2007年6月アーカイブ

大学でのセクハラ #2

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 先週のエントリーで、「権力に格差があるとき、『同意』は幻想だし、『恋愛』も成立しない」と書きましたが、このニュースもその一つでしょうか。

 裁判が進んでみないと事実関係はわかりませんが、かりにこの方の主張の通り、大学院生側から誘いをかけてきたんだとしても、やっぱりセクハラに当たるというのが前回のエントリーの主旨でしたね。

 とはいえ、当初の信州大学の発表は、「性的関係を強要し、妊娠させた」として諭旨解雇処分でしたからね。はたして、信州大学側はきちんと公正な調査をし、セクハラの意味を理解したうえで処分に至ったのか、いささかアヤシイ気もします。

 解雇処分は仕方ないとしても、名誉毀損は認められるかもしれませんね。

疲れていると...

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 「あぁ、疲れてるんだな」と自覚する瞬間――肩がこるとか、寝起きがツライだとか、いろいろとありますね。ぼくの場合、「バイクの運転が下手になる」というのがいちばんの指標になります。とにかく、ふらふらして安定しなくなるのです。

 たぶん、体幹や足に力が入らない→乗車姿勢が安定しない→ふらつく、ということなんでしょう。そういうときは、注意力も散漫になっているので、「ふらつくときは普段よりも安全運転」を心がけています。けっこう便利で正確な判断基準です。

 本日、学生支援GPの校正が終わって、申請書の製本が終わりました。たぶん、事務方のどなたかが郵送したか東京まで持参していってくれたことでしょう。ごくろうさまです。今週は大学の研究室に寝袋を持ち込んで2泊もしましたが、これでやっと肩の荷が下りました。この後ヒアリングになっても、さすがにもうぼくの仕事ではないでしょう。

 GPのせいでたまっている仕事がたくさんあるので、一つずつサバいていかないと。採点できずに放置してある中間試験が2科目あるので、まずはそれからです。でも、出来がわるい科目は、採点しているとドッと疲れるんですよね...

 ところで、ぼくは「教育熱心」らしい(小うるさいともいう)。

 今ではそういう評価を受けていますが、ぼく自身が大学生のころには3B(バイト、バンド、バイク)を謳歌していました。関心のある科目のほかは授業に出席せず、空いた時間はジャズ研の部室にこもってドラムの練習。専門の書籍はたくさん読んでいましたが、授業の予復習には手をつけず、放課後はバイトに明け暮れる毎日。稼いだお金はバイクと楽器のローンに使い果たす。絵に描いたようなレジャーランド大学生ですね。

 どの面下げて、出席不良の学生に「ちゃんと授業に出なさい」なんて言えたもんかと我ながら可笑しくなります。

 そんな感じで、20歳代半ばまでは「音楽なしでは生きられない」と思っていたのですが、しだいに演奏することはなくなり、30歳代に入るころからは音楽を聴くことすら少なくなっていきました。音楽以外に自己を昇華する手段がたくさんできたしね。

 でも、ぐったり疲れているとき、むしょうに寂しいとき、ふと音楽が聴きたくなることがあります。音楽に慰めてもらうというか、応援歌に励ましてもらいたくなるのですね。

 応援歌の筆頭はこれ。ピーター・ガブリエルとケイト・ブッシュによる説明不要の名曲です。

こっそり総背番号制

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 あつかましいというかなんというか...

 年金問題をきっかけに、政府は国民総背番号制の導入を持ち出していますね→(23日付asahi.comのウェブ魚拓)

 安部政権、もうアカンね。

 それにしても、住基ネットの大失敗で懲りないもんかなぁ。

大学でのセクハラ

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 大阪教育大のセクハラ事件について。

 第一報は一般紙とスポーツ紙とで記述にズレがありますが、ここはあえてスポーツ紙をウェブ魚拓しておきましょう→スポーツ報知

......教室で絵を描く準備をしていた女子学生(24)を研究室に招き、約10分間にわたってキスしたり胸などを触ったりした疑い。

 女子学生は単位をもらえなくなると思い、抵抗できなかったという。事件のショックで心療内科に通院し、6月中旬に入院した。今年3月に学内の人権委員会に相談。同署に被害を届けた。その後、星容疑者は3月中旬に「会って謝りたい。このままでは大学をクビになる」というメールを送ったというが、供述では「同意の上だと思っていた」としている。

