2007年5月アーカイブ

教員紹介

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 先月のことですが、ウチの学科で出しているニューズレターの編集から、恒例の教員紹介執筆依頼が来ました。その一部をさらっと転載。

(問1) この仕事をしていて1番思い出に残っていることは何ですか。

着任した年、前任者から2年生のクラスアドバイザーを引き継いでコンパに同席したときのことです。「先生なんかが一緒にいたらきっと学生たちにとってはジャマだろうな」と思って、2次会の途中で1万円札を置いてカラオケ店を出ました。すると、幹事があわててお釣りを持って追いかけてきて、「こういうお気遣いは結構です。その代わり、次もきっと来てくださいね」というのです。いやー、いい学校に来たものだと感激しましたね。もっとも、そんな出来事はそれっきりでしたけど。


(問2) 今考えている老後の過ごし方を教えてください。

もし、ちゃんと「老後」を迎えるときまで生き延びることができたら、旅芸人をやりながら世界中を旅して回りたいです。そのとき芸に困らないように、自転車のパフォーマンスを練習しはじめたところです。あと20年余り、毎日練習していたらきっと大丈夫でしょう。ちなみにコレがぼくの自転車。

ウィスラー

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 カナダ西部の大都市バンクーバーの北にウィスラーWhistlerというまちがあります。日本ではスノースポーツのリゾート地として有名ですが、大都市からわずか百数十キロのドライブで大自然にアクセスできるため、年間を通してたいへん人気のある保養地です。

ウィスラー バンクーバーからウィスラーにアクセスするルート99は、ぼくが北米を旅行してもっとも楽しかった舗装道路です。ドライブ好きならカナダ旅行の際にけっして外してはならない行程でしょう。無数のビューポイントのなか、南半分はよく整備された高速ワインディング、北半分は少々ラフな路面だけどアップダウンのある連続コーナーを楽しむことができます(写真は北端部分)。

 しかも、「観光地のそばにはパトカーがいる」という鉄則はルート99には当てはまらないようで、ドライビング、ライディングを目的にきている走り屋さんたちが飛ばしまくっていました。

 そのウィスラーですが、カナダの保養地の中ではやや異色の場所だという印象を持ちました。ツアー客やバックパッカーが多かったバンフを「観光地」と表現できるとすれば、ウィスラーは都市的スポーツを楽しむための「レジャー地」と呼べると思います。

 というのも、まずノリが体育会系なのですね。まったりゆったりと自然を散歩するような人は少なくて、ウィスラーでは遊び方も派手です。昼はロッククライミングやダウンヒル(スキー場をマウンテンバイクで駆け下りるのです。すっごい危険な遊びですよ)、夜はパブでどんちゃん騒ぎ(「今夜は何をして遊ぶんだい?」と聞かれました)。ホステルは部屋も通路も遊び道具が散乱しています。

 自然相手のスポーツが好きな人にとっては天国のような場所なんでしょう。あちこち動かず、ウィスラーだけに1ヶ月以上留まっているという長期逗留組みがとても多かった。カナダに来ているというより、ウィスラーに来ているということかな。冬は日本からもウィスラーに山ごもりする人がけっこういますよね。

 そして、地形的には山地なのですが、対人関係の築き方や距離感のとり方などはドライで個人主義的なところがあり、文化的にはたいへん都市的といえます。

 たとえば、ほかの観光地とは違って、ホステルでも「みんな友だちになろうよ光線」を出している人は少なく、自分の遊び道具を熱心に整備したり、自分の友だちとだけ話をする人が多かった。

 また、ウィスラー以外の北米では、ツーリング中のライダーは別のバイクとすれ違うとき左手を出して挨拶をします。「Hi!」「おつかれさん」「気をつけてな」といった意味を込めたハンドサインを出し合うのですね。片方のライダーがツアラーであれば、もう片方はツアラーでなく土地のライダーであってもハンドサインは出し合います。ところが、ウィスラーでは土地のライダーはハンドサインはほとんど出さないし、出しても返ってきません。

 ルート99の緊密な交通網でバンクーバーと連結されていて、経済的、社会的にはバンクーバーと同一の都市圏に含まれるのでしょう。山の中にあるからといって田舎だとはかぎらないんだなぁと実感しました。

盗用の禁止

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 この大学に着任して驚いたことは他にもたくさんあります。たとえば、当時、レポートに盗用がたいへん多かったこともその一つです。

 盗用といっても、かならずしもウェブの資料をそのまま印刷するような悪質なものではありません。引用箇所と地の文が区別されていないとか、引用しておきながら出典を明記しないといった、論文の作法が身についていないタイプのものが非常に多かったわけです。

(ただし、翌年から非常勤であちこち教えに行くようになって、他の大学でも同等かそれ以上に多いとすぐに気づきましたが。ちなみに、一番ひどかったのは「関関同立」の中の一校でした。あそこは悪質なものも多かった。)

 着任して最初の試験が終わると、すぐに盗用禁止の内規を作成し、学生たちに周知しました。これが、僕がほとんど初めてマジメに手がけた校務だったような気がします。

 学生は提出するすべてのレポートにおいてプレジャリズム(plagiarism: 剽窃、盗用)を犯さないようにしなければならない。プレジャリズムは学問に対する重大な罪であり、学生がもっとも犯してはならない悪質な不正行為の一つである。プレジャリズムとは、故意に、あるいは不注意で、出典を示さずに他者の論理、表現、意見などを借用し、結果として自分自身のものと偽ることをいう。ちなみに、プレジャリズムの語源はラテン語で「誘拐犯」である。

 プレジャリズムに対する無知は、プレジャリズムを犯したことの弁解にはならない。自分のレポートにプレジャリズムがあるかどうかはっきりと分からないときは、提出するまえに教員に相談しなければならない。

 なつかしい。初めて盗用禁止の内規を会議に諮ったときに提出した資料の書き出しです。翻訳調でカタいですね。

 以後、「レポートの書き方」を含む授業を必修化して論文の作法を教えながら、4年間の内規運用で十分に制度が周知できたところを見計らって、学部改組と同時に学則にルールを明記しました。「盗用、カンニングなどの不正行為は試験期間にさかのぼって停学、そして試験期間の単位はすべて認定しない」という内容です。ようするにカンニングと同じ扱い。

 その結果、今では、ウチの学部で盗用が起こることはなくなりました。おそらく、全国でもっとも盗用の少ない学部でしょう。ちょっとした自慢です。

 ところで、おとなり韓国でもこんなニュースが。

 厳しくなったソウル大学の「盗作へのムチ」 (東亜日報日本語版)

保護者懇談会

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 9年前にこの大学に着任して、もっとも驚いたことのひとつが保護者懇談会でした。調べてみると、すぐに多くの大学で実施されていることに気づきましたが、当時は、「大学にも保護者懇談会があるのか!」とカルチャーショックを受けたものです。

 もちろん、今では保護者懇談会の目的も、その重要性も、理解しています。

 目的は、(1)大学と保護者の相互理解を深め円滑に教育を実施する、(2)教職員と保護者が一体となって修学の質的向上を図る、(3)1〜2を通じて保護者の大学に対する満足度を高める、といったところでしょう。

 ただ、これらの目的(とくに2番)通りに保護者懇談会が機能しているかというと、いささかアヤシイのですね。

 まず1番。円滑な教育を阻害するような保護者は、幸いなことに、ほとんどいらっしゃいません。留年が確定したときに相談にこられる方はもちろんおられますが、理不尽な主張を振りかざす方はみたことがありません。だから、本学では1番という目的自体が重要ではありません。

 次に2番。懇談会に出席される方々というのは、学修上とくに問題のない学生の保護者ばかりで、ぜひとも助力が必要な指導困難学生については、保護者が出席することはほとんどありません。ほとんどないものだから、たまにいらっしゃっても教職員と保護者の具体的な連携方法が確立されていません。場当たり的な対応しかできず、貴重な連携のチャンスが生かされずに終わってしまうこともあります。(ということが後になって分かる)

 最後に3番。出席される保護者の割合が低いです。ウチの学科の場合、在校生の15%くらいの保護者が来られるという感じでしょうか。子どもの学修や就職の相談だけでなく、保護者自身にも楽しんでもらうための仕掛けがないとだめでしょう。

 保護者懇談会。やるのはいいのですが、改善の余地がいろいろとありそうです。

 ...と考えて、とりあえず保護者にニューズレターを渡そうと提案したら、「言いだしっぺが作れ」という話になって、このところDTP作業に追われていました。

私大中退5万5千人

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 日本私立学校振興・共済事業団が去年実施した調査によると、私立大学を中退した学生は1年間で5万5千人に及ぶとのこと(読売オンライン)。

大学院大学などを除く、ほぼすべての私立大550校の中退者は5万5497人。在籍した学生約193万人の2・9%にあたり、国立大の中退率1・6%(内田千代子・茨城大准教授調べ、04年度)を上回った。

 学年別では、留年などで卒業が困難になった4年生が1万6370人と最も多く、続いて2年生1万6199人、1年生1万2503人。男女別では、男子が4万945人で全体の7割を占めた。

 在校生の1割が中退した大学も4校あった。難関大ほど中退率は低く、小規模で定員割れなどの問題を抱える大学ほど学生が定着しない傾向があるという。

(中略)

 同センターの西井泰彦センター長は「学校に満足できないのは、入試段階での不一致やつまずきなどにも原因がある。どんな学生でも定着できる体制づくりが必要だ」と話している。
 お説ごもっともで。

 入学段階での問題といえば、ひどいケースだと、入学式以降一度も出てこない、ガイダンスも受けない、履修登録をしない、本人に連絡を取ろうにも電話が通じない、保護者に連絡をしようとしてもやはり電話が通じない、なんとか電話がつながってもうろたえるばかりでうまく話が通じない、などということもあります。

 これほどひどいケースではなくとも、ドロップアウトする学生は、学力だけでなく、他にいろいろな問題を複合的に抱えていることが多く、大学が提供できるサービスだけでは対処できないことも少なくありません。

 それでも、丁寧に個人面談をしたり、複数の教員でチームを組んで指導計画を作って対処するなど、ドロップアウト対策が進んでいる学科では、他学科に比べて中退率が明らかに低いのです。教職員の努力でカバーできるケースが多いということでしょう。

 今年度からは学部全体で同様の取り組みをするようになっています。今までのところ、学生たちの反応は良好で、指導困難なケースについても一定の改善が見られています。なんとか中退率抑制につながって、一人でも多くの人材を送り出すことができるようになるといいのですが。

カナダの『赤毛のアン』

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フェアバンクスのホステルでの会話


スイス人
30代男性
「プリンスエドワード島にも行きましたよ。きれいなところだった。でもどこに行っても日本人女性がたくさんいてね。どうしてなんだろう。」
カナダ人
30代女性
「あ、あたしそれ聞いたことがある。日本では『赤毛のアン』がすっごい人気で、それでアンの家を見てみたいっていう人が多いんだって。でもあたし、『赤毛のアン』って読んだことないなぁ。あなたある?」
スイス人
30代男性
「いやぼくも読んだことないですよ」
その他A男性「おれもない」
その他B男性「ない」
その他C女性「ないわ」
その他D男性「ない」
その他E女性「ないわね」
ぼく「...ぼくは読んだよ」
一同「へー」

 この一言のなんと勇気のいったことかw。かっこうの話のネタのはずなのに、この一言以外、たとえばシリーズ本はぜんぶ読んだとか、初作は大学生のときに原書を読んだとか、映画も見たし、アニメのシリーズも小学生のときお気に入りだったとか、なぜか言い出せなかった。そしてここに書いていて、なぜか恥ずかしい。いやん(/。?)

