2008年1月アーカイブ

学習内容の標準化

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 1月30日の東京新聞朝刊によれば、文部科学省は「大学の学部(学士課程)の教育期間で学生が身に付けるべき知識や技術など教育内容や到達目標を示した指針を、専門分野ごとに策定する方針を固めた」とのこと(→ウェブ魚拓)。

 諮問機関に過ぎなかった教育再生会議とは違って、実行権限を持つ文部科学省の方針です。東京新聞でしか報じられていないようですが、たぶん本決まりなんでしょう。

 中央教育審議会が2002年8月5日に公表した『大学の質の保証に係る新たなシステムの構築について』では、「高等教育の質」を保証するために「第三者評価制度の導入」が必要だと述べられています。一部を引用すると(下線は引用者);

 大学の専門性を様々な分野ごとに評価する,いわゆる専門分野別第三者評価についても,例えば日本技術者教育認定機構(JABEE)が行っているように,将来的には多様な分野で行われることが必要である。しかし,現在直ちに多くの分野で専門分野別第三者評価が実施できる状況にはないところであり,認証評価機関による評価の義務付けは,当面,第三者評価の導入に対する必要性が特に強い法科大学院等の専門職大学院から開始することとする。
 と、この段階では事実上の先送りだったわけです。その後、同じく中教審による2005年2月1日の答申『我が国の高等教育の将来像』で少し話が進みます。一部を引用しましょう(下線は引用者)。
  • ......大学が自律的選択に基づいて機能別に分化するなど全体として多様化が一層進むにつれて,学習者の保護や国際的通用性の保持のため,高等教育の質の保証が課題となる
  • 事後評価に関しては,......分野別評価についても積極的に採り入れられることが期待される。その際,分野の特性に応じて学協会等関係団体の参画・協力を得ることが考えられる。
 ちょっとわかりづらいですかね。

 過去10年ほど、日本全国の大学で「魅力的な大学」を目指して教育改革が行われてきました。改革を実施する際に、伝統的な学問領域の枠を取り払って、いくつかの学問領域を横断する学際的な学部を作るという手法が最近まで好まれていました。うちの大学の「人間関係学部」なんかはその典型です。

 その結果、「多様化」が進み、何を学んでいるのかよく分からない大学も増えてしまった。だから、「高等教育の質の保証」が必要で、そのために大学別評価や分野別評価を積極的に採り入れるべきだ、というわけです。

 話としてはわかるのですが、ちょっと困ったことになってきました。

 「学問領域を横断する学際性」をうたっている学科や学部は、複数の学問領域で必要とされる知識を習得させるカリキュラムを組んでいるわけですから、逆に言えば、特定の学問分野で標準化されたカリキュラムとは相性が悪いのです。

 既存の標準カリキュラムを例にとれば、社会調査士(14単位)ぐらいの限定されたカリキュラムだったら複数に対応することは難しくありません。しかし、認定心理士(36単位)あたりになると、だんだん学際分野で対応することがつらくなってきます。ましてや、社会福祉士受験資格(46単位)なんかだと、複数のカリキュラムに対応するのはきわめて困難。さらに管理栄養士受験資格(88単位)になると、他のカリキュラムと相乗りするのはまず不可能といっていいでしょう。

 せめて、各学問分野で30単位ぐらいに抑制してくれると対応しやすいのですが、ムリだろうなぁ。

GPAの運用

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 Wikipediaによると、GPAとは以下の通り。

Grade Point Average(グレード・ポイント・アベレージ)は、世界標準的な大学での学生の成績評価の方法である。欧米の大学で一般的に使われており、留学の際など学力を測りやすい。