 いまどきこれほど典型的なセクハラはめずらしいですね。大学のセクハラはもう少し複雑に入り組んだケースが多くなっていると思うのですが。

 法の世界では、セクハラの構成要件として、(1)性的な言動がある、(2)それが相手の意に反している、(3)権力の格差がある、の3点が判例の中であげられています。でも、「相手の意に反している」という要件は評価がなかなか難しいため、トラブルの原因になりがちです。

 例えば、大教大の事件のように、受け手が権力の行使を怖れてその場では抵抗の意思を表明できず、行為者は「同意の上だ」と解釈してしまったりする。こういうネジレはよくあることですね。というより、ほとんど例外なくセクハラに付随する特徴とすらいえるかもしれません。

 もっとややこしいのは、受け手がそのときは「同意」のことだと思っていても――もっといえば、受け手のほうから誘いをかけていても――いざ頭が冷えてみると、性的な関係を持つのは本意でなかったと思い直すことがあります。はたして、これは「相手の意に反している」といえるのかどうか。

 結論からいえば、どちらの例も、やはり、「相手の意に反している」と解釈するしかありません。二人の間に権力の格差があるときは、対等な立場を前提とする自発的な「同意」なんて成り立たないと考えるほうが自然だからです。

 女子大ではめったにありませんが、共学の大学だと独身の教員と学生が恋愛関係になることもめずらしくありません。でも、恋愛関係とセクハラを区別する客観的な基準なんて存在しませんので、これは厳に慎むべきことだと思います。

 たとえ、そのとき学生は教員に恋愛感情を持っていると思い込んでいたとしても、実は、教員への敬意をとりちがえた擬似的な感情かもしれません。しばらくお付き合いした後、学生がそれに気づいたとする。そしてセクハラだったと訴えることがある(某大学で実際にあった事例です)。

 これって、学生にとっても不本意で傷つく経験でしょう。でも、教員にとっても、純粋な恋愛感情を踏みにじられ、しかも社会的地位まで危険にさらされる二重の裏切り行為だと感じられてしまうことになる。お互いにとって、たいへんな不幸です。

 ということで、権力に格差があるとき、「同意」は幻想だし、「恋愛」も成立しない、という話でした。
 (華原朋美と小室哲也なんて、どう見てもセクハラやろ。)

追記:

 書いてるうちに忘れてしまってましたが、最初に書こうと思っていたのは、大阪教育大学には「セクハラ防止規定」がないのかな?という疑問でした。

 記事にある「今年3月に学内の人権委員会に相談。同署に被害を届けた」というのが、
(a)人権委員会に相談したところ、同署に被害を届けるようにアドバイスを受け、それに従った
(b)人権委員会に相談すると同時に、同署に被害を届けた
のどちらなのかによって話が変わってきます。

 aのようなセクハラ防止規定は聞いたことがありませんので、もしaであれば防止規定が未整備ということでしょうかね。もうはっきりと覚えてはいませんが、文部省(当時)が全大学に作成を指示したのは1999年ごろだったでしょうか。いまだに規定がない大学が残っているとも思えないのですが...