 ともかく、なぜ『赤毛のアン』は多くの日本人女性に人気があるのか(あったのか)。

 ジェンダー論の観点からは、小倉千加子さんが『「赤毛のアン」の秘密』(岩波書店)という本を書いています。ぼくはまだ読んでいませんが、内容はだいたい想像がつきます。「ロマンティック・ラブ」の典型像として戦後日本人女性の心性に適合した、といった説が展開されていることでしょう。まぁ、あってしかるべき視点のひとつだと思います。

注)「ロマンティック・ラブ」ないし「ロマンティック・ラブ・イデオロギー」はジェンダー論の用語で、熱烈な恋愛の果てに結婚に至ることを理想とする考え方を指します。
 小倉さんが著書としてまとめる前にも、フェミニズムの視点から『赤毛のアン』人気を批判する声はずっとありました。でも、イマイチ説得力がないんですね。

 というのも、ロマンティック・ラブを称揚する少女文学は他にもたくさんあるし、というか少女文学のほとんどはそういうものじゃないのかな。その中で、『赤毛のアン』が特別な位置にあったことを、ロマンティック・ラブだけで説明するのは無理がある。

 さらに、近代社会は多かれ少なかれどこの国でもロマンティック・ラブ・イデオロギーの影響下にあるわけで、その中で日本でだけなぜ『赤毛のアン』が読みつがれているのかについての説明にもならない。

 といった疑問に小倉さんがどう答えてくれているのか、読む前から興味津々です。まぁもしその答えがなくとも、『赤毛のアン』のファンやアンチファンにはぜひ読んで感想を聞かせてほしいものです。

高崎経済大学のその後

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 先月11日のエントリーで取り上げた高崎経済大学の事件ですが、解雇された準教授は市に不服申し立てをしたそうな(群馬新聞)。まぁ、当然でしょうね。まずは公平委員会での不利益処分審査。

 地元の群馬新聞によると、元准教授と代理人は記者会見で「処分は、憲法で大学教員の権利を保障した『教授の自由』に違反すると主張した」とのこと。これも申し立ての戦略として当然だと思います。

 高崎経済大で処分を決定した先生方も想定済みの反論でしょうから、口頭審理が公開で開催されれば興味深い議論になるかもしれません。処分が変わらなければ法廷闘争になるでしょうから、遅かれ早かれ口頭審理は実施されるはずです。

 はたして、このケースが「教授の自由」を逸脱するものだったのかどうか。Faculty Developmentの要請と「教授の自由」は矛盾する場合があり、相互に一定の制約を受けざるをえません。公平委員会や法廷は、具体的にどのような線引きをするのか。

 野次馬としては、瑣末な手続き論ではなく、大局から議論をぶつけ合うような展開になることを期待しています。

補助金の公平、効率

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 すでに報道されている通り、今月11日、規制改革会議の教育・研究タスクフォースが、補助金の分配方法改正を中心とする提言書(pdf)をまとめました。以下、一部だけ抜粋。

(1)教育・研究の峻別

運営費交付金及び私学助成金については教育目的に特化することを検討すべきである。また、研究目的に交付する公費については、研究持続の安定性に一定の配慮をしつつ、競争的研究資金で充当することが望ましい。

(2)教育に関する配分基準等の見直し

運営費交付金や私学助成金の配分基準についても見直す必要がある。(中略)学生数に応じ配分額を決定する仕組みを採用することにより、結果として公費が重点的に配分されるように見直すべきである。こうした公費の配分方法を見直すときには、教育の質の担保を前提として大学・大学院の定員数を独自の判断により柔軟に設定できる制度の導入を併せて検討する必要がある。

 ようするに、こういうことです。
  1. 教育と研究がごっちゃになっているから、補助金の配分が不公平だし、非効率的だし、よけいな規制になってしまっている。
  2. 補助金は学生数で頭割りするのがスマートだ。
  3. その際、定員の枠を超えて大量に学生をかき集める大学が有利になるようにしてあげるとよい。
  4. 小規模の大学は潰れるか統合しなさい。
 なるほど、規制改革会議らしい。すべてを市場という神の見えざる手にゆだねよ。市場に任せればうまくいく。そうでないから現状はダメなのだ、という意思が鮮明に貫かれています。

 さて、提言書でいう私学助成金とは、正式には「私立大学等経常費補助金」の「一般補助」のことです。これは、?@私立大学等の教育研究条件の維持向上、?A学生の修学上の経済的負担の軽減等に資するため、大学等の経常的経費に対し、学生数、教員数および財政状況など一定の条件を基準に補助するというものです。

 たしかに、教育と研究がごっちゃになっているし、学生数だけでなく教員の数なども按分されています。その意味で、規制改革会議の提言は、論理的には整合的だといえないこともないわけです。提言の通りに実践すれば、おそらく教育効果は大きく低下するでしょうが、それなりに整然とした補助金体系を築くことはできるはずです。

 しかし、これは利潤を追求する企業ではなく、非営利的な学校法人の話です。「効率」を論じるときは、経営の効率ではなく、教育の効率のことを指すべきでしょう。

 規制改革会議の委員方はマスプロ教育がお好みのようですが、大人数の講義では、精神的に、学力的に、ついていけない学生もいるわけです。提言に従えば、そういう学生は切り捨てろ、ということになります。そういう意味での「効率」の追求は、はたして教育を論じるうえでふさわしいといえるでしょうか?

 現行の制度には、教育と研究の経費配分を各大学が決定できるという大きなメリットがあります。それによって、例えば、"研究経費を節約して人件費に回し、少人数で丁寧な教育を実現する"という教育方針を採ることができるようになります。はたしてこういう教育モデルは、規制改革会議が糾弾するように、「不公平」で「非効率的」なのか?

 入学時点では学力水準が低くても、少人数制の授業で丁寧に指導を行い、卒業時点では他学の学生に引けをとらない人材を育成するということこそ、効率的だとはいえないか?

 まぁ、この提言書は与党内部でもたいへん評判が悪いですし、教育改革会議の方針とも合致しませんので、そのまま通ることはないでしょう。ただ、喚起された世論を通じて、間接的にいろんな意思決定に影響を与えたりすることがあるのですね。100年の大計にかかわることですので、長期的な視野からじっくり検討してもらいたいものです。

森林限界線

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 ダルトン・ハイウェイでいちばん楽しみにしていたことの一つが、森林限界線の写真を撮ることでした。

 残念ながら平地にあるダルトン・ハイウェイのまわりには、森林限界がクッキリとわかる箇所がありませんでした。そこで、高地を走るスティーズ・ハイウェイで撮ったのが左の写真です。ほぼ山頂イーグル・サミットの近く。

 この針葉樹はブラック・スプルースという種類で、成長がたいへん遅いのですね。年間に1〜2cmしか伸びないらしいです。右の写真のいちばん背の高い木などは、おそらく200〜300年は生き延びてきたものと思われます。

 成長は遅いながらも、わずかな光を奪い合って上に上にひょろひょろと伸びていきます。葉っぱなんか上のほうしか生えていない樹木も少なくありません。

 ところが、他の樹木よりも背が高ければ有利かというと、そうでもないのですね。成長が早すぎれば、20年に一度とかの大風に耐えられず、傾いたり折れてしまったりするからです。

 だから、過当競争でひょろひょろになりながらも、歩調を合わせて、ある程度の密度を保って、防衛しあっているわけです。協調的競争とでもいうんでしょうか。

 でも、やっぱり限界線を越えて、競合者に光をさえぎられることのない場所へとチャレンジするやつもいるわけですね。

 20年後にチャレンジャーたちが生き残っているかどうかは分かりません。でも、たとえ温暖化で潜在的な生存可能圏が広がっていたとしても、そうやって実際にフロンティアを広げていくチャレンジャーがいなければ限界線は変わらないままです。

 アラスカからカナダに戻ってきたところで、デンプスター・ハイウェイを通って北極海に近いイヌビクInuvikという町に行ってきました。この町の発音は現地の人に聞いても「ヌビク」という人と、「イービク」という人が同じくらいいて、よく分からないんですよね。

 デンプスター・ハイウェイは、ダルトン・ハイウェイと同じく未舗装のハイウェイです。とがった小石がたくさんあるため、パンクがとても多いことでも有名です。ダルトン・ハイウェイに比べると、山の中を通るので見晴らしがよく、景観に優れているといえます。また、ダルトン・ハイウェイは終点に石油の基地以外に何もないのに対して、こちらはイヌビクという先住民の多い町がありますので、それなりに楽しめます。

 また、カナダで北極海に抜ける唯一の道路がデンプスター・ハイウェイです。極北のオフロードを走りたがるモータリストにとっては、アラスカのダルトン・ハイウェイと並んで「聖地」となっています。

 ここでもやはりファイアー・ウィードが印象的ですが、個人的に「ホーステイル」(馬の尻尾)と呼ばれていた雑草がたいへん気に入りました。乾燥すると種子が服につきまくるので現地では嫌われていましたけど。

 イヌビクまで行くためには、ユーコン川やマッケンジー川を無料フェリーに乗って渡ったりします。アメリカやカナダのナビゲーションソフトではフェリーのルートが登録されていないみたいで、イヌビクまで経路探索しようとすると「不明です」とエラーが出てきます。

 イヌビクは人口約3千5百人。日本の感覚だと少ないように感じますが、この緯度圏では最大規模の町です。もともと水害を逃れるためにインディアンとエスキモーのまちを移転してつくったのですが、北西カナダの拠点として発展してきましたので、今では人口の6割が非先住民です。