各科目の五段階評価を、

  • 優(90点〜100点)はA - 4
  • 良(80点〜89点)あるいはB - 3
  • 可(70点〜79点)あるいはC - 2
  • 準可(60点〜69点)あるいはD - 1
  • 不可(59点以下)あるいはF - 0
以上のように計算し、それに各単位数を掛けて足した合計点を総単位数で割ってスコア化するものである。オールAなら4.00、オールFなら0.00となる。
 ようするに、大学入試でおなじみの評定平均値ですね。日本でも、高校ではどこでも利用しているものですが、大学ではなぜか導入が遅れています。おそらく、数値化して公表するには、評価の公平性、透明性に自信がないという教員が多いのでしょう。また、現状で問題のない4段階評価(優、良、可、不可)制度を5段階評価に変えようというのですから、まぁ慎重になるのも分かります。うちの大学でも導入に向けて議論をつめてもらっている段階ですが、アッサリ承認という流れにはなっていないようです。

 さて、GPAの算出そのものは、学力評価の国際化や学力指導の体系化など、さまざまなメリットはあっても、デメリットはほとんどありません。うちの大学でも、おそらく再来年度から導入ということになるでしょう。

 むしろ問題は、GPAの導入が決まった後、それをどう利用するか、ということなのですね。たとえば、2年生後期までのGPAが2.0以下の学生は進級させない、とか、4年生後期までのGPAが2.0以下の学生は卒業させない、といった運用例があります。こうなると、たんに評定平均値を算出するという事務手続きの問題だけでなく、どういう学力指導を行うかという教育理念にかかわる問題になります。

 ぼくが提案したのはもう少し穏健で、前年度のGPAが2.0以下の学生には履修可能単位数を制限するという、いわゆる「キャップ制」との融合案です。それでも、「多少無理してでも4年で卒業させてあげる」というスタンスから、「きちんと学力を身につけていなければ5年以上かけて指導する」というスタンスへの転換を含むことになります。どうせ来年度にはもう間に合わないので、じっくり議論してもらいましょう。

 ところで、昨日UCLAのことを書きましたが、UCLAでのGPAの運用はたいへん厳しいものです。もう詳しいことは覚えていませんが、専門科目のGPAが2学期続けて一定の得点を下回ったら退学勧告を受ける、というものです。しかも。「一定の得点」というのが2.0などという低い値ではありません。学部によっても違うのでしょうが、3.6以上とかだったと思います。ようするに、専門科目はただ合格するだけではダメ、「良」でも不適格で、「優」をとらなければならないということです。

 これは、たとえ旧帝大であろうと、日本の大学ではちょっと導入が難しいでしょうね。

Final開始

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 ようやく授業が終わって、木曜日から後期の定期試験です。

 ぼくが大学院を終えた後に籍を置いていたUCLAでは、定期試験の時期、毎晩0時になったところで窓を開けて雄たけびをあげる風習がありました。学生街のあちこちから、「ウォー」「キャー」という叫び声が聞こえてくるのです。

 感情の発散で気晴らしになるだけでなく、「必死で勉強してるのは自分だけじゃないんだな」と孤独を紛らしたり、ある種の連帯感を共有したり......まぁいろいろな機能を持つ"おまつり"です。

 ウチの学生たちも、気晴らしが必要なくらい勉強してくれているといいのですが。

連鎖 #2

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 前回は事後の対応が傷を深めるケースについて書きました。セカンドレイプならぬセカンドハラスメントですね。

 が、実際には、ああいうわかりやすいというか、典型的なセカンドハラスメントよりも、もっと責任の所在があいまいで、誰が悪いのか判然としないようなケースも多々あります。

