2007年7月アーカイブ

現代GP選定結果

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 現代GPの選定結果が出ましたね。

 内々の通知は先週すでに来ていましたが、ウチの大学からの申請も採択されました。よかった、よかった。申請作業に関わった皆様、ごくろうさまでした。

 まだ「選定理由」がアップされていませんが、これから次の申請に向けての分析作業だな。

 いや、その前に、学生支援GPか。

 ヒアリング用のプレゼン資料って、ヒアリングの対象からもれることを考えると、事前に作っておく気力が起きないんですよね。でも通知が来るタイミング(8月下旬)の直前は家族旅行で沖縄だし、早めにやっとかないとなぁ。台風で沖縄から動けないとなっても、資料だけは届けられるように。

大学の新自由主義

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 思えば、この半年ほど、学園の改革のためにずいぶんいろいろな仕事をしました。

 一つは、学生支援と教育モデルとを実践的に融合させたエンロールメント・マネジメントの導入。個々の学生に対する入学前から卒業後にいたるまでのトータルサポートと、個別対応教育を前提とした精緻な指導と精緻な評価で、より高度な水準で教育理念と学力の達成を図るというもの。

 従来なら一つでも審議に1年以上はかかっていたであろう改革案が全部で30以上。デザイン案を描いて、組織をつくり、さまざまな力学を駆使して、3ヶ月あまりで一気に導入にこぎつけました。言いだしっぺではあるけど、教授でもなく何の役にもついていないぼくがどうしてこんな仕事やってるんだろうと思いながら。

 もう一つは、学生支援GPの申請。GPの全貌が明らかになってから締め切りまでわずか3週間あまりというのが厳しかった。自由に論理を組み立てられる研究論文とは違って、審査機関の意図に沿って作文するのはなんとも骨の折れる作業でした。研究室にマットと寝袋を持ち込んで2泊もしました。やはり、教授でもなく何の役にもついていないぼくがどうしてこんな仕事やってるんだろうと思いながら。

 そして最後に、組合活動。今年度の方針は、新自由主義に基づく経営グランドデザインの提示です。経営のガバナンスと教学のガバナンスを整備し、業績主義を公正に運用する。労務管理を脱却し、人的資本の戦略的運用に転換する。いずれも、労働組合側から提案するのがおかしいようなテーマがずらり。委員長とはいえ、ぼくがやる必要はないんだけどなぁと思いつつ、いま誰かがやらなければいけない仕事です。

 これすべて、グローバリズムの潮流に適応しなければ、学生がor学園が生き残れないという問題意識に基づくものです。

 ただねぇ。ふと、キャンパスの街路樹を見て思うのです。これは、ぼくの理想とはずいぶんかけはなれてるな、と。

 うちのキャンパスのメインストリートにある街路樹は、何年か前に、かなり不恰好な「ぶったぎり剪定」をされてしまいました。枝をすく剪定ではなく、主幹や大枝をチェーンソーでごっそり横断してしまう剪定です。

 この剪定方法は、効率よく周囲の視界と日当たりを確保したり、落ち葉を減らしたりするメリットが大きいため、近年は一般道の街路樹にもよく見るようになりましたよね。

 しかし、いったん「ぶった切り剪定」をされてしまった樹木は、もはや何十年たっても自然な樹形を取り戻すことはできません。しかも切り株の中心ではなく周囲からしか新しい芽が生えてこないため、新しい枝が育っても不安定な状態にしかならず、風雨で折れたりする危険性が増してしまいます。その危険を避けるためには、毎年毎年、すべての新枝を切り落として同じ不恰好な形に戻してしまわなければなりません。こうなってしまうと、ただ生きているというだけで、もはや樹木としては終わったも同然なのです。実際、枯死したり、何年も葉が茂っていない木もあります。

 管理のコストが大幅に減るということだけを目的として、樹木の美しさをいっさい省みない「ぶった切り剪定」。それが、ぼくには新自由主義の姿とダブって見えてしまいます。

 ぼくとしては、できるだけ「ぶった切り剪定」にならないように、"生き残り"と"美しく自然な姿"の両立を目指して制度改革のデザイン案を描いてきたつもりです。でも、何度も立ち止まって、一歩遠い目線から常に確認していないと、自分が教育を「ぶった切り剪定」してしまうのではないかという恐怖感におそわれるのです。

 文部行政を担う人たちも、同じ恐怖感を持ってくれているといいのですが。

大学でのセクハラ #3

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 先日、ちょっと必要があって、セクハラについて少し学生の意見を聞いてみました。 