 イヌビクでは、よくもわるくも、先住民の現実をいろいろと目の当たりにしました。まぁそれを見にわざわざ行ったわけですが、後味の悪い旅でした。詳細はナイショ。

 往路もテントに5cmほど雪が積もったりしましたが(8月1日)、復路のデンプスター・ハイウェイは悪天候で苦労しました。ただ、気温が低かったおかげで、ツンドラが紅葉を始めていました。どの低木もカエデ並みに鮮やかに発色しています。全体がきちんと紅葉したらかなりの見ものでしょう。一目千本どころじゃなく、地平線まで視界に入るすべての植物が紅葉するのですから。

 日本から極北に旅行に行くときは、オーロラ観光のために真冬がハイシーズンとされていますが、個人的には9月がオススメです。2月に行ってオーロラが見えなければそれまでですが、9月に行けば、たとえオーロラが見えなくても、ツンドラの紅葉を楽しめるかもしれませんので。

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デンプスター・ハイウェイの入り口。ドーソン・シティから東に20kmほど。なんと8月1日深夜から早朝にかけて積雪があり、テントにも積もりました。昼過ぎには解けましたが、山の上には雪が残っています。道路はよく整備されていて、雪が降ってもおおむね硬くしまっています。ドロドロになるところもありますが。
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風雪で岩が崩れて表面を白い砂利が覆った山。赤土が露出したレッド・リバー雑草もワイルドフラワーもピンク色
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ハイウェイの脇にはまるで植えてあるかのようにファイアー・ウィードが生えています。高地を抜けます。森林限界線。湖のほとりにかわいらしい町がありました。対岸でなければおジャマしたところなのですが。
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ピール川の渡河フェリーまで2km小さな無料フェリーが往復して大河を渡してくれます。水辺に生える野草。緑の中に白くて清楚な花がフワフワゆれています。
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白樺、ブラックスプルース、ホワイトスプルースが混生しています。マッケンジー川の渡河フェリーを待っているところです。全長4千kmを超えるカナダ最長の川で、北米でも2番目の長さ。イヌビクに到着しました。エスキモーとインディアンの両方が暮らす町です。ただし、北西カナダの拠点として整備されてきましたので、現在は過半数の住民が非先住民です。
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一部のエスキモーが作る氷の家「イグルー」をモチーフとしたイグルー・チャーチ。土地に溶け込むことで先住民を一人でも"教化"しようとする教会の努力がうかがえます。ビジターセンターの外観。かっこいいでしょう。教会もビジターセンターも、しっかりと土台にすえつけられているように見えますが、ここの建物はすべて高床式です。地表が凍ったり解けたりを繰り返す永久凍土の影響を少なくするための知恵でしょう。上下水道も熱線入りのパイプがあちこちに張り巡らされています。これがホーステイルです。白と赤の2種類があって、赤いほうは成長につれて色が薄くなっていきます。これは若いのでワインレッドに近いですが、しだいにピンクを経て白っぽくなっていきます。群生するので、野原一面が赤やピンク色に染まってきれいです。ただし、乾燥すると種子が「ひっつき虫」になるので、現地では嫌われていましたが。
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キャンプ場の横を流れる川落ち込んだ気分の帰り道でしたが景色に癒されました。晴れた日に、遠くで降る雨を見るのは風情があっていいものです。「でも、あの雨の中を走るとなるとタイヘンなんだけど」と思っていると...
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案の定、ハイウェイは厚い雲の下へと入り、冷たく激しい雨にたたかれました。ツンドラの紅葉は本当にきれいです。まだ色づき始めたばかりというのに、この状態。ツンドラの紅葉もう一枚。発色が鮮やかです。

ファイアー・ウィード

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ファイアー・ウィード 7月末ともなれば、白夜のフェアバンクスとはいえ、夏の盛りがすぎて朝晩の冷え込みが厳しくなってきます。毎日少しずつ日照時間が短くなって、日没後は本を読むのが少しつらくなってきます。

 そんなある日、逗留先のご近所さんたちとお酒を飲みながら雑談をしていたところ

「そろそろ冬が来るね」
 7月の末ですよ。最初はジョークかと思ったのですが、みんなしみじみとした表情でうなづいているじゃないですか。フェアバンクスの夏は6〜8月のわずか3ヶ月間。それ以外は冬です。短い短い夏の3分の2がすでに終わって、あと1ヶ月もすれば冬が来るのです。
「あと二週間でオーロラが始まる」
「一週間もすれば強いオーロラは見えるようになるかな」
 白夜に隠れて見えなくなっていたオーロラが始まるということは、美しいけれどもつらく厳しく暗い冬がまた到来することを意味しています。
「ファイアー・ウィードが一番上まで咲いたら1週間後に初雪が降るっていうよね」
 ファイアー・ウィード(和名ヤナギラン)はアラスカでもっともポピュラーな花です。写真は7月はじめに撮ったものなのでまだ下のほうしか咲いていませんが、7月末にはもう上のほうに2〜3の花芽しか残っていません。

 「火の雑草」という野卑な名前を持ってはいますが、人々はたいへんこの花を愛しています。名前の由来は、火事のようにいっせいにマゼンダ色の花が野に咲くから、とか、山火事の後いちばん最初に咲く生命力の強い草だから、など諸説あります。

「今年はベリーが豊作だったね」
「雨が多かったせいかな。」
「そういえばデナリ・ナショナル・パークのガイドが今年はウサギが多いっていってた」
「へー、ベリーがよく採れる年はウサギが多いって本当なんだね」
 捕食関係にあるウサギと山猫の数の相関はよく知られていますが、ウサギとベリーの関係は初耳でした。

 フェアバンクスでは、調査に答えてくれた方が、取れたてのブルーベリーのジャムをくれたり、野菜やフルーツをくれたり、謝礼を要求するどころか逆にぼくをもてなしてくれることが少なくありません。みんなどこか少し粗っぽいけれども、やさしくてフレンドリーです。厳しい自然に対処するためにみんなで協力しあって生きる知恵を持っています。

後ろに座る学生 #2

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 教室で後ろに座ろうとするのはどういう学生なのか、7日のエントリーにも書きましたが、その続編です。

 前回は社会学の理論的な考え方を紹介しましたが、社会心理学分野では、学生の座席選択行動についての実証的な研究がたくさんあります。

 「Millard & Stimpson(1980)は、座席選択行動が...教室における興味や関心に反映され、前方に着席する学生のほうがその授業に対する好みや関心が高く、参加意識や学習動機も優れていることを明らかにしている。この他、教室の前方に座る学生ほど授業に対する注意力に優れ(Schwebel & Cherlin 1972)、よい成績をとることを重要と考え、他者から知的かつ独創的と見られたいという思いが強い(Walberg 1969)、など...」(川西 2006:211)
 同僚の先生の論文からの引用です。この論文の面白いところは、いくつかの授業の分類ごとに座席位置やパーソナリティの関連を調べてあるのですね。ちょっとオキテやぶりですが、5%水準で有意な相関係数だけ引用してみたのが下の表です。相関係数がプラスだと「より後ろに座る傾向がある」という意味。

  条件なし好きな
先生
嫌いな
先生
おもしろい
授業
おもしろく
ない授業
必修の
授業
選択の
授業
アパシー未来不安定.339 .219.232.194.255.347
抑うつ.282 .221  .200.264
自信欠乏      .231
帰属感大学関与感  -.308-.193-.261-.318-.294
大学一体感    -.196  
学習意欲学習意欲低下.373.278.247.276.299.285.347
授業意欲低下.246 .193 .197.194 

 ゼロ次の相関係数ですので解釈は難しいのですが、以下のことは指摘してもよさそうです。

  • 授業のタイプによって座席選択行動にかなりの違いがあるということ
  • 「嫌いな先生」「おもしろくない授業」「選択の授業」といったインセンティブの低い授業で、座席選択行動はパーソナリティや学習意欲の影響をより強く受けると思われること
  • 逆に、「好きな先生」「おもしろい授業」といった内発的な動機付けがはっきりした授業では、座席選択行動はパーソナリティや学習意欲の影響を受けにくいこと
  • 「アパシー」(無力感)の強い学生、「帰属感」の弱い学生、「学習意欲」の低い学生は、総じて後ろのほうに座りたがる傾向があること
  • 学習意欲の低下が総じて着座位置にもっとも強い影響を与えていること
 産能大の調査では、後ろに座る学生ほど厳しい授業評価をする傾向があったとのことですが、学習意欲の低い学生が多いわけですから、当たり前といえば当たり前ですね。

バイクに乗る理由

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 ニューヨークでのあるパーティでのこと。自動車学校で「キミは乗らないほうがいい」といわれて免許をあきらめた経歴がある大学院生が、こういいました。

 「しかたがないから、バイクにでも乗ろうかな、それだったら私でも乗れるだろうし。」

 「え、でもバイクはあぶないよ。」

と僕が答えるのを聞いて、周囲の人たちから質問されました。

 「どうして危ないとわかっていてバイクに乗るんですか?」

 これまでにも何度となく聞かれてきたのと同じ質問です。またか、と思うぐらい、よくある質問です。なのに、毎度毎度、ぼくは答えにつまってしまいます。

 いちばん正直に答えるとすれば「好きだからとしかいいようがない」ということになります。もっとハッキリいえば、「そんな質問をしてくる時点で、キミには説明したってわからないよ」といってあげたい。

 バイクを移動の手段としてみると、なるほど、生身なので危ないし、エアコンはないから快適でもないし、非合理的に思えるかもしれない。でも、バイクはたんなる手段ではなく、それ自体を楽しむ目的でもあるわけです。バイクのコンサマトリーな楽しみを知らない人には、「どうしてバイクに乗るのか」を説明するのは難しい。

 「どうしてあの人と付き合ってるの?」のような問いと同じで、分かる人にはわかるけど、分からない人にはいくら説明したってなかなか分からないわけです。

 でも、なにせ研究者のパーティーですから、そんな感覚的でそっけない回答に、みんなは納得できません。だから、かわりにバイクのどういう部分が好きなのかを無理やり言説にして、それっぽく説明をさせられることになります。

 「自然を感じられるところがいいんだ。谷に入るとすーっと空気が変わったりするの。そういうのは車じゃわからない。そのかわり夏冬は地獄だし、キャンプ場を出るとき雨降ってたりすると、なんでこんな旅してるんだろうってウツが入ることもあるけど、その後、パーっと晴れて気持ちよく飛ばせたりすると、それだけで生気がみなぎってくる気がする」