 例えば、以下のようなケースを考えてみましょう。前回と同じく、複数の実際に起こったケースをモデルとしながら、いろいろと誇張を加えた架空の事例です。

  1. ある高校の運動部の監督が、合宿中に女子部員に抱きついた。
  2. 部員はわだかまりを感じつつも合宿を継続し、数日後の試合にも出場した
  3. しかし、わだかまりは消えることなく、考えれば考えるほど、不快感や嫌悪感がふくらんでくる。そこで女子部員は保健室の先生に相談し、セクハラが発覚した。
  4. 高校は即座に女子部員と監督に聞き取り調査を行い、事実を確認した上で、監督を免職処分にした。被害を受けた女子部員には保健室と連携しながら継続的に情緒的サポートを行い、被害に対して最大限に「補償」することを約束した。ただし、被害者とその保護者が「セカンドハラスメントの危険性があるので公表はしないでほしい」と希望したため、事実の公表については控えることにした。
 ここまでは典型的なセクハラ事件です。問題はその後どうなったか。
  1. 監督は処分を受けた数日後、強度のストレスにより急死する。
  2. 女子部員はセクハラの被害者でありながら、「監督が死んだのは自分のせいだ」と自責の念に駆られる。精神の平衡を保つことができなくなり、ウツを病み、不登校となった。
  3. 家庭と学校側の地道なサポートにより、3ヶ月ほどかけて精神状態が安定し、登校できるようにはなった。
  4. ところが、そのころいくつかの学校行事が重なり、欠席がちだった女子部員はうまく行事に溶け込めず、疎外感を深めてしまう。
  5. また、ちょうどそのころ、女子部員のサポートのために疲弊していた保護者夫妻は、ストレスから衝突することが多くなり、夫婦関係が破綻し、離婚してしまう。
  6. 女子部員は、学校での疎外感と、家庭でのトラブルのため、再び不登校となる。
  7. 父親は、女子部員を病院に連れて行ったり、離婚にともなう様々な手続きのため、数ヶ月に渡って仕事を休むことが多かったため、会社を解雇されてしまう。
  8. 父親は、すべての元凶となったセクハラを未然に防ぐことができなかった高校を激しく憎むようになる。そして、裁判に訴えるとともに、事実関係を極端に誇張して記者会見を行う。いわく、「娘は監督から性的暴行を受けた。事件をすべて公表するように高校に伝えたにもかかわらず、高校側は事件を隠蔽した」と。
  9. 高校側は、事件発覚以来、継続的に家庭訪問をしながら女子部員とその保護者と連絡を取ってきたため、父親の気持ちは分かる気がする。しかし、監督の遺族が経済的、社会的に苦痛にあえいでいることも知っている。セクハラは事実とはいえ、ここまで虚偽含みで誇張されて大々的に報道されてしまうと、遺族がかわいそうでいたたまれない。経営的にも放置はできない。
 いろいろな意味で、痛ましいケースでしょう? 誰もが心を痛めている。そして、「典型的な悪者」がいないだけに、気持ちをぶつけることもできない。

 もちろん、いちばん悪いのは監督なのですが、もはや故人であり、ある意味では"死んで償った"ような状態です。たとえそれが逆効果であったとしても、故意にそうしたわけでもない。しかも、監督の遺族にはなんら過失がないにもかかわらず、経済的、社会的に多大な損害を受けており、ある意味では「被害者」なのですね。

 前回は、事後の対応を"誤った"ために被害が連鎖的に拡大したケースでした。誠意と予備知識さえあればいくらでも防ぐことができます。

 それに対して、今回は、加害者が急死してしまったがゆえに被害が拡大したケースです。すべての関係者がその時点でできる最大限の努力をしたにもかかわらず、被害の連鎖を防ぐことができなかった。

 かなり特殊なケースではありますが、けっきょく、未成年に対するセクハラが起こった時点でもうアウトということなんでしょう。

 指導者と被指導者が二人きりにならないようにルール化するなど、"セクハラが起こりえない環境"を作るしかないんでしょうね。いろいろな教育活動がかなり不自由にはなりますが、上記のような悲劇が発生するリスクがある以上、それもしかたがない。

 病院では、なにせ患者が裸になることもありますので、医者と患者が二人きりにならないように必ず看護師一人以上付くというルールがあります。病院でできることなら、学校でもできないわけではないと思います。

