとしましょう。

 ところが、ふと思いついて教師に相談してみたら、まるで魔法のようにちょちょいと説明してくれて、疑問が氷解したりする。

 けっこう衝撃的な体験です。いわゆる、"目からうろこ"ってやつですね。コレはもう、圧倒的な知識と経験の差に敬服するしかありません。

 しかも、独学に時間と労力を浪費しているだけに、教授した知識の価値を実感できる素地が学生の側にあるわけです。こういう体験が積み重なってくると、「膨大な独学時間に相当する知識を的確に与えてくれた」ことに対して、恩義を感じるようになる。

 こういうのは、教師冥利に尽きますね。

 ただ、残念ながら、そこまで苦労して自分で考えてみる前に安易に答えを求めようとする学生が多くて、「まずは自分で考えてみろ」と冷たく突き放すことが多いような気が...

住基ネット

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 「住基ネット合憲」の最高裁判決が出ましたね。まぁ判決自体は予想通りともいえるのですが...

 ちなみに、US版のYahoo!には、電話帳のページがあります。適当に名前を入れて検索してみると、番地まで書かれた住所と電話番号が表示されるのが分かると思います。

 検索結果の一覧表の中には、"More Information/ Background Check"と書かれた箇所がありまして、クリックすると有料でより詳細な個人情報が入手できるしくみになっています。

 こちらがそのサンプル。本名Lori Ortiz。通称LorryもしくはSamatha。37歳の例。たぶん架空の人物。https://find.intelius.com/search-detail-out.php?ER=1&ReportType=8

 まず最初に載っているのが、現住所までの居住歴。その住所に住んでいた当時の電話番号も載っています。業者によっては、ここまでは無料で検索することができます(少なくとも5年ぐらい前は無料の業者がありました)。

 むかしの住所や電話番号を調べなければならないことって時々ありますからね、意外と便利な面もあります。でも、それを他人に知られてもかまわないと思う人は、たぶんそう多くはないでしょう。

 居住歴に引き続いて、それぞれの住所の資産価値、近所の住民の素性、性犯罪を犯した者の数、などが詳細に記されています。

 どれだけ"ステキ"な環境で暮らしてきた人物なのかを知るためのデータですね。これらを付き合わせれば、その人物がどのような社会的地位を持っているのかをある程度推察できます。

 その下には、刑法の違反歴や、民法の裁判記録が記載されています。

 ただし、どちらとも、同じ州の同姓同名の人物の記録であって、本人の記録かどうかは分かりません。いちおう各記録の身体的特徴も書いてはいますが、他人の犯罪歴や他人が破産した裁判記録を自分のものだと誤解されるとタイヘン不愉快ですね。たとえ自分自身の記録であっても、他人に知られるのはイヤなものでしょう。

 さらにその下には、納税記録(=年収、保有資産)が載っています。そして最後が婚姻・離婚歴と、死亡記録

 いずれも、ちょっとびっくりするほど高度な個人情報ですね。業者によって値段は違いますが、ここまで調べてだいたい$50くらいでしょうか。5〜6千円くらい。さらにお金を払えば、もっと他の情報を調べることも可能です。

 さて、どうしてアメリカでここまで個人情報がダダ漏れになっているのかというと、社会保障番号(SSN:Social Security Number)がいろいろなデータベースを接合する鍵になっているためです。

 SSNがなければアルバイトすらできませんので、アメリカでは10歳くらいになるまでにだいたいみんなSSNを発行してもらいます。早い人は、生まれてすぐに親がSSN取得の申請をします。アメリカに定住している人はみんなSSNを持っていると考えてもそんなに間違いではありません。

 SSNは、もともと年金を管理するための番号だったのですが、その人が誰であるかを証明するために、さまざまな形で利用されるようになりました。

 図書館の利用カードを作るとき、レンタルビデオの会員になるとき、通販を利用するとき、家を借りるとき、銀行の口座を作るとき、免許証を取得するとき、大学に入学するとき、いろいろな場面で記載を求められます。

 SSNをもっていなければ、これら何一つとしてできないのです。SSNをもっていなければ、アメリカで暮らすことはできないといってもいいぐらいです。

 そうすると、SSNを含む膨大なデータベースがアメリカ中に散らばっていることになりますね。そのことに気づいた業者が、それらのデータベースを手広く購入して、くっつけて、そしてまとまった個人情報として売って商売にするようになったわけです。

 日本では、住基ネットを導入するとき、「アメリカのようになってはならない」という判断から、住基コードの民間利用は法律によって禁じられました。

 でもねぇ、行政上は住基コードの流用が進みつつありますし、永久に民間利用が行われないという保証はありません。

 今回の最高裁判決では、氏名や住所など「秘匿性の高くない情報」のみを取り扱っているから「合憲」ということなんですが、そりゃ住基ネット自体はたいした個人情報じゃありません。住民基本台帳でも閲覧できる内容でしかありませんし。

 でも、住基コードが存在するかぎり、それが知らない間に高度な個人情報のデータベースに化けてしまう危険性は否定できないのですよね。

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