追追記:

 「大阪教育大学セクシュアル・ハラスメント防止・対策に関する規程 (平成12年4月1日制定)」があるようです。調停や事実調査は記載されていますが、調査の前に告訴や被害届を促すという記述はありませんので、おそらくbのほうでしょう。

ワシントンポストの広告

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 日本に関心を持つ人にとっては、日本の外から日本を見たとき、いい面もわるい面もそれぞれ目に付くものです。しかし、ぼくの場合、ことジャーナリズムについていえば、不愉快になるほど"わるい面"ばかりが目に付いて仕方ありません。

 必ずしも他国のジャーナリズムが平均的に優秀というわけでもないのですが、日本の大手報道各社についてはジャーナリズムを名乗る資格があるのか疑わしくなることもしばしば。

 至近ではこのニュース。「日本の超党派国会議員有志や言論人グループなどが14日付の米紙ワシントン・ポストに、慰安婦らが日本軍によって強制的に慰安婦にされたことを示す歴史文書は存在しないなどとする全面広告を出した」(15日の時事ドットコム:当初の配信記事の半分くらいに縮小してます)というもの。→広告の現物(広告主の一人、西村幸祐氏のブログより)

 どの新聞社もこの「事件」のニュースバリューを測ることができず、配信を垂れ流しするだけにとどまりました。19日現在になっても、続報はありません。しかし、今このタイミングで、よりによってワシントンポスト紙に、日本を代表する立場にあると解釈されてしまう人々の名前入りで、こんな広告を出せば、外交関係に非常に重大な影響が生じることは誰の目にも明らかです。その重大性が、新聞各社にはわからないらしい。いや、わからないはずがない。わかっていて、書かないのでしょう。そこが腹立たしい。

 この広告のせいで、4月末に安部首相が訪米したときとは、米議会内の空気が完全に変わってしまいました。なにせ、副大統領が半公式にこの広告に激怒を表明している状態です。

 せっかく様子見の流れだった日本軍慰安婦問題の糾弾決議案は下院に上程され、可決されるでしょう。そして、北朝鮮をめぐる多国間協議で、これまで以上に拉致問題は置き去りにされることになる(拉致加害を否定しようとする国が、拉致被害を訴えても説得力に欠けます)。さらに、大統領選の流れによっては、対日重視政策が後退し、中国重視へと大きく舵を切ることもありえます。

 新大統領が就任する2009年、日本の外交環境が厳しさを増す中で、「あの広告が直接の転換点だった」と振りかえっているかもしれません。それまで、日本の「ジャーナリズム」は何もせずにただ黙っていることでしょう。

 ちなみに、賛同人の一人、島田洋一氏のブログによると、「話題になったこと自体......大いに効果があった」というスタンス。90年代半ば以降の日本で達成した政治的ムーブメントを今度はアメリカでということなんでしょうが、この世間しらずぶりをどう表現したらいいものやら。

オクラホマ

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 アルバカーキーAlbuquerqueという町のホステルでの会話。

ぼく「へー、あちこち行ってますね。このあたりだとニューメキシコ州以外ではどこに行きました?」
客A「このへんは全部行ったよ。あ、でもオクラホマには行ったことがないな」
客B「おれもオクラホマに行ったことはないな。行こうと思ったこともないや。」

 と、オクラホマは相手にされていません。というより、バカにされきっています。客Aはニューヨーク市、客Bはロサンゼルス在住なのに。もしかして全米からバカにされている...?

 ぼくのお気に入りの小説のひとつに、スタインベック著『怒りのぶどう』があります。不況で土地を失ったオクラホマの農家たちが仕事と食べ物を求めてルート66を西へと移動するのですが、道中「オーキー」などと罵倒され、賃金を買い叩かれ、ひどい目にあいながらも、たくましく生きるという話です。上の会話を聞きながら、『怒りのぶどう』を思い出していました。

 日本でいえば、ときどき京都の人が滋賀県民を田舎者として小ばかにするようなことがありますね。(あるいは、福岡の人が佐賀県民を、東京の人が埼玉・千葉県民を。)

 客観的にみれば、大津市や草津市は京都市よりも中産階級が多いのでよっぽど都市的ライフスタイルが発達しているし、レジャーも盛んで訪れる観光客は京都よりも多いくらいなのですが、京都人にとって"滋賀県民は田舎者だ"というイメージは根強いようです。京都人は自分たちが田舎者だって気づいていないこともあるしなぁ。