質問3 でも、女子学生が冷静になってよく考えてみると、その教員に対して抱いていたのは、「先生への敬意」であって、「恋愛感情」ではなかった。性的関係を持つことは本意ではなかった。不本意に性的関係を持ったのだから、これはセクハラなんじゃないか?
 こんな感じで、学生のほうから誘った場合でもセクハラとみなされるかどうかについて6つの質問に答えてもらいました。選択肢は「セクハラだと思う」「わからない」「セクハラではないと思う」の3点尺度。

 6項目全体を通じて、「セクハラだと思う」と回答したのは23%ぐらい。そして、その倍の約半数が「セクハラではないと思う」という。うーん。学生から誘った場合は、セクハラではないという意見が多数派です。けっこうセクハラ認定にシビアですね。

 でも、例えば訪問販売の場合、クーリングオフ制度があります。訪問販売では、何人ものセールス担当から強く勧められたり、甘言に乗せられたりして、意思がハッキリしない状態でも契約の申し込みをしてしまうことがあるため、買い手が頭を冷やして考え直す猶予を設けて救済するための制度です。商取引だって、非対称的な関係の場合には一定の留保がつくわけです。

 ぼく個人としては、教員と学生の関係も同じだと思うんですがねぇ。

 たぶん、「誘った」という時点でアウトなんでしょうね。もう少しボカして、例えば、「慰めてもらいたいと思って抱きついたところ、あっという間に性行為に転じてしまった」だったら、まだ「セクハラだと思う」という回答は多くなったのかもしれません。でも、こんな聞き方だと、質問自体がセクハラの要件を満たしそうです。

 ところで、セクハラについては、多くの企業や大学が就業規則に規定を設けています。どこかで雛形を作成したものが流布したのでしょう、だいたいどこでも似たような規定が並んでいます。例えば、こんな感じ。

次の各号に掲げる行為をしてはならない。
(1)容姿及び身体上の特徴に関する不必要な発言
  中略
(7)性的な言動により、学生等の修学意欲や他の教職員の就業意欲を低下せしめ、能力の発揮を阻害する行為
(8)交際・性的関係の強要
 この第8号は解雇の要件ですが、「強要」したかどうかの証明は事実上不可能です。たとえどんなに強い訴えがあったとしても、証拠がないかぎりは第7号で処置せざるをえず、懲戒は重くても減給どまりです。

 じつは、うちの大学ではセクハラ防止規定を就業規則に明記することが遅れていて、先日ようやく改定が行われたところです。冒頭で「ちょっと必要があって」と書いたのは、この第8号をそのまま就業規則に載せるのは問題なんじゃないかと思って、その下調べをするためでした。結果が上述の通りでしたので、会議では「問題があると思う」とだけ発言してスルーしましたが。

 信州大学ではどういう根拠で諭旨免職にしたんだろう。気になるところです。

また買ってしまった...

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 また買ってしまいました。

 毎回毎回、「舞台装置が受け入れられない」だの、「あんなスポーツはありえない」だの、読んでは毒づいているあの本。

 一番おいしいその場面でそのナンセンスはないだろう!と悲鳴を上げたり、おいおいそんなオチなら今まで引っ張ってきたのは何だったんだよと唖然としたり。

 主人公が幼いうちは「児童文学」だと割り切って読めましたが、もうけっこう大きいですからね。だんだん普通のファンタジーとしてしか読めなくなっている。そうすると、いろんな矛盾が気になって、もう単純に楽しむということができない。

 しかも、みょうに分厚いから、ベッドに横になって読むのも苦痛だし、ちょこっとポーチに入れてファミレスに持っていくというわけにもいかないし、カバーつけたままだと外で読むのは恥ずかしいし。いったいいつ読めばいいというのか。

 いつもいつも、買わなければよかった、時間の無駄だったと嘆いているのに......。また買ってしまいました。完全にノセられていますね、ぼくは。高い壷なんか買わないようにしないと。
 →amazonで4割引です。

試験への対応技術

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 一般に、受験への対応技術は高校や予備校で学びますね。膨大な試験問題を解いていくうちに自然と身につくものもあれば、ある程度体系だてたスキルを教師が教えてくれることもあるでしょう。

 では、大学での定期試験への対応技術は、どうやって学ぶのか。ぼくが学生のころにどうだったかを例としてお話しましょう。

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 たいていの大学では、年度初めにクラス委員を選びますよね。ぼくが出た大学では、その他にも、生協委員、コンパ・レクリエーション委員、そして試験対策委員(通称「シケ対」)といった役職がありました。最後に挙げたシケ対とは、「試験対策プリント」(通称「対プリ」)を作成する委員です。