 「車体との一体感がよくてね。まるで馬に乗っているみたいに"あやつっている"という実感がある。といっても馬に乗ったことはないんだけどw」

 「日常の足に使っていても、バイクってすぐにでも旅にでかけられるようなイメージがあるでしょう。ぼくは旅人にあこがれがあるみたいでね。」

 「サーキットって気持ちいいんですよね。景色も路面もきれいだし。歩行者や飛び出しを気にしなくていいし、白バイもいないし。ただ前だけ見て好きなように走っていればいいというのは何ともいえない快感なんですよ」

 いずれも、僕がバイクを好きな理由の一部ではあるけれども、じゃあ、それ(ら)が理由でバイクに乗っているかというと、そうとはいえないのですね。つまり、上記の理由がなければバイクに乗らないかというと、やっぱり乗るような気がするわけです。さらに言い換えると、上記の理由では表現しつくせない"なにか"が他にもたくさん残っているわけです。

 「僕がバイクに乗る理由」というきわめて主観的なテーマを説明するために、本一冊分くらいのスペースをくれれば、より正確なことを伝えて納得してもらう方法はあると思います。でも、パーティでの「どうしてバイクに乗るの」という素朴な疑問に正確に答える方法は、ぼくにはありません。だから、結局、それっぽい理由を捏造して、話にオチをつけることになってしまうわけです。

 "自分にとっては説明するまでもない自明のことだけれども、いざ他人に説明しようとするとうまい言葉がみつからない"ようななにかを伝えようとすると、どうしても、相手がすでに理解できる枠組みをもっている代替的なストーリーを作話することになってしまいますね。

アラスカの磁場

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 アラスカには、ある種の人々を強く惹きつける磁場のようなものがあります。

 フェアバンクスの日本人はアラスカ大学関係者、旅行業関係者、その他、という3つのグループに分けられるのですが、その多くの方がこの磁場に引き寄せられるようにアラスカに定着しています。

 "その磁場の正体をきれいに言語化できたらこの調査は終了"

 と思って現地でインタビューを重ねましたが、ハッキリする前に残念ながら時間切れとなりました。中途半端なまま結果を刊行するか、再調査するか、迷っているうちに時間ばかりがすぎてしまいました。6月までに決着をつける予定です。

 さて、磁場の正体を明らかにするために、磁界の中心にあるのは何だろうかと考えてきたのですが、人によってその答えが違うのですね。

 当初は、トラッパー(罠猟師)やハンターなど、完全なブッシュ生活をしている人々が磁界の中心に近い存在だろうと思っていたのですが、これはカヌーや山歩きなどアウトドアライフに強い関心を持つ一部の人にとってのイメージにすぎませんでした。

 北の大自然(とともに生きる生活)はもちろん磁界の構成要素のひとつです。調査の語り手の言葉を借りるなら「北への憧れ」ですね。

 しかし、インタビューの全体像からいえば、それよりもむしろ、アラスカのどこか「のんびりした時間の流れ」や、アメリカ本土以上に個々人のライフスタイルを尊重する「こだわらないところ」を強調する語り手が多かったように思います。

 ぼくの専門のひとつであるナショナリズム研究の一環として、"人口の流出入の激しいアラスカでは、きっと民族問題も少ないにちがいない"、そう思ってはじめた調査ですが、むしろあまりにも民族間のトラブルが少なすぎて、調査の手がかりにすらならなかった印象があります。

 ここでは、先住民(いわゆるエスキモーやインディアン)以外はみんなよそ者なのですね。WASPだからといってこの地域の主流の地位を占めているわけではありません。先住民以外は、みんなただの「個人」なのです。

 アラスカは、そんな個々人をまるごと受け入れる大きさを持った土地です。そして、人々が厳しい自然と対峙するために、人種、民族、宗教の違いにこだわらず、困ったときには力をあわせて生きていく土地です。

 そうそう、「アラスカの人が好き」という語り手もいました。安易に人に頼らず、文字通り自分の手で問題を解決していく不羈の精神を持つ人々。そんなアラスカ人が好きだというわけです。

 こうしたさまざまな理由があって、ある種の人々にはアラスカがオーロラのように魅力的にみえるのでしょう。

インタビュー

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 今日はA新聞社のインタビューに約2時間ほどお付き合いしました。

 しゃべるのはまだいいのですが、バイクジャケットのままじゃ困るというのでスーツに着替え、写真を撮られ、よそ行きの顔を作り、それでも表情の崩れたところをここぞとばかりに撮られまくり……久しぶりの取材でしたので、たいへん疲れました。2コマほど講義をこなしたような感じです。

 もともと疲れがたまっているところにそれでしたので、今日はもう帰って寝ます。

後ろに座る学生

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 昨日のasahi.comから。「後ろに座る学生、教員に厳しく自分に甘く 産能大調べ

 うーん、産能大。二学部で収容定員2320名と小さな大学ですが、ICカードで出席管理をしているわけですね。どこかのマンモス大学のように、"一クラス200名を超えるような大講義が多くて、そうでもしないと出席管理できない"というわけではないでしょう。おそらく、個々の学生の就学状況を科目横断的に把握し、より丁寧に指導することが目的で導入されているのだと思います。やりますね。コストの問題から二の足を踏んでいましたが、やっぱりウチでもやるかなぁ。

 さて、座席指定をしない大きな教室だと、一見するだけで、前のほうに座る学生と後ろのほうに座る学生とでは、タイプが違うと気づきます。

 というのも、まず髪の毛の色が違います。前のほうは黒に近く、後ろのほうに行くにつれてだんだんグラデーションの階調が明るくなり、茶色を経て金色へと変化します。服装も違います。前のほうはカジュアルな服装が多いのに対して、後ろに近くなるとだんだんハデになり、肌の露出も多くなります。そして化粧が違います。前方の学生はノーメイクかナチュラルメイクですが、後ろのほうはアイメイクを中心とした濃い化粧が目立つようになります。

 ようするに、着座位置によってライフスタイルがある程度違うのですね。

 社会学的には、これを「権力からの距離」power distanceと解釈します。どれくらい権力志向が強いか弱いか、を意味する言葉です。文化集団によって権力志向の強弱は異なるものなのですが、面白いのは、権力志向が強い文化集団は、政治的にも物理的にも、権力に接近することを好みます。

 例えば、京都では御所の近辺の地価が高いのですが、これは天皇に代表される権力への接近願望のあらわれだと解釈するわけです。逆に、遠足のバスで一番後ろに座りたがるとか、教室で一番後ろに座りたがるなどというのは、いずれも、教師が代表する権力から距離を置こうとする態度のあらわれということになります。

 ようするに、"よい子"と認められることに慣れていたり、"まじめ"とみなされることをイヤがらない学生集団は前に座ることをいとわない。一方、ワルそうな格好、ハデめの格好をしている学生は無意識に権力(教師)から距離を取りたがる。そして、産能大の調査によると、後者のほうが成績が悪かった、と。

 ちなみに、ぼくは今でもなんとなく後ろのほうに座りたがります。

デナリ

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 カナダはまだそれほどでもないのですが、アメリカの地名というのは、こう、情緒がないというか、即物的というか、とにかく味気ないところが多いです。

 川沿いだからリバーサイド。崖があるからクリフ。赤土の流れる川だからレッドリバー。ラジウム温泉が出るからってRadium hotsprings、硫黄の山だからってサルファ・マウンテン。ダウンタウンのあたりなんか、もう名前どころか数字ですからね。ファースト、セカンド、...。

 北米大陸最高峰のマッキンリー山もそう。19世紀末、探検に来た若者が、当時のアメリカ合衆国大統領(候補?)ウィリアム・マッキンリーにちなんで命名したというのですが、この山とはまったく何の脈絡もありません。

 アラスカの人々はこの山のことを「デナリ」と呼ぶことが多いです。地域のインディアンの言葉で「偉大なもの」の意味らしい。たしかに、この山だけまるで単独峰のように、他の山々から抜きん出てそそり立っています。

 植村直己をはじめ、多くの探検家たちの永眠する山は、本当にきれいでした。「デナリ」はアラスカの象徴であり、誇りでもあります。白人たちが"発見"した土地に思いつきで与えたいーかげんで即物的な名前と違って、なんと相応しく、なんと叙情的な響きを持つものか。

 全景を拝めるのは週に一度あるかないかという話でしたので、ぼくは午前3時にデナリ・ナショナル・パークのキャンプ場を撤収し、もっとも天候の落ち着く時間を狙っていきました。

 真夏とはいえアラスカの早朝は寒かったですけどね。どうです、大成功でしょ^^
 この1時間後には濃いガスが出て、一日中真っ白だったんですよ。

国立公園を午前3時に出てから南に2時間のライディング。午前5時のデナリの朝焼け。午前6時ごろ、違う角度からもう一度。威容の全景を拝めるのは週に一度あるかどうか。この日も1時間後にはガスに隠れた。広大なデナリ・ナショナル・パーク。人の影響を厳格に管理し、自然をあるがままの状態で維持する努力で知られる。ただし、デナリからかなり北にあるため奥地まで入らないとデナリは見えない
マイカーの乗り入れが許されるのは公園のほんの入り口付近まで。それより先は徒歩か有料バスを予約する。バスの窓からバスの窓から
たいていは、アリのようにしか見えない遠くの動物を双眼鏡でがんばって探すことになるのですが、運がよければ接近遭遇することがあります。
バスの窓から運がよければバスツアーでも野生生物をまじかにみることができるかも。これはグリズリー。これほどの接近遭遇はまれにみる幸運だとの話でした。バスの中からだとぜんぜん怖くないですね。こういうのは「熊を見た」だけで、「熊と出会った」のではないと僕は思います。キャンプサイトでお茶を飲んでいたらかわいらしいお客さんが。

アラスカ魂

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エリオット・ハイウェイにあるロードハウス。インディアンの女の子が無愛想に店番していた 写真は「ダルトン・ハイウェイ」で紹介したロードハウスです。いろんなものがオブジェとしてきれいに飾ってありますが、その実、ドラム缶だのチェーンだのといった"ゴミ"なんですね。

 アラスカでは、こうした"ゴミ"が庭に散乱していることが多々あります。というのも、アラスカでは何を買うにも送料が高額になるため、新たに購入するよりも廃棄物を再利用して自作したほうが時間的にも経済的にもメリットがある場合が多いのです。つまり、こういった"ゴミ"に見えるものも、そのうち再利用される予定の"資源"なのですね。サステイナブルです。

 逆にいうと、自分の知恵と体力で目の前の問題の解決に当たろうとすること、そのために使えるものは何でも使うこと、そういう態度がアラスカで生きていくために必要な資質ということかもしれません。