 さて、「オーキー」に相当する罵倒語は「滋賀作」になるのでしょうか。ただ、からかうように「オーキー」と発音すれば、英語圏では語感だけで間違いなく侮蔑をこめた罵倒語だとわかるのに対して、「しがさく」は語感が弱いですね。たとえはやしたてるように発声しても、それだけで侮蔑をこめた罵倒語だとはわからない。たぶん、会話の中で発生した罵倒語ではないのでしょう。

 差別語、罵倒語は、語感が大切です。発声するだけでそれとわからなければ意味がない。たとえば、日本人を差別する英語にJapとかNipとかあります。でも、英語では罵倒語として通用する語感があっても、日本語としてはやはり語感が弱い。「じゃっぷ」とか「にっぷ」と呼ばれたって、なかなか腹は立ちません。

 日本人をバカにするとしたら、たとえば「ぽんじん」「にぽん」「はぽん」とかが語感としては適切でしょう。からかうように、あるいは吐き捨てるように「ぽん」と発声すれば、確実に侮蔑の意図が伝わります。外国人から、「おいおい、またポンジンが集まって徒党を組んでるぜ、ははは」とかって笑われたら、きっと、めちゃくちゃ腹が立つことでしょう。

 アメリカでは、普段は差別する側といえる人を対象に、「差別されてみる訓練」をしてくれるレッスンがあります。お金を払ってわざわざ差別される体験をしにいくの。すごいでしょう。

 こういうのって、バカにされてみなければ、侮蔑された人の本当の気持ちはわからないものですからね。「差別語は使っちゃいけない」なんて杓子定規にとらえるだけでは何の役にも立ちません。実際に差別されてみれば、そしてそれで実際に傷ついてみれば、少しは理解も進むだろうという考えなのでしょう。

 オクラホマは、可もなく不可もない、ごくふつーの田舎めいた州でした。でも、↑のようなことを考えていたので、なんとなくサビシイ印象があるのでした。

授業回数は15回

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 先日、ある学生からジョークめかしてこういわれました。

 「ウチの学科でなにかキビシくなったり学生の負担が増えるようなときって、だいたい先生のせいだってみんなウワサしてますよ。」

 うーん、否定しづらいところです。

 「盗用の禁止とか...」

 (プレッシャーにはなるだろうね。でも当然のルールなんだし、むしろちゃんと教育してもらったほうがいいやろ?)

 「卒論調査のルールとか...」

 (ちょっとキビシイかなとも思うけど、人を対象に研究をやる以上はしょうがないやん?)

 「小テストとか宿題が増えたのとか...」

 (教員の負担も増えたけどな。その分、学力は向上してるし、卒業したらきっと感謝するよ。在学中はともかく(笑)

 「出欠をとるようになったのとか...」

 (いや、君みたいな優秀な学生にとってはうっとおしいだろうけど、これは喜んでる学生のほうが圧倒的に多いぞ。評価ポイントが増えるから安心だって。)

 「15回授業とか...」

 (ちょっとまて! 15回授業はおれのせいじゃないぞ!)

 ************

 高等教育の単位制については、文部科学省令「大学設置基準」にルールが定められています。

第二十一条 各授業科目の単位数は、大学において定めるものとする。
前項の単位数を定めるに当たつては、一単位の授業科目を四十五時間の学修を必要とする内容をもつて構成することを標準とし、授業の方法に応じ、当該授業による教育効果、授業時間外に必要な学修等を考慮して、次の基準により単位数を計算するものとする。
講義及び演習については、十五時間から三十時間までの範囲で大学が定める時間の授業をもつて一単位とする。(以下、略)
 ちょっと分かりにくいですが、授業を15回やって、その倍の時間を使うような予習と復習をこなしたら2単位とします、という意味です。(参考:Wikipedia「学年制と単位制」)

 ただ、「定期試験は授業1回分とカウントするのか?」「暦や学校行事の都合でどうしても14回しか授業回数を確保できない場合はどうするのか?」といった問題に画一的なルールを適用するのは無理があります。