連鎖 #1

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 セクハラ問題にせよ差別問題にせよ、多くの人権問題は、事象そのものよりも、事象に付帯して続発する様々なできごとが事態を面倒なものにします。言い換えると、人権問題は、起こったときより、起こった後のほうが問題になりやすいのですね。

 たとえば、以下の事例を考えて見ましょう。

(1)まず、「差別発言」が起こります。
 東京出身のAさんが、同僚でアイヌ出身のBさんに対して、「きみはクマさんみたい」と発言しました。Aさんにはまったく悪気はなく、クマさんのように愛嬌があってかわいらしい、ぐらいの意味で好意的な発言をしたつもりでした。

(2)ところが、アイヌは侮蔑的な意味をこめて「クマ」と呼ばれて差別されることがあります。
 そこでBさんは、(Aさんの発言意図がどうであれ)、「アイヌに向かって『クマ』と呼ぶのは差別的な意味合いがあり、不愉快だ」と抗議しました。

(3)Aさんとしては、好意的な発言に対して「差別」だと抗議されたことに驚きました。
 そして、「傷つけるつもりなんかなかった。だから差別なんかじゃない。クマは愛らしいじゃないか。クマと呼んで何が悪いのか。被害妄想はいいかげんにしてくれ」と逆ギレします。

(4)BさんはAさんの態度に傷つきます。
 最初は、Aさんに悪気があったかどうか分からないけど、できればよりよく理解してほしいという思いから、勇気を振り絞って「不愉快だ」と真剣に伝えたのに、このAさんの発言と態度からは「理解しよう」という気持ちはうかがえません。それどころか、被害妄想だと攻撃される始末です。傷ついた後、たいへん強い憤りを感じます。

(5)Bさんは上司に調停を依頼します。
 そこでBさんは、第三者として、AさんとBさんが働いている職場の上司に、内々に相談します。

(6)上司は事実がなかったかのように振舞います。
 上司としては、仕事と直接関係のない面倒な揉め事を嫌う人でした。Bさんから相談を受けた後、「ぼくからAさんをたしなめてるから、Bさんも事を荒立てないように」と話したにもかかわらず、Aさんには何も話をせず、ただ放置しただけでした。

(7)Bさんは上司に抗議しますが聞き入れられず、それどころか4月に配置換えされる対象になっていることが分かりました。Aさんはそのまま異動しないにもかかわらず。

(8)Bさんは、とうとう、Aさん、上司、そして会社の3社を民事で訴えることにしました。

 さて、このケースですが、(3)の段階でAさんが、「そうなんだ、知らなかったとはいえごめんなさい」とたった一言謝ればすむ話なのですね。いや、謝るどころか、「え、そうなの。知らなかった。よかったら、もう少し詳しく教えてくれない?」と前向きに理解しようとする姿勢を示すだけでも、たぶん大丈夫だと思います。

 ところが、Aさんは「差別」の一言に過剰反応してしまって、大悪党呼ばわりされたような気持ちになり、相手の気持ちも考えずに攻撃的な対応をしてしまいました。そして、いくところまでいってしまうことになったわけです。

 Bさんとしても、(1)の発言そのものに対して深く傷ついたわけではありません。むしろ、(3)や(6)〜(7)の対応によって、期待が裏切られ、信頼を喪失し、人間関係と職場に絶望し、そして、恨むようになっていったのです。

 事後の対応がいかに重要かわかりますね。

センター試験

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 センター試験といえば寒波でしょう。毎年、狙ったように試験日を大寒波が襲ってきます。ぼくが共通一次試験を受験したときも寒かった。

 でも今年はちょっと寒波が弱かったし、タイミングもずれてくれましたので、大雪で交通機関が麻痺するようなことにはならず初日を無事に終了することができました。二日目の今日、夕方からまた雪になるでしょうが、終わってからならいくら降ってくれてもいいや。