アラスカの屋外トイレ。アラスカは都市部でないかぎり水洗トイレは少ないです。マイナス40度でここを使うのを想像してみてよ
 ちなみに、左の写真は、このロードハウスのトイレ(アラスカのトイレはたいていポットン便所です)に張ってあった壁紙。マイナス40度でも屋外トイレ。さむそー。

 話は変わりますが、同じく「ダルトン・ハイウェイ」の最後で紹介したように、復路でスピードがのったまま2mほど崖下にコースアウトしました。

 写真を撮るために止まろうと思って、路肩によってしまったためです。路肩には砂利が山盛りになっているため、足を踏み入れるとタイヤをとられてコントロールを失ってしまうのです。道は左カーブなのに慣性のまま直進することしかできず、数瞬後には苦労の甲斐なく飛んでました。

 見渡すかぎり一人っきりで走ってたんで、道の真ん中で止まればよかったんですけどね。路肩は危ないと分かっていたのに、ついクセで。往路を征服した安堵感もあったのかな。

 で、転落の結果、胸とわきの肋骨を骨折しました。ヒットエア(エアバッグの付いたジャケット)のおかげで、頭から岩の上に落ちたわりに首を損傷しなかったのは幸いでした。ただし、胸の骨折はエアボンベで強打したせいですが。

 たまたまそばで客まちをしていたヘリのパイロットと、道中で顔見知りになったピーター(推定58歳)に手伝ってもらって路上までバイクを引き上げてもらいました。

「写真撮っておかなくていいのか?w」(byパイロット)
 といわれて撮ったのがあの写真です。バイクのほうは、運よく、クラッチの液漏れと、パニアケースのステーとウィンドシールドが折れただけで済みました。コースアウトしたときは120km/h→40km/hぐらいまで減速できていたのかもしれません。一枚目の写真は、そのときの応急措置です。みっともなー。

パニアケースのステーが折れました。木切れで応急手当 直してもらいました。
 朽ちた木切れを使ったいーかげんな応急措置でしたが、意外とラフに乗っても大丈夫でしたので、ダートも含めて何千キロかそのまま走っていました。

 しかし、事故から2週間後、アンカレッジ近郊でBMWバイクのオーナーたちの集会(Rally)に参加したのですが、地元の方のガイドでオフロード走行をしたとき、さすがに応急措置ではもたずに壊れてしまいました。

 駐車場に止めていると、地元のライダーたちが目ざとくそれを発見しまして、話しかけてきました。

「どうしたんだこれ」
「ダルトン・ハイウェイでクラッシュしてね」
「俺んち、ここから15分ぐらいなんだけど、3時間ぐらい待てるんだったら直してきてやろっか?」
「マジ? ありがとう!」
 2枚目が修理後の写真です。
「信じがたいほど美しい仕上がりじゃないですか! ありがとう!」(ぼく)
「アラスカに住んでればそれくらいできるさ」(直してくれた人)
「おいおい、おれはそんなことできないぞw」(その友人)
 他の参加者からも、割れたウィンドシールドを新品に換えてもらったり、酒をおごってもらったり、ずいぶんやさしくしてもらいました。しかも、クジで一等賞(BMWディーラーの$250商品券)が当たったり。まぁとにかくいろいろと楽しかった。

白夜とMidnight Sun

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 三省堂『新明解国語辞典』によると、「白夜」とは次のような意味らしい。

夜中でも夕暮れのように薄明るい感じがすること。特に、△北極(南極)に近い地域で、△夏至(冬至)のころ見られるもの。びゃくや。
 うん、小学校の「地理」で、たしかにこんな意味だと習った気がする。とすると、夏のフェアバンクスは白夜です。太陽は地平線に沈みますが、あまり深くは沈まないため一晩中明るいままです。

 でも、そうすると、白夜にあたる英単語は存在しません。英語の似た表現に「midnight sun」というのがあります。Encarta『World English Dictionary』によると、「midnight sun」とは次の意味です。

sun visible at midnight at pole: the sun when it is visible from within the Arctic or Antarctic circles at midnight during their respective summer months
極地で見られる真夜中の太陽のこと。北極圏(南極圏)で、夏の数ヶ月、真夜中でも沈まない太陽を指す
 つまり、真夜中でも明るいだけではmidnight sunとは呼ばず、一晩中太陽が出ていないとダメなのですね。ちなみに、夏至の日に一晩中太陽が沈まない緯度より北のことを北極圏Arctic circleと呼びます。ぼくが北極圏を訪れたときも、天気がとてもよかったのでmidnight sunはずっと見えていました。10時過ぎに太陽の高さが低くなるまでは、暑くて眠れないくらいでした。

 現在、北極圏の位置は北緯66度33分ということになっていますが、かつては北緯66度30分だと信じられていました。ちょうどその緯度に「Circle」という名前の町があります。フェアバンクスから50kmほど北に位置するこの町は、これは北極圏の町という意味を込めてそう名づけられました。

 白夜であれmidnight sunであれ、太陽が出ている時間が長いと気温が低くならないというありがたみがあります。たとえば、カナダで温泉に入ったリアード川ホットスプリングスでは、昼は暖かくても夜は霜が降りてテントが凍ったりしました。でもさらに北上したフェアバンクスでは、いくら気温が下がっても夏に氷点下になることはありません。

 ただ、明るいままだと、体内時計がまったく当てにならなくなります。いい朝だな、けっこうよく寝た、と思ったらまだ午前2時だったり、まだ時間が早いからお腹がすかないや、と思ったら夜の10時だったり。

アラスカの本

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 今日はいくつか本の紹介。

 ぼくがアラスカになんとなく関心を持ちはじめたのは10歳ぐらいのときだったと思います。しかしはっきりとした憧憬を意識するようになったのは12歳のころですね。そのきっかけのひとつになったのは、ある小説でした。

 当時、ぼくは新田次郎という作家がお気に入りで、11〜12歳までの2年間でそのころに出版されていた作品はほとんど読破したと思います。短〜中編の山岳小説では今でも右に出るものはいないという大家なのですが、いくつか長編の小説もあります。ぼくが好きなのは銅山町での公害との闘いを描いた『ある町の高い煙突』、そしてフランク安田の生涯を描いた『アラスカ物語』。けっきょく、この2冊が、小学生のころに読んだ本でいちばん印象に残っているもの、ということになります。

 『アラスカ物語』のハイライトは、クジラ乱獲による飢餓と西洋人が持ち込んだ疫病で絶滅の危機に瀕していた北極海沿岸のエスキモーたちを救うため、フランク安田が鉱山技師たちとともに2年がかりで金鉱を探しあて、その資金を元手にブルックス山脈を越える民族大移住を決行するあたりでしょう。フランク安田のことを「エスキモーのモーゼ」とたたえた新聞もあったとか。そんな偉大な日本人が実在したことを知っていましたか?

 アメリカに在外研究に出る直前になって、20数年ぶりに読み直してみましたが、いま読んでも社会学者の批評眼に耐える興味深い記述がたくさんありました。同書が執筆された当時はエスキモーについて日本語で読めるまともな文献はほとんどなかったはずですので、新田次郎さんは1ヶ月というかなり短期間のアラスカ取材で非常に正確に情報を収集されたようです。

 エスキモーといえば、ジャーナリスト本多勝一さんが若いころにエスキモー村に住み込みで書いたフィールドノートが秀逸です。文化人類学的な参与観察の業績として十分に通用する内容になっていて(もちろん多くの学術書よりも読みやすいです)、『カナダ・エスキモー』というタイトルで出版されています。

 アラスカに関する書籍でほかにぼくが好きなのはジョン・マクフィーの『アラスカ原野行』。やはり著者はジャーナリストですが、時間と手間と紙幅をかければこれほど豊かな情報を読者に与えられるものかと感心させられた本です。ぼくのアラスカ理解のかなりの部分はこの本が基点になっているといっても過言ではありません。

 ほかには、読み物として、星野道夫さん、野田知佑さんも好きですね。

 一方、アラスカについての書籍のうち、ぼくが個人的にあまり好きではないものもついでに2冊紹介しておきましょう。

 ひとつは桐生広人『消える氷河』。地球温暖化の影響は極地方で極端にあらわれているらしく、カナダの氷河はおそらくあと50年もたたないうちに消えてしまうと予想されています。そのことを科学者の予測という方向だけでなく、エスキモーたちからの聞き取りからも明らかにしようと、環境保護団体「グリーンピース」が行った調査に同行したフォト・ジャーナリストが書いた本です。残念ながら、また聞き、耳学問、思い込み、が随所に盛り込まれていて、信頼性には欠けます。しかし、アラスカの環境保護派の主張を知るには手ごろな一冊です。このテーマで書かれた日本語の資料としてはたぶんもっとも入手しやすいものだからです。というより流通に乗ってる書籍としては唯一じゃないかな。

 これに関連して、最近、極地方の先住民たちがアメリカ政府を裁判に訴えました。先進諸国の環境保護の無作為が地球温暖化を後押ししていて、その結果、薄くなった流氷や河の氷が割れて死亡する事故が相次いでいる。こうした事故の責任は先進諸国にあるが、中でも環境保護政策の国際合意(具体的には京都議定書でしょう)をじゃましているアメリカ政府の罪は重い、というわけです。

 もうひとつは、ノンフィクション新人賞かなにかを受賞した広川まさき『ウーマン・アローン』です。フランク安田の存在を知ってそのゆかりの地を訪ねてみたい、とユーコン川をカヌーで下ることを決意し、冒険を終えるまでを清新な感性でつづった紀行文です。読後にちょっと勇気が出るような、そんなお勧めの一冊。賞を取るのもわかります。

 なのにどこがあまり好きじゃないのかというと、最後にただ一点だけなのですが、どうしても許せない独善性を感じるためです。

 フランク安田とエスキモーたちが拓いた町「ビーバー」を訪問した彼女は、現在の町長から「もうフランク安田のことを知っている人はここにはほとんどいないのよ」といわれ、町長からの要請もあって、新田次郎の『アラスカ物語』とその英訳本を寄贈するために戻ってこよう、そしてエスキモーたちに読んでもらうんだと決意します。それが次の旅を予感させる終わり方になっているのですね。

 『アラスカ物語』にはぼくも感激しました。でも、同書はいかにエスキモーに好意的に書かれているとはいえ(同書が書かれた当時の価値観としては本当に驚くべきことです)、やっぱりエスキモーとその文化を日本人の目で外から眺めた内容ですし、計画的思考という意味では無能なエスキモーたちを一本筋の通った日本人が救ったというストーリーです。それを当のエスキモーたちが読んではたして感動するかな。しかも、もはや計画的思考と産業社会の価値観を知っていて、ときには自分の祖先を恥じることもあるエスキモーたちが、読んで面白いと思うものなのかな。日本人のナショナリズムを押し付けられたエスキモーは迷惑だろうなと思わないのかな。