 文部科学省としては、「最低13回の授業」がボーダーラインで、あとは大学の判断にある程度まかせるというスタンスです。だから、授業期間外に定期試験期間を設けてある大学の中には、定期試験を授業1回分とカウントして、実質的な授業回数は12回しか確保していないところもあります。

 ところが、保育士、管理栄養士、介護福祉士などの資格をにぎっている厚生労働省の立場はちがっていて、「ちゃんと90分授業を15回やらないとアウト」というのです。しかも、定期試験を授業1回分とカウントするためには、「60分間の試験+30分間の事後説明」のように、あくまで授業の中で試験を実施したというかたちにしないとダメというのですね。文部科学省とは違って、学校現場の苦労には配慮してくれないわけです。

 厚生労働省所管の資格にかかわる学科だけ授業回数が多いといろいろと不都合が生じますので、近年は全学的に15回の授業を実施する大学が増えています。

 ただ、授業15回+定期試験を確保するのは至難の業なんですよね。入学式を早めたり、祝日をつぶして授業を開講したり、創立記念日をゴールデンウィーク中に移動したり、ずいぶん苦しい操作をしないといけません。厚生労働省にはもう少し柔軟な対応をお願いしたいところです。

北米の沙漠

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 サン・ディエゴのホステルにて。相手は博士号を取ったばかりの33歳女性。ワシントンDC在住。

女性「明日はどこに行くの?」
ぼく「はっきりとは決めてないけど明日はI-8でツーソンまで行くかなぁ。で、南部を回ってフロリダまで行ってからニューヨークに戻るよ。」
女性「え、バイクでデザートを通るの? 昼に? あついわよ。気をつけてね」
ぼく「うん、あついらしいね」(どうもこれがのん気に聞こえたらしい)
女性「出発する前に誰かにデザートを通るって伝えてからにしたほうがいいわ。ちゃんと生存が確認できるように。ここのフロントに伝えてから出なさいな」
ぼく「ははは、ありがとう。」
女性「笑いごとじゃないのよ。あそこはね、メキシコからの密入国者が毎年何人も猛暑で行き倒れて死んでしまうところなのよ。比喩じゃなくて本当に、車のボンネットで卵焼きができるくらい熱いの。あたしが行ったときも、たった10分エンジントラブルで停まっただけで本当に死ぬかと思った。遭難した!って大騒ぎだったんだから。それにね...」(以下10分ほどおどされる)
ぼく「んー、でも、それを自分で経験したくて旅をしているんだよね」
女性「わかったわ。(真顔で)グッドラック!」
ぼく「(オイオイやめてくれよ...) ^_^;」

 実際にどうだったかというと、いや、本当にあつかった。暑いというより熱かった。

 この日、気温は摂氏45度くらいまであがったようですが、ハイウェイのうえは当然さらに気温が高くなります。直射日光にさらされたものは触れないほど熱く、バイクも革手袋なしでは触れません。

 熱中症予防にハイドリングシステムで水分補給していたのですが、ホースの中のドリンクが飲み頃のホットコーヒーぐらいの温度にあたたまっていたぐらいです。

 休憩所で難を逃れようとしても、コンクリートが日なたと地続きなので日陰ですら床がカンカンに熱いのです。自動販売機はすべて故障中。ぜんぜん休憩になりません。

 しかたなく走り始めると、熱せられた地面とカンカンに熱くなったバイクのエンジンから、まるでストーブの熱風みたいにとがった空気が吹き上げてきます。しかも、ただ走っているだけなのに、タイヤから焦げ臭い匂いが漂ってくるし。

 Tシャツでバイクに乗っている人を見て、10分ほど夏用のメッシュジャケットに替えてみましたが、けっきょく暑いのに加えて熱くなっただけでした。気温が体温より高ければメッシュジャケットにはまったく意味がありませんね。もちろん3シーズンジャケットでも暑いのですが、熱風を防げるうえ、高速で走っていると汗が気化するときに少し涼しくなったりします。

