大学の新自由主義

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 思えば、この半年ほど、学園の改革のためにずいぶんいろいろな仕事をしました。

 一つは、学生支援と教育モデルとを実践的に融合させたエンロールメント・マネジメントの導入。個々の学生に対する入学前から卒業後にいたるまでのトータルサポートと、個別対応教育を前提とした精緻な指導と精緻な評価で、より高度な水準で教育理念と学力の達成を図るというもの。

 従来なら一つでも審議に1年以上はかかっていたであろう改革案が全部で30以上。デザイン案を描いて、組織をつくり、さまざまな力学を駆使して、3ヶ月あまりで一気に導入にこぎつけました。言いだしっぺではあるけど、教授でもなく何の役にもついていないぼくがどうしてこんな仕事やってるんだろうと思いながら。

 もう一つは、学生支援GPの申請。GPの全貌が明らかになってから締め切りまでわずか3週間あまりというのが厳しかった。自由に論理を組み立てられる研究論文とは違って、審査機関の意図に沿って作文するのはなんとも骨の折れる作業でした。研究室にマットと寝袋を持ち込んで2泊もしました。やはり、教授でもなく何の役にもついていないぼくがどうしてこんな仕事やってるんだろうと思いながら。

 そして最後に、組合活動。今年度の方針は、新自由主義に基づく経営グランドデザインの提示です。経営のガバナンスと教学のガバナンスを整備し、業績主義を公正に運用する。労務管理を脱却し、人的資本の戦略的運用に転換する。いずれも、労働組合側から提案するのがおかしいようなテーマがずらり。委員長とはいえ、ぼくがやる必要はないんだけどなぁと思いつつ、いま誰かがやらなければいけない仕事です。

 これすべて、グローバリズムの潮流に適応しなければ、学生がor学園が生き残れないという問題意識に基づくものです。

 ただねぇ。ふと、キャンパスの街路樹を見て思うのです。これは、ぼくの理想とはずいぶんかけはなれてるな、と。

 うちのキャンパスのメインストリートにある街路樹は、何年か前に、かなり不恰好な「ぶったぎり剪定」をされてしまいました。枝をすく剪定ではなく、主幹や大枝をチェーンソーでごっそり横断してしまう剪定です。

 この剪定方法は、効率よく周囲の視界と日当たりを確保したり、落ち葉を減らしたりするメリットが大きいため、近年は一般道の街路樹にもよく見るようになりましたよね。

 しかし、いったん「ぶった切り剪定」をされてしまった樹木は、もはや何十年たっても自然な樹形を取り戻すことはできません。しかも切り株の中心ではなく周囲からしか新しい芽が生えてこないため、新しい枝が育っても不安定な状態にしかならず、風雨で折れたりする危険性が増してしまいます。その危険を避けるためには、毎年毎年、すべての新枝を切り落として同じ不恰好な形に戻してしまわなければなりません。こうなってしまうと、ただ生きているというだけで、もはや樹木としては終わったも同然なのです。実際、枯死したり、何年も葉が茂っていない木もあります。

 管理のコストが大幅に減るということだけを目的として、樹木の美しさをいっさい省みない「ぶった切り剪定」。それが、ぼくには新自由主義の姿とダブって見えてしまいます。

 ぼくとしては、できるだけ「ぶった切り剪定」にならないように、"生き残り"と"美しく自然な姿"の両立を目指して制度改革のデザイン案を描いてきたつもりです。でも、何度も立ち止まって、一歩遠い目線から常に確認していないと、自分が教育を「ぶった切り剪定」してしまうのではないかという恐怖感におそわれるのです。

 文部行政を担う人たちも、同じ恐怖感を持ってくれているといいのですが。

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このページは、mskimが2007年7月26日 09:58に書いたブログ記事です。

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