 著者の魅力は、むしろそんなことを考えずに思い込み一本で猪突猛進するところです。こうした独善性は『ウーマン・アローン』全体を貫く特徴のひとつで、それが鼻につかずにむしろ好感をもって読めてしまうところが、人徳というか、この本の魅力になっています。ただ、最後のこれだけは、ちょっと白けてしまうんですよね。

ダルトン・ハイウェイ

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 ダルトン・ハイウェイは、北極海から石油を運ぶパイプラインを管理するためにつくられた道路です。北米大陸で北極海に抜ける道路は2本しかなく、そのうちの一つ。フェアバンクスから接続するエリオット・ハイウェイをあわせると、約800kmものロングダートを楽しめる冒険地です。

 中継地点のコールドフットをすぎると、終点のデッドホースまで商業施設は一つもありませんので、ガス欠に備えてガソリンタンクを持っていきます。苛酷な環境の中、さまざまな事故やマシントラブルが頻繁に発生するのですが、すべて自己責任で対応しなければなりません。

 でも、そこがいいんですよね。

ダルトン・ハイウェイに入ってすぐ

ダルトン・ハイウェイに入ってすぐ
エリオット・ハイウェイにあるロードハウス。インディアンの女の子が無愛想に店番していた

エリオット・ハイウェイにあるロードハウス。インディアンの女の子が無愛想に店番していた。
この辺は路面の状態が良好です。

未舗装ですが、このあたりは路面がきれいに整備されています
凍らないようにラジエーター付きで電熱線入りのパイプライン。遭難したときはこの上に寝て暖を取るそうな

凍らないようにラジエーター付きで電熱線入りのパイプライン。遭難したときはこの上に寝て暖を取るそうな
北極圏の看板。有名な撮影スポット。

北極圏です。とりあえず皆さんここで写真を撮ります。
このときは山火事がひどかったんです

当時はハイウェイ沿いに大きな山火事が広がっていました。ちょうどLong Way Roundと同じころです。
急峻なブルックス山脈を越えるアティガン峠

急峻なブルックス山脈を越えるアティガン峠
ツンドラとパイプライン

ツンドラとパイプライン
もうじきブルックス山脈が終わります

もうじきブルックス山脈が終わります。


ブルックス山脈最後の山。あとは北極海までなだらかなツンドラが広がるだけ
カリブーの家族

カリブーの家族
デッドホースに3つしかないホテルのうちの一つ、アークティック・カリブー・イン

北極海沿岸の工業町デッドホースに着きました。3つしかないホテルのうちの一つ、アークティック・カリブー・イン。24時間食べ放題ですが、アルコールはありません。
北極海への観光バス

北極海には石油工場があるためマイカーは立ち入り禁止。デッドホースから北極海までは観光バスに乗ります。
北極海です。右10度ほどが北極星の位置。

北極海です。右10度ほどが北極星の位置。流氷が溶けるので舐めても塩辛くありません。
いちおう泳げます

水温は摂氏8度ぐらい。いちおう記念に泳げる温度です。この日は記録的な暑さだったので、きっと快適だったでしょう
デッドホースのガソリンスタンド

デッドホースのガソリンスタンド。先住民の株式会社NANAが運営している。小屋の中にセルフの給油機があります。レギュラーのみ。
ツンドラのフラクタル

夏が終わって湿地が凍結するとき、自然に亀甲状の山が出来上がります。
ツンドラの植物

ツンドラといっても地衣類だけではありません。低木は生えています。
コースアウト フェアバンクスのホステルに戻ってきました。転落の被害はウィンドシールド割れ、パニアケースホルダー折れ、クラッチオイル漏れ

停まろうと路肩によったら砂利にハンドルを取られてコースアウトしてしまいました。着ていたエアバッグが首の骨を守ってくれましたが、エアバッグのボンベで肋骨をすこし骨折してしまいました。なんだかなぁ。たまたまそばで客まちをしていたヘリのパイロットと、いつの間にかいっしょに旅をするようになったピーター(推定58歳)に手伝ってもらっているところです。「写真撮っておかなくていいのか?」(byパイロット)

アラスカ・ハイウェイ

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 以下、アラスカ・ハイウェイ走行時の日記。

***

 カナダからアラスカのフェアバンクスに入るまでは、アラスカ・ハイウェイを通ります。太平洋戦争のとき、日本軍はアリューシャン列島を占領していましたので、ベーリング海峡を渡って上陸してくることをおそれた米政府が、軍需物資をアラスカに運搬するために突貫工事で作った陸路です。

alcan01.jpg ちなみに、アラスカとカナダをつなぐ道なので、かつてはALCANともいいました。南北アメリカ大陸を結ぶパン・アメリカン・ハイウェイの最北端でもあります。

 もとが突貫工事で作ったものですので、路面の状態はたいへん悪いのですが、全長およそ160kmと距離が長く、景色のきれいなハイウェイということで有名な道路です。

 アラスカ・ハイウェイの起点"マイル・ゼロ"のまち「ドーソン・クリーク」。ビジターセンターが観光写真の撮影スポットになっています。お年寄りの団体さんの写真を何枚か撮らされ、そのお返しに撮ってくれた写真です。

「ねぇ、あなた。ちょっとちょっと!」
「はい?」
「写真取ってちょうだい」
「いいっすよ」
「あたしのも」「わしのも」「これも」
「はい、みんな撮れましたー」
「今度はあなた、そこに立ちなさい」
「あ、いや、ぼくは...」
「いいからいいから、はい立って」
 こういうノリはどこでも同じですね。

 実際に起点となるマイルストーンは別の場所にあるのですが、同ビジターセンターにあるマイル・ゼロの標識です。

リアード川温泉 アラスカ・ハイウェイにはリアード川温泉があります。北米にも温泉はいろいろとありますが、ぼくはココがいちばん気に入りました。

 森の小道を通り抜けると、老若男女が...

 北米の温泉は、全般的に無骨なのですね。たぶん、一番多いのは、コンクリートで囲っただけの温水プール。プールのふちを岩で固めて自然っぽさを演出してあればかなりマシなほうです。

 その点、リアード川温泉は、天然の川をたいへんきれいに整備した施設なのです。温水プールのような無骨さはまったくありません。まさに、川遊びの雰囲気です。しかも、すっごいいい湯でした。ただ水深がある(1.5mほどだと思います)ので、上は適温でも半分から下はぬるい状態でしたが。

キャンプ場から続く森の小道を5分ほど歩いて抜けると...老若男女が水遊び 水遊び...
水遊び... 人がいないところも撮ってみました キャンプ場の注意書きです。

アラスカ・ハイウェイでいちばんの景勝地「クルアン湖」です。大きさはおよそ700平方km、長さは70kmほど。

Lake Kluane  ここはユニークな湖で、コバルトブルーの水が本当にキレイなんです。波と浜があって、写真には撮っていませんが、このすぐ北のあたりは南洋の海にしか見えなかった。

 そして、野生生物が豊かな土地でした。ハイウェイからでも、ブラックベアが遊んでいるところ、カリブーの親子が散歩しているところを見ることができました。また、湖畔に張ったテントから朝目覚めて外をのぞくと、目の前をムースが歩いていました。

 一泊しかしませんでしたが、ゆっくり滞在する価値のある場所だと思います。

 ちなみに、ムースはユーモラスな顔をした草食動物ですが、案外獰猛なので注意が必要です。あちこちで、子育て中のムースには「ぜったいに近づくな!」と脅されます。クマに襲われる被害より、ムースに襲われる被害のほうが多いそうな。

クルアン湖 クルアン湖 クルアン湖

 イタリア系アメリカ人の彼と日本人大学院生の彼女。タンデムで旅行中。まだジャケットがきれいです。でもこれからアラスカに入るとすべてがホコリっぽくなります。

alcan14.jpg 男性は日本をバイク旅行したこともある旅好きで、女性はカナダに留学中の大学院生です。彼女がトイレに立っているとき、こんな「男の会話」がありました。

ぼく「うらやましいな。ぼくの妻はバイクがそんなに好きじゃないから、二人乗りで旅行に出るなんて考えられないよ」
「女性はいつだって難問problemさ。ぼくはキャンプできる道具をぜんぶ持ってきているのに彼女はイヤだっていうんだ。プルドー・ベイ(北極海)にも行きたいんだけど、ダルトン・ハイウェイがどういう道路かまだ話してないんだ。きっとイヤがるだろうな。でも(北極圏の)コールドフットまでは行こうと思う」
 その後、彼は食事中にさりげなくコールドフットまでは行くということを既成事実化したうえで、ダルトン・ハイウェイのことをさりげなく説明していました(笑

検問所
 国境をこえます。アメリカの事務官というのはどうしてこう手際が悪いんでしょうね。ただパスポートの期限が確認できないというだけの理由で、15分ほど足止めされました。知ったかぶりしないで、一言聞いてくれれば、こっちから教えてあげるのに。

アイスフィールドPW

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 バンフからジャスパーまでカナディアン・ロッキーを堪能できるアイスフィールド・パークウェイ。北米でもっとも美しいハイウェイの一つです。

 今回は写真だけ。ちなみに、下の3枚は温暖化で急激に縮小しつつあるといわれるコロンビア大氷河です。

バンフの日記

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 バンフへの道のりは「カナダの洪水」の通りでしたが、ホステルについて、みんなに暖かく迎えてもらってようやく人心地つきました。以下、日記を転載。

北米のユースでつねに人気ナンバー3内にランクインするホステル。たしかに、スタッフも設備も、そして客層も、居心地よく感じました。写真はホステルを出る日の朝。 荷物をいっしょに運んでくれた韓国人のナイスガイ。「カナダで日本人にはたくさんあったけど、韓国人がいなくてねぇ。」英語が上手で、育ちのよさそうな韓国青年は、自国民の国外離散状況をどうやらよく知らないらしい。「中国人と韓国人は世界中にいるよ。昨日だってカルガリーから100kmも離れた田舎のレストランでコリアンが働いてたぞ」「えー、本当?」

 ただ、青年のいうことも一理あります。海外では、どこにいっても日本人の姿をほとんど見かけないのに、特定のまちには日本人しかいない、というようないびつな人口のかたよりがあります。日本の旅行(代理店)が高度に産業化されていて、合理的な商売のために決まったルートをいつも利用しているためでしょう。そして、カナダの有名都市はいずれも日本人観光客の多いところです。