 それにしても、あのTシャツ野郎はすばらしい馬鹿ですね。結構好きです。真似しようとは思わないけど。

dune_s.jpg

 昨日も書きましたが、多くの場合、desertは水域がないだけであって、べつに砂ばかりっていうわけじゃないですから、「沙漠」と訳してもらいたいところです。アラスカでもツンドラが枯れて沙漠化している地域があるようですが、ようするに草が生えずに荒地になっているということですね。「砂漠化」では印象がかなり違います。

 とはいっても、北米にも砂だらけのところはあります。規模が小さいですから「砂丘」dune扱いですけど。写真はカリフォルニア州の南東端にある砂丘で、北米ではめずらしいためか横に休憩所が設置されていました。

 アリゾナの沙漠の写真はありません。そんな余裕ありませんでした。

 そういうわけで、アメリカ最南部のコミュニティをまわってみたいというもくろみは、一日で挫折しました。ぼくはまだ耐えられたんですが、バイクがかわいそうで。だから進路を北に変えて、ルート66沿いに進んむことにしたわけです。

参考)アリゾナはグランドキャニオンとサボテンで有名な州で、北米でもっとも自然美の豊かな地域のひとつです。文字通り死ぬほどあつい夏の州南部はオススメしませんが、グランドキャニオンに近いフラッグスタッフFlagstaffという町のホステルには日本からも何人か旅行客が来ていました。ルート66を町おこしにしている、かわいらしい町ですよ。

南カリフォルニア

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 「desert」で辞書を引くと「砂漠」と出ます。でも、少なくとも北米大陸についていえば、砂漠という訳は正確ではありません。「不毛の地」「荒野」「乾燥地帯」ぐらいが適切な訳でしょう。エンカルタの英英辞典にはこう載っています。

desert /dézzərt/
1. arid area: an area of land, usually in very hot climates, that consists only of sand, gravel, or rock with little or no vegetation, no permanent bodies of water, and erratic rainfall
不毛の地域:通常とても暑い気候で、砂、砂利、岩だけしかなく、植物はほとんどないしまったく生えず、水域は存在せず、不規則に雨が降る土地。
クリックすると大きくなります。カリフォルニアの典型的な山の風景 つまり、サハラ砂漠などの砂だけしかない土地だけでなく、サボテンしか生えないやせた土地もやはりdesertなのですね。かつては水が少ない土地という意味で「沙漠」と表現することもあったようですが。

 写真はカリフォルニアの典型的な山の風景です。東海岸の風景に比べると高木がなく、枯れ草ばかりで全体的に茶色をしています。月がきれいだったので撮りました。このとき、脳内に流れるバックミュージックはホテルカリフォルニア。On a dark desert highway〜♪

 さて、ロサンゼルスで古い友人たちと会ったり、アメリカ社会学会のカンファレンスに出席したり、日本から来ていた共同研究者と進行中の調査プロジェクトのミーティングをしたり、といった仕事をこなしたあとは、仕事モードからリゾートモードに切り替えました。

 まずはロサンゼルスのビーチ。

 ロサンゼルスといえばサンタモニカやベニス・ビーチが有名ですが、あそこは商業地であまり水質がよくないということもあって、土地の人が海に入って泳ぐことはめったにありません。ジモティにとっては散歩をしたり、ショッピングをしたり、ビーチバレーをしたり、スケートを楽しんだりするところなのですね。ぼくにとっては桟橋(ピア)から釣りをするところ。

 では、ジモティはどこで泳ぐかといえば、もう少し北上して、マリブ・ビーチやズーマ・ビーチまで行きます。どちらもたいへんキレイなところですが、ぼくはズーマのほうが好きですね。

 南カリフォルニアのビーチには、アメリカの他のビーチとはハッキリした違いがあります。すなわち、みんな引き締まったカラダをしているのです。ほとんど例外なし。

 南カリフォルニアは暖かいせいか、ことあるごとに男も女も服を脱いで肌を出します。そして、肌を出す機会が多いため、みなさん、カラダづくりに熱心です。たぶん、全米でもっともフィットネスやジョギングが盛んな土地でしょう。もちろん、ジョギング中も脱いでます。そんな人々にとって、ビーチはカラダづくり発表会の場でもあるのですね。(→参考

