2007年10月アーカイブ

殺されそうになった

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 今朝、ぼくは殺されそうになりました。

 なんとかギリギリのところで逃げることができたので助かりましたが、あと少し遅れていたら、間違いなく、今頃はこの世にいませんでした。

 何の話かというと、"ここで衝突すれば確実に死ぬ!"という場面で、ぼくが運転するバイクに向かってトラックが車体をぶつけようとしたわけです。状況から判断するかぎり、故意に。

 未遂に終わったとはいえ、トラックの運転手は、あれが「ヒトゴロシ」にあたるんだということを理解してるんでしょうか。

 今回のケースは、未必の故意がある(と思われる)ので、殺人未遂です。ただし、証拠がないので実際に警察や検察が動くことはありません。

 こういう道路上の危険行為に関して警察や検察が動くのは、それによって誰かが死傷した場合にかぎられます。罪名は「危険運転致死傷罪」。ただ、この法律も運用が難しくて、泥酔しているといった明らかな証拠がないかぎり、やはり実際には適用されにくい。

 実際に適用される可能性が高いのは、せいぜい、「業務上過失致死傷罪」です。しかし、それも被害者が生きているか、目撃者がいる場合にかぎられます。なぜなら、事故の検証は目撃証言がないかぎり、加害者が自分に都合のいいウソをでっちあげて終わりということになりがちだからです。"死人に口なし"ですね。

 というわけで、実際の取り締まりが困難である以上、いくら刑法があっても、こういう危険行為を抑止できません。どんなにひどい攻撃を受けても、ケガをしない、死なない、ということを考えて自衛するしかないのでしょう。

 ドライブレコーダーつけるかなぁ。

死のリアリティ

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 昨日はああ書きましたが、20代前半までの若者にとって「死」は観念的なものにすぎず、いまいちリアリティに欠けるという面は否めません。

 少なくとも、ぼくはそうでした。

 原付で粗暴な運転をしていた10代。たとえ前の車のバンパーに30cmと迫っても、アクセルを戻すのは嫌でした。パワーのない原付では、アクセルを緩めてしまうとスピードを取り戻すのに時間がかかるからです。

 「前の車が急ブレーキを踏んだらどうしよう」などということは考えない。いや、正確にいうと、そういう危険性を観念的に考えはするのですが、そのことによる危険性を具体的には想像できなかったのです。むしろ、自分の反射神経ならいくらでも避けられるぐらいの感覚でいました。人間には避けられない危険があるということを知るには、まだまだ経験が不足していたわけです。――原付では3回も巻き込み事故にあいました。

 クロムウェルのヘルメットとゴーグルを個人輸入した20歳。かっこわるいヘルメットをかぶるぐらいなら、死んだほうがマシだと考えていました。「死ぬ」というのが具体的にどういうことなのか、よくわかっていなかったにもかかわらず。

 当時はレーサーレプリカ全盛時代でしたので、半キャップのヘルメットもゴーグルも、バイク屋には売っていませんでした。今でこそありふれたものですが、ぼくはイギリスからわざわざ取り寄せたのです。でも、コルクを緩衝材としたヘルメットがいかに時代遅れで、いかに安全性能に劣っているかなんて考えもしませんでした。半キャップだと衝突時に顔面を守ることができないなんて考えませんでした。折れたあごの骨が脳に突き刺さったりするなんて知らなかった。ぼくが考えていたのは、「ブリティッシュ系のバイクには当然このヘルメット」ぐらいのもので、とにかく見かけが優先だったのです。――トラックの陰から飛び出してきたシルビアとの衝突事故で、内臓破裂の被害を受けるまでは。

 女の子を隣に乗せたくて、バイクを売って四輪を買った21歳。対向車のことなんか考えずに峠を飛ばしまくりました。こちらがセンターラインを割らなければ衝突するはずがない、ぶつかっても相手が悪いんだと思っていました。

 当時、事故について無知だったわけではありません。それどころか、『別冊ジュリスト』や『判例ジャーナル』に目を通し、事故発生時の過失割合については保険屋さん並の知識を持っていました。でも、それもやはり「事故」や「過失」を観念的にとらえるだけで、事故の状況をリアルに理解するにはいたらなかった。たとえ過失が少なくても、死んだら終わりだというのに、それがわかっていなかったのです。――生きててよかった。いや、ほんと。

 パラグライダーで飛びまくった23歳。ベテランが飛ぶのを見合わせる荒れたコンディションでも、おれならグライダーをコントロールできる、そして誰よりも高く飛べるんだと思い上がっていました。まぁ当時の競技水準の中ではそこそこ上手なほうでしたので、まったくのカンチガイというわけでもありませんでした。ワールドカップの予選にも出たりしたし。