バンフの夕焼け。写真は翌日のもの。 ぼくと同室のカップルはスイスからきていて、車で南北アメリカ大陸を縦断しながら3ヶ月の休暇を楽しんでいるらしい。あと3週間しか残っていないと嘆いていました。「あなた英語が上手ね、アメリカ人かと思った。」 そんなことをいってくれるのはドイツ語圏のあんただけだよ。

 しかし、予約のとき、部屋の選択で「男性部屋」「女性部屋」「男性と女性ミックスの部屋」という選択肢があったので、「男性部屋」を選んだはずだけどなぁ。まぁいいけど。

 3時すぎ、同室のカップルに送ってもらってダウンタウンに遅い昼食をとりに行きました。

 カナダのリゾート地っていうのは、同じデザイナーがまちをコーディネイトしているのではないかと思えるくらい、こぎれいで少女趣味的なかわいらしい街並みをしているものですが、バンフも例外ではありません。まち全体で観光地としての演出をしているわけで、あえてイジワルな見方をすればディズニーランド的に作り物っぽいところもあるのですが、商売のためだけでなく、むしろ観光客にきちんとリゾート気分を味わってもらいたいといった歓迎の気持ちが感じられて、僕はきらいではありません。そこにいるだけで別世界に来たんだなぁと単純にわくわくできるところもいい。


 バンフ二日目。今日は少し晴れましたので、レイク・ルイーズに行ってみました。

banff3.jpgエメラルド・グリーンの湖水をたたえるレイク・ルイーズカナダのゴミ箱
 正面には後退した氷河が少しだけ見えています。どういう成分なのか知りませんが、水はエメラルドグリーンです。白、青、緑という独特の色調がなんとも非現実的な景観です。世界の観光地として人気があるのもうなづける。

 これもレイク・ルイーズで撮った写真ですが、カナダの山間部にはこういうゴミ箱が設置されています。

 フタの穴の中に押し込みボタンがついていて、それを押しながらフタを開けます。どうしてそんなに面倒なことをするかといえば、野生生物、とくにクマが人間に慣れすぎないようにするためです。人間社会に近づけばエサにありつけると考えるようになったクマは非常に危険で、遠からず人間を襲うようになり、結果として射殺されてしまいます。そのような悲劇を生まないためには、絶対にエサを与えないことが重要です。

カナダの洪水

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 カルガリーのモーテルの駐車場でバイクに荷物をつんでいるとき、「昨日よりいい天気だったらいいわね」と声をかけられました。その前日はひどい雨で、850kmの移動のあと、ドロドロの状態になってフロントに駆け込みました。そんなところを見て気にかけていてくれたのかもしれません。でも、出発してすぐにまたひどい雨が降り始めましたが。

 トランス・カナダ・ハイウェイが渋滞しているのでなにがあったのかと思ったら、河川氾濫で通行止めというのです。そういえば、前夜、テレビ番組が突然止まって、「災害警報」の静止画面に切り替わり、「〜の地域は増水に注意してください。〜の地域は...」のような無骨なアナウンスがしばらくありました。番組を止めての緊急情報でしたのでけっこう緊張しましたが、「明日はバンフまで150km足らずだし、ハイウェイをちゃっちゃと移動してホステルでゆっくりしていよう」と思ったのを覚えています。

 しかし、その150km足らずがひどかった。迂回した道路では小川や池があちこち氾濫しています。太い流木の山に押し流されそうになっている非常に危険な橋を駆け抜けたりもしました。100mm/hほどの雨が降り続くし、横殴りで風速10m/sほどの風が吹き付けてくるし、おまけに気温は摂氏8度くらいからどんどん下がっていきます。バンフに着いたときは雪交じり。間違いなくバイク人生最悪の天候でした。

 この雨はエドモントンからカルガリー一帯にかけての広い範囲でサスカチュワン川を氾濫させ、洪水を発生させたそうです。

 洪水が発生したといっても、ニュースの扱いは日本とはずいぶん違いました。というのも、川沿いにはほとんど家が建っていないため、実質的な被害が発生しないからです。川沿いの土地は、増水のときに氾濫する平原として住居に不適切な土地だと認識されています。カナダは土地が広いから、わざわざそんな場所を選ばなくてもほかに住居に適した場所がたくさんありますからね。

 だから、洪水といっても余裕で増水する光景を眺めに出かけて楽しんだりしているのです。

「ママみてー、あの流木のやま、ビーバーのダムみたーい」
「あと少し増水したらあの辺が氾濫しそうなのに、なかなか水が増えてこないね」
 それでも、氾濫原に好んで住む人もいます。なぜなら、都市のすぐそばなのに広大な土地を安価で独占できるためです。災害の保険に加入することすらできないそうなのですが、都市生活と大自然のどちらにも利便性がいいということで、一部の人々に人気があります。新聞では、「好き好んでそんなところに住んで何度も被害にあって、しかも今後も住み続けたいなんて、本当にご苦労なことで...」というような論調で書かれてありましたが。

 彼らには、氾濫原でもふつーに住居を建てているアジア諸国(もちろん日本を含む)はどう見えるんでしょうね。氾濫を抑えて川辺に住居を広げるために、川底と川岸をすべてコンクリートで覆ってしまって、日本からは砂浜が消えてしまった、なんて聞いたらどんな顔をするんだろう。ましてや、消えつつある砂浜を維持するために毎年毎年、土砂を運んでこなければならない海水浴場がたくさんあるなんてね。

アメリカとカナダの通関

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 アメリカ合衆国にバイクを持ち込むのは、本当に大変でした。

 というのも、911テロの後、アメリカは輸出入を厳しく検査するようになっています。そのため、いろいろと手続きが面倒なわりに儲けがほとんどないということで、実績のあるバイク輸送業者がすべて手を引いてしまったのです。したがって、まず輸送を引き受けてくれる業者を探すのが大変でした。

屈強な港湾夫たちが木枠を解体していく ある業者からは、「いまアメリカにナンバープレート付の車両を持ち込むのは不可能です(きっぱり)」とまでいわれたり、あちこちの業者から輸送をことごとく断られたため、相場の倍ほどの値段であやしそうな業者に委託することになりました。契約内容は、「神戸港搬入からNY港渡しまで。アメリカ側の通関は料金に含まず」というもの。

 次の難関は、書類をそろえることでした。かならず必要なのは、(1)Bill of Lading、(2)Commercial Invoice & Packing list、(3)Arrival Notice、(4)日本の陸運局で発行してもらった登録証書、(5)個人情報を証明する書類一切合切、の5点。それに加えて、旅行者が1年未満の使用を前提に車両を持ち込む場合は、(6)米運輸省のHS-7という書類と、(7)環境省の3520-1という書類が必要。という知識をあちこち電話したりネットで検索したりしながらガリンペイロするのが大変でした。

 しかし、そこまで調べても、どの書類を誰が用意するのかまではわからない。1〜3は輸送業者が用意するものなのですが、業者の事務能力に問題があってなかなか届かない。5はどんな書類がどれだけ必要なのかわからない。6〜7はどこに何を記入すればいいのか分からない。

 でも、わからないなりに、できることすべてをやり、準備できるものすべてを用意して、通関に向かったのがよかった。窓口で2時間もかかりましたが、書類のチェックとID確認、インタビューを経て、1年間有効の許可をもらいました。

 これでようやく終わったかと思ったのですが、バイクを倉庫に引き取りにいったとき、次の難関にであいました。

ぼく「バイクを引き取りに来たんですけど」
受付「どの業者?」
ぼく「いや、個人で頼みました」
受付「でも木枠を解体しないといけないでしょ?」
ぼく「バールを貸してくれたら自分でやります。」
受付「それはダメ。解体料金は300ドルね」
ぼく「そんなの聞いたことありませんよ」
 この後、小一時間ほど、倉庫の受付やマネージャーと口論。
ぼく「おれのバイクだろ」(だんだん怒ってきてる)
マネ「ほう。だが、ここはおれの倉庫だ。バイクがほしけりゃ300ドル払うんだな」
 という流れで、根負けして300ドル支払った後のこと。モーガン・フリーマン似のトラックの運転手がそっと近づいてきて教えてくれました。
運転手「トラックを頼めばよかったんだよ」
ぼく「え?」
運転手「あのな、トラックが荷物を積み出すときは、タダなんだよ。あのバイクをいったんトラックで運び出すだろ。そして、倉庫を出たところであんたが解体すりゃ、手数料は300ドルもかからない。」
ぼく「!!」
運転手「今回はもう手遅れだけどな。次のときにそうやったらいいよ」
ぼく「そんなの先にいってくれよ...」

ウィニペグに入る国境検問所 いや、もうホント、いろいろと勉強になりました。

 ところで、この高速道路の料金所のようなところは、カナダ国境の検問所です。空いています。

 ぼくの前に一台、BMWに乗ったおじいさんがいました→入管の様子。こんな感じで、バイクや車に乗ったまま、ヘルメットを脱ぎもせず、いくつかインタビューに答えます。

 なごやかなやり取りであっという間に入国審査が終了し、税関用の黄色い紙をもらって、「中に入ってパスポートにスタンプを押してもらってください」と。見ると、横に小さな建物があって、そこが正式な入管のオフィスということらしい。

 入管の窓口で、「いつカナダを出るかぜんぜん未定だけど、ニューヨークの家には8月末までに帰らないといけない」といったら、8月末までを滞在期限にしたスタンプをパスポートに押してくれました。

 そして、税関の窓口では、受付でもらった紙を出して終わり。「え、それだけ?」といったら、事務官もわかっているらしくて、「パスポートとかバイクの登録とか、すでにいろいろ持ってるでしょ?」だって。アメリカの税関に聞かせてやりたい!