 シケ対は、代表的な授業について、丁寧にノートをとる担当者をそれぞれ数名指示します。そして試験前になると、担当者からノートを提出してもらい、さらに先輩たちから過去の試験問題を提供してもらい、模範解答などを記載した対プリを作成します。そして、クラス全員からコピー代を徴収し、対プリを配布します。試験の成績は対プリのできにかかっていますので、学生たちは自分のクラスの対プリだけでなく、他のクラスの分までかき集めます。そして複数の対プリを総合して、試験勉強をするわけです。

 こういう一連のやり方は、真面目な学習を妨げるということで不快に思われる先生もいるだろうとは思います。事実、担当者がしっかりしてそうな授業には、ぼくは出席していなかった。

 しかし、よく考えてみると、これってかなり理想的なピアレビュー&ピアサポートになっているのですね。

(1)ノート・テイキングの技術が向上する

 対プリには、通常、(a)出題の傾向と対策、(b)授業のノート、(c)過去問の模範解答、の3点が記載されます。つまり、誰かが書いたノートがそのままコピーされ、クラスの中だけでなく、学校中に広まってしまうわけです。

 これによって、2つの教育効果が発生します。

 第一に、他の人たちがとった複数のノートを閲覧することにより、より効率のよいノート・テイキングの方法を学ぶことができるということ。

 第二に、担当に当たった科目では、自分のノートが学校中に広まってしまうわけですから、恥をかきたくなければ、必死になってノートを整理しようと試みることになります。よくまとまっているノートは全学的に賞賛され、出来の悪いノートは全学的に罵倒されます。

(2)要点整理の訓練になる

 対プリは必ずしもシケ対が作成するわけではありません。それぞれの科目について、シケ対から指示を受けた学生(多くの場合はノートの担当者)が作成します。その際、対プリに全授業内容を記載するわけにはいきませんので、ポイントをかいつまんで紹介しなければなりません。

 したがって、少なくとも自分の担当科目については、授業の全体像を把握し、しかも、その要点を整理することになります。これは、要点整理のたいへんな訓練になります。

(3)自信形成につながる

 入学したばかりの学生にとっては、多かれ少なかれ、大学での試験に不安があるものです。その点、対プリがあれば、その不安を大幅に軽減することができます。

 それだけでなく、自分の担当科目については、同程度の学力水準にある学生たちにわかりやすく授業内容を紹介することになりますので、「教える」という作業を通してより授業内容への理解が進みます。

 そして、立派な対プリを作成できたときには、大学での学習に対して、大きな自信を持つようになります。

(4)社会人基礎力の訓練になる

 対プリを作成するためには、ただノートを上手にとるだけではいけません。ツテをたどって過去の試験問題を入手したり、(自分が模範解答を作れない場合は)誰かに模範解答を書いてもらう必要があります。つまり、単独ですべてを遂行できる能力がある場合は別ですが、基本的に、幅広くいろいろな人の助けを借りなければならないわけです。

 そのため、対プリの作成にあたって、理解力、論理的思考力、表現力が問われることはもちろん、調査分析力、他人と共同して問題解決にあたることができるコラボレーション力まで発揮しなければなりません。いわゆる社会人基礎力を鍛えるための絶好の材料となります。

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 という感じで、試験対策の共同作業を通じて、ぼくは、大学での定期試験への対応技術を習得したわけです。

 うちの大学でも、この制度のいいところは応用できたらいいのですが。

試験の巧拙

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 ぼくが非常勤で教えたことのある他の大学に比べて、うちの大学の学生には明確な特徴があります。

 試験がヘタなのです。いや、正確に言えば、どういう種類の労力をどれくらい試験勉強につぎ込めばいいのか、わかっていない学生が多い、ということです。

 事前に試験勉強のコツを教えてあげたときは、たったそれだけで一斉に得点が上がって、某有名大学の20点近く高い平均点になったりする。一方で、そういう指導をやらなかったときは、学力や平常の授業態度と関係なく一斉に得点が下がって、他大学より10点近く低い平均点になったりする。

 3年生ぐらいになると、一定の学力を持つ学生はだいたい要領を会得してきますので、"試験なれ"していないということもあるんでしょう。でも、学生の気質や資質も関係しているように思います。

 マニュアルがある作業だと、真面目にコツコツこなして完成度の高いものを提出してくる。例題にならってレポートを完成させるような作業をやらせると、確実に他大学の学生よりも優秀な学生の割合が高いですね。

 なのに、自らマニュアルを作り出すような独創的な作業はたいへんニガテとする学生が少なくない。例えば、「自由に論じなさい」のような課題だと、出来のよしあしを問わず、読んでいて楽しくなるようなオリジナリティのあるレポートは非常に少ない。

 だから、定期試験の作問でも悩みますね。穴埋めや語句説明など、授業で伝えた知識の習得度を問う形式にするべきか、それとも、論述形式で、どれだけ教わった内容を消化し、自らの知識として肉体化し、実際に応用してみて新たな疑問を発見する力量が身についているかを問う形式にするべきか。