 みんな腹筋が縦に割れてるのです。そんな中、一人だけ横に割れたおなかで水着を着ていると、くやしいやら恥ずかしいやら。つい、むなしくおなかを引っ込めたりしてしまいます。

 ロサンゼルスのあとは、200kmほど南下してサンディエゴのビーチ。

 サンディエゴでは、なぜかロサンゼルスよりもビーチの人口密度が高いです。ヌーディストビーチになっているようなところを除けば、日本の海水浴場なみに人が多いです。そして、それがみんな、老若男女を問わず、いいカラダをしている。町の中では太ってる人も見かけるけど、ビーチには近づけないんだろうなぁ。その気持ちはよく分かる。分かるぞ。

 という感じで、カラダを鍛えようという決意をお土産に、南カリフォルニアを後にしたのでした。

この木なんの木?

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 北カリフォルニアといえばやっぱりこの二つ。

北カリフォルニアには巨木群が二つあります。ひとつはジャイアントセコイア。そしてもうひとつがコレ
何件ものワイナリーのTastingの看板を泣く泣く通り過ぎました。

 上の写真はレッドウッドRedwoodです。北カリフォルニアには巨木群が二つあります。ひとつはジャイアントセコイア。そしてもうひとつがコレ。樹齢2千年で120mまで成長するらしい。

 北カリフォルニアをドライブするなら、Redwood National Parkは外せません。写真の木はまだ中程度の太さで、おそらく樹齢千年ていどだと思います。こんなのが電信柱みたいにばんばん立っている中を気持ちよく整備されたワインディングロードが通っています。→こんな感じ

 レッドウッドというのは、針葉樹にしては硬い木で、耐久性があるのでデッキなど風雨にさらされる場所によく使われています。ただし、無節操な乱伐で数が減ってしまったため、今では伐採数が規制されています。

 下の写真はもちろんブドウ畑です。この2日後にロサンゼルスで知人と待ち合わせをしていましたので、何件ものワイナリーの「テイスティング」の看板の前を泣く泣く通り過ぎました。せっかくSonomaに来たのに...。

リテラシー

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 Wikipediaより

情報リテラシー(じょうほうリテラシー 英:information literacy)とは、情報を自己の目的に適合するように使用できる能力のこと。「リテラシー」(literacy)とは、文字の読み書きの能力を指し、これを情報一般に当てはめて情報リテラシーと呼ばれることがある。
 ウチの大学では、小規模大学では特殊といえるほど、高度に情報化が進みつつあります。e-learningなどのCBT/WBTだけでなく、履修登録はウェブ経由、休講掲示はブログ、事務連絡はすべて電子メール、スケジュール管理はポータルサイト、公式会議の議事録・資料はすべて電子的に管理、成績の入力と管理もすべてウェブ経由、等々。

 ところが、ハードはそろっていても、それらが十全な機能を発揮するところまではいたっておりません。理由は簡単で、情報リテラシーに乏しい一部の教員がシステムを使いこなせないためです。とくに、一部の学科はひどい状況ですね。

 一般企業なら職務命令として強権的に稼動水準をあげていくこともできるのでしょうが、大学では教員がかなりの意思決定を握っていますので、強権的にやろうとすればいろいろなところに無理が生じます。まぁ、一般的に言われる大学教授会の弊害ですね。民主主義が常に正しいわけじゃない。

 ただ、ぼくは個人的に、情報リテラシーという言葉にも問題があるような気がしています。

 Windows3.1の登場からすでに15年、大成功を収めたWindows95から11年以上、ネットワーク対応を標準機能としたWindows98からでも丸9年が経過しました。もはや、実態からいっても、社会通念の上でも、コンピュータは組織で職務を遂行する際に欠くことのできない道具となっています。