 でも、その一方で、ぼくが他の誰よりもたくさんコースアウトをし、他の誰よりもケガをしているという事実を、うまく認識できませんでした。自然を相手にするスポーツで、自分の力量を公平に見定めることのできない者は、生き延びることが難しいのです。その単純な事実を、若さゆえの過剰な自意識に阻まれて、うまく理解できなかった。いや、頭では理解はしていたつもりです。でも、腑に落ちるということはなかったのですね。――斜面に激突して背骨を折るまでは。

 うーん、自分で書いていて恥ずかしい。認めたくないものですね、若さゆえの過ちというものは。シャア専用ぐらいのつもりでいたからなぁ。

 でも、道路を見渡すと、他にも同じような愚か者がたくさんいます。

 半キャップのヘルメットのあご紐を締めない、紐は締めても首からぶら下げている、そんなバイクをたくさん見ます。自動二輪(原付を含む)の死亡事故原因第一位は頭部損傷ですが、その30%はヘルメット脱落によるものです。やはり、「かっこわるいヘルメットをかぶるぐらいなら死んだほうがマシ」ということなんでしょう。

 あんまり無茶な運転をするライダーにはときどき声をかけることもあるのですが、なにせ自分が若いころには同じようなことをしていただけに、怒るに怒れないんですよね。

 警察も、物陰に隠れて違反行為を事後的に取り締まるより、死亡事故が起こる前に若者のヘルメットをきちんと指導してあげるべきだと思うのですが。

子どものデータの信頼性

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 まったく、あきれたニュースです。

 「死んでも生き返る」と考えている中学生が2割もいる−−。兵庫県内の幼児から中学生まで約4200人を対象に死生観を聞いたアンケートでこんな結果が明らかになった。背景には、身近な人の死に触れる機会が減り、一方でゲームなどに仮想の死の情報があふれる現状があるとも考えられる、という。死が絶対的なものとの認識は小学生でいったん確立するが、中学時代にはそれがぶれる現象が起きているようだ。【井上大作】 →記事全文のウェブ魚拓

 記事によると、「生と死の教育研究会」が2003年に実施した4〜9歳の聞き取り調査と、翌2004年に6〜14歳を対象に実施したアンケート調査の分析結果を出版したそうな。問題なのは次のくだり。

「死んでも生き返ると思うか」と質問した04年のアンケートでは、小学5、6年生から「死んでも生き返る」という答えが目立ち始め、中学生では「生き返る」「たぶん生き返る」と答えた子どもが計2割に及んだ。現代の子どもにとって死の現実感が薄れるなか、「生まれ変わり」などの宗教的イメージも重なり、生と死の境界をあいまいに考える傾向があるようだ。

 「生と死の教育研究会」がそう分析したのか、井上記者がそう勘違いしたのかわかりませんが、これほど噴飯物の記事にはなかなかお目にかかれません。読後、しばらく大笑いさせていただきました。

 これは、順当に考えれば、小学校の高学年くらいから大人を茶化して遊ぶような態度が育ちはじめるため、「死んでも生き返ると思うか」というばかげた質問に対して、ふざけて回答をする子どもが多くなってしまう、ということでしょう。

 子どもを対象とした調査では、こういう形でサンプルが信頼できなくなってしまうことがよくあります。ふざけた回答をする子どもは、一問だけでなく他の設問でも茶化した回答をする傾向にありますので、回答全体を精査して、信頼できるかどうかを判断します。そして、明らかにふざけた回答を含むと考えられる場合は、有効回答から除外する必要があります。

 そういう操作を加えることによってデータの信頼性は低下しますが、もともとそういう回答のゆがみを生じさせてしまった時点で、端的にいって、調査に失敗しているわけですね。

 子どもを対象とする調査というのは、いろいろな面で難しいところがあります。

死のリスク

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 いまの日本で、健康に日常生活を営んでいる人々のうち、日々「死のリスク」を意識している人はどれくらいいるだろう。"今日死ぬかもしれない"という心構えを持ち、対策を考え、準備を整えている人はどれくらいいるだろう。

 スタントマン、鉱山作業員、消防士など危険性の高い職業に従事している人。乳幼児を育てている保護者、......他には?