クルーザーとアメリカン

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ツーリング開始直後の装備なのでパッキングがいまいちこなれていないし、防水対策もいいかげん。 写真はツーリング開始直後の装備です。

 タンクバッグから出ている青いホースはタンクバッグの中の水筒につながっています。ホースの取りまわしは多少面倒ですが、これさえあれば走行中にも水分補給をすることができます。

 「今日は移動日」と決めたら、短いときで600km、気分しだいで1000km以上の距離を走るわけで、食事とガソリン補給の休憩をのぞけばハイウェイを一日走りっぱなし、なんていうこともめずらしくありません。そうすると、なにせ夏のことですから、問題になるのが水分補給です。マメに水分と塩分を補っておかないと、けっこう簡単に熱中症にかかります。こまめに休憩するか、このようにハイドレーションを装備するか、どちらかがかならず必要となります。

 さて、バイクは大別すると、スポーツ、ネイキッド、ツアラー、オフローダー、クルーザー、スクーターの6種類に分類されます(参考)。それぞれバイクの機能が違うのはもちろんですが、他にも、バイクの乗り方、バイクの楽しみ方、バイクに乗るときの装備など、さまざまな違いがあります。バイクに付随するライフスタイル、ひいては文化が違うといってもいいでしょう。

 ぼくのバイクはBMWのR1150GSといって、オフローダーとツアラーの中間的な位置づけです。イメージとしては、舗装されていようが砂利道であろうが、道を選ばずに世界中を走る旅バイク。ラフな長旅にも耐えられるように、全天候オールシーズン対応のバイクジャケットを着る人が多いです。

 スポーツバイクで峠を走る人は、革つなぎにフルフェイスのヘルメットが典型的なスタイルです。州間ハイウェイで長距離を移動するより、ワインディングの多い一般道をハイスピードで走行することを好みます。

ニューヨーク近郊のツーリングスポット「ベア・マウンテン」 クルーザー(いわゆるアメリカン)乗りは、Tシャツに革ベスト、革ジャン、ジェットヘル(ないしノーヘル)にサングラスが一般的。あまりスピードは出しません。というより、機能的にも装備的にも、スピードを出せないのです。制限速度を守って、まったりと直線道路をクルージングするのが正しい楽しみ方。

 アメリカでは、やはりクルーザーに乗る人が圧倒的に多いです。きちんと調べてはいませんが、ツアラータイプのクルーザーを含めると、実感としては少なくとも7割以上がクルーザーという印象です。

 では、なぜアメリカでそれほどクルーザーが支持されているのか。

 理由はたくさんあります。たとえば、いまのクルーザーの基本的なデザインは、1920年代にはすでに完成していました。Indianやハーレー・ダビッドソンの手による製品群は、第二次世界大戦ごろまで世界的な影響力をもち、多くの模倣を生み出しました。それから時代は変わっても、現在に至るまで一貫してあのスタイルの製品を提供してきたメーカーがアメリカにつねに存在してきたこと。それが理由の一つ。

 また、広大な土地柄、地平線まで続く直線道路はめずらしくありません。直線道路を長距離走行するとなれば、クルーザーかツアラーが有利ということになります。バイクの機能と国土が適合的というのが理由の一つ。

 より重要なのは、ライフスタイル。上でクルーザー乗りのスタイルは、Tシャツに革ベスト、ジェットヘルにサングラスと書きました。このスタイルは、1960年代に非合法活動で悪名をとどろかせたバイカー集団Hells Angelsで一般的だったものです。当時はハーレーといえばHells Angelsのことだったといいます。時代は変わって、Hells Angelsもほとんど非合法活動をしなくなりましたが、そのスタイルにまつわるワルっぽいイメージだけは今に息づいているわけです。さまざまな規制に管理された日常を抜け出し、自由を謳歌したいというとき、このちょいワルなスタイルが一つの手がかりになるということでしょう。男も女も、クルーザー乗りはみょうに体格がいいんですよね。マッチョがクルーザーを選ぶのか、クルーザーに乗るためにマッチョになったのか。

 そして、非日常として旅を求めるアメリカの心性を指摘しなければならないでしょう。バイクを使って日常を抜け出すとしても、サーキットや峠を走る、ドラッガーで直線番長を競いあう、トライアルバイクで岩山を登る、ダートをモトクロスでぶっとばす、荷物を満載して旅に出る、等々、いろんな手段があります。しかし、その中でも、アメリカでは特に長距離の旅に出ることに対して、「フロンティア・スピリットの実践」「自由を求めての挑戦」といった特有の意味づけがあるように思います(「ルート66」も参照)。そして、アメリカで長旅に出るとなれば、やはりクルーザーかツアラーです。

 さらに、以上のすべてを総合する、ハーレー・ダビッドソンのマーケティング。ハーレー・ダビッドソンは1981年に再生して以来、さまざまな経営戦略を展開し、つねに好調な販売を維持し続けてきました。その手法の一つが、バイクを売るだけでなく、バイクの楽しみ方を紹介するというマーケティング方法です(日本法人の例)。バイクを通じて、アメリカのライフスタイルを、そしてアメリカの夢を売るというわけです。

 他にも、流通やナショナリズムの問題など、いろいろと理由をあげることはできますが、ようは、さまざまな理由がからみあって、「アメリカのバイクといえばクルーザー」という環境を作り上げ、市場を形成し、人々の消費意欲を掻き立てる好循環が成立しているということです。

 ただ、マッチョなアメリカ人って、どうもぼくとは相性がよくない人が多くてね。いや、アメリカ人にかぎらず、体育会系のりがニガテなんですが。

 もちろん、バイクに罪はないですよ。ぼくもクルーザーというバイク自体は好きですし。

パリセーズ

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 単数形のpalisadeは「弓矢を防ぐ柵(矢来)」という意味なのですが、複数形でpalisadesになると「川辺の断崖」という意味になります。でもさらに意味をさかのぼると、ハドソン川の両岸にそそり立つ断崖絶壁のことをPalisadesという固有名詞で呼んだのが、19世紀半ばに一般名詞化して広まったそうです。ハドソン川の断崖は、火成岩の大岩がタテに切り立っていて、見た目が防柵に似ている場所があるのですね。

 ハドソン川の断崖は、自然の防塞として、独立戦争のときイギリス軍からニューヨークを防衛するための重要な軍事拠点となったそうです。そのため、「自然がつくった矢来」という意味も同時にこめられているかもしれません。
ニュージャージー州パリセーズの上からハドソン川を臨む
 写真はニュージャージー州側のState Line Overlookという展望台からPalisadesとハドソン川を写したものです。対岸がマンハッタン島ですね。小型のデジカメではちょっと迫力不足ですが、実際に150mほどの高さから大河を見下ろすのはなかなか壮観なものです。

 東海岸の人々は総じてバイクに冷淡です。街中で日常の足としてはバイクを使っている人はあまりいません。でも天気のいい休日には、フリーウェイや郊外の道路で少なからぬバイクを見かけます。バイクは日常を離脱する遊び道具という位置づけなのでしょう。

 この展望台も、週末ともなればニューヨーク市近辺のライダーが集まる"バイク名所"のひとつでもあります。京都近辺でいえば大津ICや堅田の道の駅「米プラザ」のような感じですね。いずれも、ツーリングルートに近く、交通の便がよくて、広い駐車場、売店、居心地のいいイスがあって、見晴らしのいい場所、という特徴が共通しています。

 NY市からおそらくいちばん近いハイキングコースがありますので、バイク乗りでなくてもお勧めのスポットです。G.W.ブリッジからすこし北にあるAllison Parkからだと、たぶんマンハッタンの夜景もきれいだと思います。

ルート66

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routemap.jpg ニューヨーク近郊の自宅からツーリングに出発したのは2005年6月10日のこと。それからおよそ3ヶ月ほどかけて、A. ニューヨーク、B. シカゴ、C. ウィニペグ、D. バンフ、E. ジャスパー、F. エドモントン、H. フェアバンクス → アラスカのあちこち → R. ドーソン、S. イヌビク、T. ホワイトホース、V. バンクーバー → 西海岸あちこち → W. サンディエゴ、フェニックスから旧ルート66、Y. ワシントン.D.C. → ニューヨークというルートを回りました。総走行距離はメーター読みで約3万キロ。

 フリーウェイを使って北米一周をするときはだいたい似たようなルートになるんじゃないでしょうか。ただ、当初は南部からフロリダを回ってニューヨークに戻ってくるつもりだったのですが、あまりにも暑かったことと、ハリケーン「カトリーナ」が接近中だったため、旧ルート66経由に変更しました。

 「ルート66」という道は、かつてアメリカでもっとも有名なハイウェイでした。テレビ番組『ルート66』とその主題歌が広範な人気を得たこともあってか、「The Mother Road」とか「The Main Street of America」とか「自由と民主主義の象徴」とまで呼ばれたことがあります。開拓時代にさかのぼるアメリカの移動熱の精神的支柱ともいえる位置を占めていたといえるでしょう。でも、場所によっては狭かったり、くねくねと入りくんでいて、新しいハイウェイの規格に合わなくなり、モータリゼーションの発達とともに廃道となったのです。ディズニー映画『Cars』でもそのことがテーマになっていましたね。

 だから行政上はすでに存在しないハイウェイなのですが、今でも部分的に古い道が残っていますので、古きよきアメリカを体感しようとマイカーで訪れる人たちがたくさんいます。そういうお客さん目当てに道を整備しなおして、古い町並みを演出するなど観光資源に利用している沿線の町もあります(例1例2)。日本からもルート66を自走するためにアメリカに渡るという人は少なくありません。

 ところで、先ほどルート66について「自由と民主主義の象徴」と書きましたが、アメリカでは移動(とその手段)の自由がたいへん大切にされています。何かから自由になるために移動する、ということもしばしば。アメリカにはロードムービーがたくさんありますが、ほとんど例外なく自由を求めて旅をするストーリーです。シアトルで出会った女性が言うには、「(就職先に)シアトルを選んだ理由は別にないなぁ。ただ、シンシナティから離れて自由になりたかったの。」

 日本の感覚では、田舎から都会に出ていくようなケースをのぞけば、都市間を移動したからって自由になるという発想にはつながりにくいと思います。一方、なぜアメリカでは移動することによって自由が得られるという感覚があるのか?

 ぼくがすぐに思いつく理由は3つほどあります。だから他にもたくさんあるでしょう。

 ひとつは、アメリカはその国土の大きさがいろいろな面で精神性に影響を及ぼしているという文化人類学の学説。つまり、国が大きすぎてリアリティをもって想像できる範囲を超えてしまっているため、遠く離れた土地には異界に等しい距離感をおぼえてしまう。そして、異界に飛び込めばしがらみも断ち切れる、というわけです。

 ひとつは法制面での理由。アメリカは州ごとに独立性の高い法律を備えていて、州間ではあまり情報のやり取りがありません。911テロの後はかなり改善されてきていますが、FBIでないかぎり警察すら犯罪歴の情報を州外からアクセスすることが難しかったのです。だから、ある州で犯罪を犯しても、別の州に逃れれば時間稼ぎできる場合があり、それが移動=自由というイメージを形成した側面はあるでしょう。

 最後の理由がいちばん単純で、移動にともなって生活構造(仕事や人脈など)が激変するから。アメリカって国が大きいせいで、引越ししたらそれまでの付き合いはそれっきり終わってしまって、新天地ではまったく新しい友達とすぐに仲良くなることが多いそうな。平均的なアメリカ人が誰とでもすぐに仲良くなるのはそのためだという説もあります。

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