 小テストや中間試験は前者でも、定期試験は後者にしたい、とぼくは思うのですが、そこまで学生を育成できてはいないという自覚もある。だから、不本意ながら、全部、前者の形式で出題することにしています。

 基礎ゼミその他、独創性や主体性を育てるための授業は増えてきていますが、「主体性を育てる」という形容矛盾に解決策を見出すのはたいへん難しいですね。結局は、主体性があるように見せかけるテクニックを覚えさせるだけということになりかねない。

 そうはいっても、テクニックはテクニックとして重要ですので、「試験でいい成績をとる方法」も今年度から授業に組み込むようにしました。せめて少しは世渡り上手になってくれるといいのですが。

橋にかけるロマン

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 橋やダムには「ロマン」があります。大自然を相手に知恵と体力と勇気を試される非常に危険な大仕事ですので、たいていの橋やダムにはヒーロー譚があったりするものです。これがいわゆる「男のロマン」。建築後はその機能美や夜景の美しさから若い恋人たちをひきつけるものです。これは...なんのロマンだろう。

 ともかく、マンハッタン島には東西に大きな橋がいくつかかかっていて、やはり、そのすべてにちょっとした逸話があります。天才ローブリング親子が名声と人生をかけたブルックリン橋。フラッター現象で崩落するという大惨事で世界に聞こえたタコマ橋、等々。

gwb.jpg

 ニュージャージー州のフォート・リーとマンハッタンを結んでいるジョージ・ワシントン・ブリッジ(George Washington Bridge: 略してGWB)もそのひとつ。ル・コルビジェをして「世界で最も美しい橋」といわせた建築です。

 7本ものハイウェイが集中するロケーションですので、むかしから激しい交通渋滞の名所で、1962年にはもう一本の橋板を通して上下二層構造に改築するという離れ業をこなしたこともあります。上下あわせて14車線の橋は世界唯一らしい。それでも渋滞はひどいですけどね。

 この橋のなにが美しいと評価されたのかというと、スチールがむき出しの色合いや、トラス構造の骨組みをむき出しにした鉄橋です。写真を撮ったときは補修中だったのでカバーがかぶせてありますが、本来はそういう構造なのですね。(テロ対策で、いちおう撮影禁止らしい)

 ル・コルビジェいわく「無秩序な都市にあって唯一の気品の源である」とのこと。たしかに、現代建築の巨匠が好みそうな、機能主義的な様式美はあるといえるかもしれません。個人的には、美しいというよりむしろ無機的な威容が冷たいニューヨークにぴったりだと思いましたが。

 でも、G.W.ブリッジに独特な景観を与えているトラスの鉄橋ですが、本来の設計では単なる骨組みであって、表面には大理石かなにかを張ることになっていたそうです。予算不足で裸のままの設計に変更されただけだったのですね。それがむしろ現代建築らしい無骨な機能美につながったというのですから、面白いものです。

 ちなみに、G.W.ブリッジの東側は「ワシントン・ハイツ」という地域です。この一帯には、「ワシントン」や「フォート」(砦)と名のつく地名がいくつかあります。それは、アメリカがイギリスからの独立をかけて戦ったころ、ちょうどこの辺り、ハドソン川の両岸にジョージ・ワシントン将軍が砦を築いたことに由来するそうです。

中間試験

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 うちの学部の場合、今年度から、専任教員の授業では「出席だけ」「定期試験だけ」といった成績評価は認められていません。出席、小テスト、課題、中間試験、定期試験など複数の評価ポイントによって、厳密に成績を評価するというルールが導入されたためです。

 このルールを導入するときは、学生たちに管理強化だととられて反発を受けるんじゃないかと心配しましたが、実際は逆でした。より丁寧に面倒を見てくれるのはありがたいというのです。まぁ、定期試験一本で評価されるのは不安だということなんでしょう。

 ただねー、問題は中間試験です。ぼくの担当科目の場合、だいたい中間試験は30%のウェイトになっています。中間試験で得点を稼いでおけば、定期試験でコケても単位を落とすリスクは減るのですが、中間試験の出来が悪いと、定期試験のプレッシャーは大きくなるだけです。そのことが、まだ学生たちにはピンときてないらしい。というのも、けっこう真面目な学生でも、かなり出来が悪かった...。教員を落ち込ませるのは簡単ですね。テストの成績がそろって悪ければいい。

 これを教訓として、後期からは中間試験に真剣に臨んでくれるようになると思いますが、前期はどうするかなぁ。このままだと、不合格者が山ほど出てしまいますので、今回に限って救済策を用意してあげるしかないでしょうね。ふぅ。

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