 一定の年齢に達したバイク乗りが集まると、"よくいままで生き延びてきた"という話題が出る。長いバイク人生の中で、死に直結しかねない危険な状況に何度も遭遇したり、また、実際に身近な人が事故で亡くなったりという経験を重ねているため、今日まで交通戦争を生き残った事実を「幸運」として実感する機会が多いためであろう。

「どうして今まで生き延びることができたんだろう」
「偶然だろうね」
「えー、そんなもんかな」
「経験、技術、性格とか他にも理由はあるだろうけど、やっぱり幸運だったということに尽きるんじゃない?」
「そうだね、この歳になって安全運転に徹していてもやっぱり避けられない危険ってたくさんあるし」

 経験をつんだライダーにとって、「死」は身近なリスクである。"5分はやく到着するより、死のリスクを5%減らす"――これが成熟したライダーの日常だ。リスクを軽減するとは、例えば以下のような対策を採ることをいう。

パッシブ・セーフティ(万一の事故の際にも身の安全を確保する受動的な対策)
ヘルメット死亡事故原因の第一位は頭部損傷
胸部パッド死亡事故原因の第二位は胸部損傷
脊椎パッド事故による脊髄損傷の確率は低いが、損傷時のリスクが大きい
皮手袋事故の際、最初に接地するのは手の平。引き裂き強度にすぐれた手袋を装着していなければ、指は簡単に切断される
肩肘パッド事故の際、肩や肘が接地する確率が非常に高い
革パンツ転倒後に路面を滑走すると、革製品以外は引き裂かれたり熱で溶解して皮膚に甚大な被害を及ぼす
ブーツ転倒時にくるぶしの骨折を防ぐ。くるぶしの複雑・粉砕骨折は治癒しにくい。一昔前なら足を切断。

アクティブ・セーフティ(事故を未然に防ぐ能動的な安全対策)
交通が流れているときは"すりぬけ"をしない"すりぬけ"は混合交通のリスクが集約される危険行為。"すりぬけ"をしないだけでリスクは大幅に軽減できる。
赤信号で車列が停まっているときは"すりぬけ"して最前列に出る。青信号スタート時はやはり混合交通のリスクが集約される場面。四輪との併走を避けるために、可能であれば最前列まで出たほうがよい。ただし歩行者の飛び出しに注意
車線の中央を走行する「二輪はキープ・レフト(車線の左端を走行せよ)」という誤った知識が流布しているが、車線の端を走行していれば、後続車の無理な追い越しを誘発する上、パンクの危険性も高くなる。そもそも、「キープ・レフト」とは、二輪、四輪を問わず、「中央車線のない道路でも左側を走行せよ」という意味である。
車間距離は四輪の1.3倍四輪に比べて二輪は制動距離がやや長くなる。
四輪の死角に入らない日本では首を回しての安全確認(目視)があまり熱心には指導されていないため、斜め前を走行する四輪からはこちらが"見えていない"ことを前提にしなければならない
四輪と併走しない同上
ライトや明るい服装で被視認性を高める四輪からは二輪は"見えない"ものである。存在をアピールする必要がある。昼ならハイビームにするのもよい
隣の車線の前走車が少しでも自車線に近寄ってきたら減速日本のドライバーは完全に車線変更動作に入ってしまうまでウィンカーを出さない傾向がある。巻き込み被害を避けるためには予測によって自衛するしかない。
横道や道路外施設から鼻先を出してる車は出てくると考えるいわゆる「〜かもしれない」運転に徹して、他の車両を信用しない。
止まってる車はドアを開けると考える同上
タクシーの後ろは可能なかぎり走らないタクシーにとっても二輪は商売のジャマだろうが、二輪にとってタクシーは生命を脅かす存在。お互い近寄らないのが吉
赤信号では後続車が停止するまでギアはニュートラルに入れない追突防止のため
できるだけ車列の先頭を走行しない道路外施設やわき道からの飛び出しを避けるため。
峠では車線の中央をキープサンデードライバーは平気でセンターラインをオーバーしてくる。センターラインギリギリまで寄せて走るのはきわめて危険。

 以上は、リスク軽減策のほんの一部である。これだけの対策を日常的にとっていてもなお、慣れたライダーであれば「死のリスク」をゼロにはできないことを知っている。日本の道路事情は、それほど過酷なのである。

ノリック追悼

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 タイトルと本文関係ありません。

 夏休みが明けたら再開しようと思っていましたが、このタイミングは仕事も忙しくて、気力、体力ともにブログに割く余裕はなかったのでした。この夏、祖母が他界してからずっとウツ気味だったし。でも、それもようやく改善してきましたので、またぼちぼち再開したいと思います。

 写真は、この夏の出来事の一つということで。

夏のできごと

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