2007年8月アーカイブ

授業改善の鍵 #1

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 締め切りを二日延ばしてもらってようやく採点表の提出が終わりました。あとは学部に提出するレポートを一つ書いたら、夏休みに入れます。

 さて、今日のお題はFD(Faculty Development:教員の能力開発)について。

 授業内容や方法の改善には、たいていの大学教員が取り組んでいることだと思います。そういえば、大学設置基準で義務化されたんでしたっけ。

 でも、一口にFDといっても、どういう実践が効果を挙げるかは人それぞれ違います。

 統計的な観点からは、「AとBという2つの教育手法を比較したとき、Aのほうが有意に教育効果が高い」という結果を導くこともできます。でも、教育の成否って、教員の個性が重要なファクターになりますので、こういう全体の傾向を個々の教員に当てはめても、あまり意味がありません。

 たとえ平均的にはBの手法が劣るとしても、超絶的にBの授業が上手な先生が担当した場合、平均的な力量の教員がAの手法で授業を担当するより教育効果が高かったりするわけです。そして、「超絶的にBの授業が上手な先生」にAの手法で授業をやらせても、上手にできるとはかぎらない。

 ですから、FDとは、本来は教員一人ひとりが自分の個性を前提として創意工夫しなければならない作業なのですね。

 でも、一人で工夫するだけでは発想が乏しくなりがちだし、そもそも、努力水準も達成水準も自分が決めたらよいということになれば、つい作業を怠ってしまいがちです。教育の他にも仕事はたくさんありますから。ということで、だれがFDに取り組むのかといえば、本来的には教員個々人が主体となるわけですが、各教員の創意工夫を活性化させる仕組みを考案するのは教学組織、ということになります。

 したがって、現実的な問題は、「各教員の創意工夫を活性化させる仕組み」をどう構築するかということになります。

 たとえば、全授業内容の概要を示す「詳細なシラバス」の作成、というのはよくある取り組みですね。ちょっとした工夫ではありますが、授業計画を詳細に定めておくことで、授業内容や評価方法の恣意的な運用を制限することができますし、学生にとっては学習の目安になるなど、大きな改善につながります。

 また、全授業について成績評価のパーセンテージとGPAを公開する、というのもそのひとつ。たしか同志社大学かな。この仕組みだと、極端に成績評価が偏っていたり、極端に不合格が多い授業は目立ちますので、授業内容や評価方法の改善につながる、ということなのでしょう。学生にとっても、各授業における評価の厳しさを知ることで授業選択の大きな材料になります。講義科目については、ウチの大学でも導入するメリットはありそうです。

 他にも、授業の公開や研修など、一般的な取り組みはあります。

 でも、僕個人としては、これらの取り組みには授業内でのフィードバックという重要な要素が抜け落ちていると思うのですね。

 というのも、僕自身、これまでさまざまな創意工夫をやってきましたが、教育効果の改善という意味でもっとも大きな成果があったのは、フィードバックの回数を増やすこと、フィードバックを迅速かつ丁寧に行うこと、でした。

 つまり、定期試験一本で評価するのではなく、中間試験や小テストを実施する。実施したら可能なかぎり翌週の授業で返却し、解説する。さらに、授業ごとにコミュニケーションカードで理解度をチェックし、質問には翌週に回答する、といったことです。

 学生の学習意欲を引き出し、熟達水準を確実に引き上げますので、たいへんオススメです。教員の個性にあまり関係なく実施できますので、組織的な対応にもむいています。デメリットは、教員の負担が倍増してしまうことですね。組織として対応しようとすると、抵抗が起こるかもしれません。

 ウチの学部では、幸い大きな反対もなく、この春から授業内のフィードバックについて一定のルールを導入することができました。たとえば、実験・実習科目では、「定期試験のほかに、半期に3回以上の学力把握(小テスト、課題等)を行い、採点結果をすみやかに返却する」など。これはあくまで「ミニマム・スタンダード」ですが、あわせて充実した授業の実践例を「実施モデル」としていくつか併記することで、全体の底上げを狙おうという取り組みです。

 今までのところ、意欲的な教員からはかなりポジティブな評価をえています。秋からは他学部への導入が議論されることになります。

採点してます

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 今週末が採点表の締め切り。採点しています。煙が出るほど採点しています。

 もっと採点しやすい問題にしておけばよかったといつも後悔するのですが、そういう出題形式はどうしても自分に許せなくて、結局、採点には毎度毎度、膨大な時間がかかります。

 それでも出来がいい科目は気分よく採点できるのですが、マジメな学生でさえ期待水準に達していないとき、ふがいなさに深ーく落ち込んだりします。しかもそれが比較的簡単な問題だったら、なおさら。

 前にも書きましたが、そんなときはやっぱりこの曲(クリックで視聴)。Peter Gabriel & Kate Bush "Don't Give Up"です。もう条件反射のように聞きたくなる。

 不朽の名アルバム『So』に収録された曲ですが、学生たちはもう知らないだろうなぁ。歌詞のさわりだけ、ちょっと紹介しましょうかね。訳はテキトーです。

《男声:Peter Gabriel》
In this proud land
we grew up strong
We were wanted all along
I was taught to fight, taught to win
I never thought I could fail
この誇り高い国で
オレたちは強く育った
ずっと必要にされてきた
闘えと教えられ、勝てと教えられ
負けるなんて考えたこともなかった

No fight left
or so it seems
I am a man whose dreams have all deserted
I've changed my face, I've changed my name
But no-one wants you when you lose

闘うものなんて何も残ってない
残ってるような気がしない
オレはすべての夢を捨ててしまった人間さ
顔を変え 名前を変えた
でも負けたときは誰からも必要にされやしない

《女声:Kate Bush》
Don't give up
'cos you have friends
Don't give up
You're not beaten yet
Don't give up
I know you can make it good
あきらめないで
だってあなたには友達がいるじゃない
あきらめないで
まだ打ちのめされてはいないわ
あきらめないで
あなたならできるってわたしにはわかってるから

 こんな感じで、マッチョに育った男性が主人公です。それが自尊心self-esteemに傷を負い、男らしさに不安を抱え込みmasculinity anxiety、二重の挫折感にさいなまれる苦悩をピーター・ガブリエルが歌うわけです。そして、「天使の声」ケイト・ブッシュが慰める。そういう掛け合いが延々と続きます。

 面白いのは、ケイト・ブッシュの歌詞ですね。これでもか、これでもかと"Don't give up"を繰り返します。こんなに苦悩している人間を相手に、「がんばれ」「あきらめるな」はないだろうと思うのですが、それがまったく焦らせるような響きを持たない。"Don't give up"といわれるたびに、いやされていくのです。

 ウツを相手に「がんばれ」と励ますのはタブーだとよくいわれますが、言葉そのものはたぶん問題じゃないんでしょう。ケイト・ブッシュは、"Don't give up"一言で終わったりせず丁寧に言葉を重ねます。そして、ただ自力で立ち直れ、克服しろと突き放したりせず、「わたしが信じている」「居場所があるじゃない」「一人じゃないのよ」と寄り添う存在を示します。

 そういう前提で「がんばって」といわれるのは、これほどに慰められるものなのかと感心させられる。そんな曲です。

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