 ところで、ぼくにとって大学での業務のうち、もっともニガテなのが試験監督です。ただじっと黙って立っているというのが苦痛なんですよね。

 本でも持ち込みたいところですが、大学の入試ならともかくセンター試験でそれをやると問題になります。ゲーム機の持込なんてもってのほか。すると、どうしても眠たくなってきますが、寝るとまた大問題になってしまいます。

 ぼくが九○大学で共通一次試験を受けたとき、試験監督主任らしき人は文庫本を読んでましたが、あのころはまだ大らかだったのかな。うらやましい。

「特に問題はない」

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 ぼくは社会学のいくつかの分野については教える立場ですが、それ以外にはたいしてできることがありませんので、基本的に教わる立場です。

 例えば、自転車トライアルのサークルで週に一度、先輩方に教えてもらっていますし、年に数回ほどオートバイのスクールに参加したりします。スクールは無料のものもあれば、宿泊費込みで3万円を超えるようなものもあります。

 で、自転車のほうはまだ初心者なので、いつも参考になる指摘が確実にたくさんあって、毎回「来てよかった」と感謝するのですが、問題はオートバイのほうです。

 オートバイは免許を取ってもう20年以上になりますし、速くはないものの技量の幅を広げるためにサーキットで走ったりすることもあります。つまり、そこそこの知識とスキルをすでに身につけてしまっているわけです。けっして上手なほうではありませんが、明らかに問題があるわけでもない。言い換えると、平均的なテクニックを持つ平均的なライダーなのです。

 そうすると、スクールに行っても、「いいですねー」とか「特に問題はないですね」ぐらいのコメントしかもらえないことが多くなってきます。無料の講習会だとコースを走らせてもらうだけでも満足できるのですが、有料のスクールで改善点の指摘をもらえないと、講習料を無駄にしてしまったような、なんともサビシイ気持ちになることがあります。

 立場をかえて考えてみると、ぼくも授業では、特にやる気があるとか、特にやる気がないとか、何らかの特別に目立つ要素がないかぎり、学生の改善点を個別に指摘するようなことはなかなかできません。レポートを返却するときも、7割がたの学生には採点結果以外はコメントをつけません。

 目をかけることによって明らかに伸びそうな学生や、放置すれば確実に単位を落としそうな学生に個別の対応を行うのは、いわば当然のこと。それ以外の"フツー"の学生たちにどこまで個別に気を配ることができるか、それが現代の大学では重要な課題なのだろうと思います。いろいろと忙しい中、どこまで個別対応に時間を割くことができるか、たいへんチャレンジングな問題です。

 一方、"フツー"の学生たちにも、もう少し工夫してもらいたい面があります。

 オートバイのスクールの話ですが、ぼくも細かく見ていけば改善点がないわけではないはずなんですね。事実、「ここがこういうふうに上手くいかないのだけど、どうすればよいか」と質問をすれば、その場で一般的な回答をしてくれたうえで、さらにライディングの状態を見て個別にアドバイスをもらえることがあります。

 大学の授業でも同じことです。一方的に教わるだけでなく、オフィスアワーなどを活用して自分から質問に行けばいいのです。あるいは、ぼくの場合、講義課目では毎回コミュニケーション・カードに質問などを書いてもらっていますので、そういう機会を有効に利用することです。

 教えた内容をきちんと消化して、しかも自分の知識や経験の中で適切に肉体化できる学生なんて、どこの大学でもさほど多くはありません。社会人学生はそういうのが得意ですけどね。一般的には、教えた内容を教えたとおりに理解できれば優秀なほうで、むしろたいていの学生は教えた内容の半分がやっと理解できる程度でしょう。であれば、毎回の授業でひとつも質問がないということはないはずです。

 せっかくオフィスアワーを設けているのに、利用する学生は限られています。コミュニケーション・カードで適切に質問できる学生も年々減ってきています。ぜひ学生たちには、与えられた教育機会をむだにせず活用してほしいものです。

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