 そろそろ大学でも、「情報リテラシーが乏しい」などとボカした表現を使わず、もっとハッキリと、「あなたには職務遂行に必要な読み書き能力が欠けています」といってもいいころだと思うんですけどね。一般の企業ではもう10年も前からそうやってきたわけですし。

 提案が反故にされかかってちょっと怒りモードのエントリーでした。

追記:

 一太郎ver3の発売が1987年かぁ。もう20年もたつんですね。当時、PC-9801VXとCRTディスプレイ、ドットプリンタを買うために50万円ものローンを組みました。貧乏大学生の身にはかなりつらい出費でしたが、いまや10万円も払えば使えるパソコンが買えるわけです。

 しかも、20年前は使い方を教えてくれる人なんて誰もいませんでした。「世界でもっとも難しい本」といわれたマニュアルを引きながら、気が遠くなるほどリセットと再インストールを繰り返して習熟してきたわけです。情報収集に費やした書籍代と通信費はいったいいくらになるだろう。一方、いまでは無料の講習会が学内でも多数開催されています。

 こんな恵まれた時代に、使えないなんてゼイタクいうんじゃありませんよ、まったく。

ひとり社会的ジレンマ

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 問題です。

 あなたは今月中に下記の2つの仕事をしなければなりません。しかし、どちらも締め切りが近いので、2つともきちんと満足のいく内容に仕上げられるかどうか分かりません。優先順位を決めて取り組まなければならないのですが、あなたならどちらを優先しますか。

《仕事1》
 文部科学省の補助金を申請する仕事。本来は学長がリーダーシップを発揮してやるべきことだとされていますが、あなたの提案から始まった大学改革に直接かかわる内容です。今このタイミングで、この補助金が認可されれば、単に大学の財政だけでなく、経営全体に計り知れないメリットが生じます。やや大げさに言えば、大学の命運が架かっています。逆に、この補助金が認可されなければ、あなたが中心的な役割を果たした大学改革の効果が半減します。ただし、そこまで重要な仕事であるという認識は学内には乏しく、しかも、認可されようとされまいと、あなた個人の業績にはなりませんし、一円たりとも手当は支払われません。

《仕事2》
 あなた本人の研究。データの使用権を確保する上でも、学会における一定の評価を維持するためにも、キャンセルするわけにはいかないきわめて重要な仕事です。現状では、仕事1の前提となった大学改革のために研究の時間がとれず、まともに分析が進んでいません。

 どちらの仕事も、他には肩代わりしてくれる人がいません。さて、どうしますか。

休講のツケ

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 今年ははしかなどの流行で全面休講の措置をとる大学が相次いでいます。罹患していない大方の学生にとって、降ってわいた休暇は単純にうれしいものだったでしょう。しかし、休講措置がとけたとき、さて、そう喜んでばかりいられるものでしょうかねぇ。

 先月下旬から10日間ほど休講にしていた早稲田大学では、昨日から講義が開始されたそうです。休講分の補講措置はどうするんだろうかと気になってウェブをみてみると...

今回の全学的休講措置に対して、新たに補講期間は設けません。各科目において休講分を補完する課題等について、担当教員から別途指示がある場合はそれに従ってください。
とのこと。つまり、一斉の補講はしないが、応分の課題が各授業で出るかもしれないよ、ということです。

 わざわざ課題を出して採点の仕事を増やしたくないと考える教員もいると思います。でも、「(学校の都合で)休んだからにはちゃんとその代替措置を採るよう」にという要請が各教授会に来ているはずです。少なからぬ真面目な先生方は、きっと何らかの追加課題を考えることでしょう。

 今週いっぱい、各科目で補講相当の扱いについて説明が行われるはずです。さて、追加課題を聞いた学生たちが、それでもまだ全面休講を喜んでいるかどうか。

 ところで、先週、過労で体調を崩しました。大事な研究も忙しくて先送りになってることだし、「ウチもはしかで休講にならないかなぁ」と本心から願ったとしても、人として間違ってないですよね!

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