以下は2000年3月ごろに在日メーリングリストに投稿した雑文です。思いつきで 書きなぐったものですが、人によっては参考になる部分があるかもしれません。 何かのヒントになれば幸いです。 *******ここから******** 金明秀です。この宿題をやってて、自分は理論家には向いていないと自覚を深 めつつあります(^^;)。長文ですので、関心の薄い人はすっとばしてください。 1.受益層/無利害層/受苦層 社会的資源が動くとき、それによって利益を受ける「受益層」、不利益をこう むる「受苦層」、どちらでもない「無利害層」の3つのグループが成立します。 たとえば、ゴミ焼却処理施設が建設されるとき、施設の近隣地域の住民は「受 苦層」、その施設にゴミを排出する住民は「受益層」、どちらでもない人々は 「無利害層」です。 新しく国家として独立した多民族社会で、最大民族集団の言語を「国語」にし ようとするとき、その言葉を母語とする者は「受益層」、そうでない者は「受 苦層」です。 #実際には、この三者は複雑に入り組んでいますので、単純に三つに分けら #れるものではありません。近隣地域でも、施設で働くものもいますし、過 #分の補償金を得られる人々もいます。また、「受益層」といっても、施設 #の種類によってはかならずしも利益だけを享受するわけではありません。 #3つのグループというのは、あくまで、理論的なモデル(理念型)ですね。 で、今もっている権力の多い人々は、それを活用して「受益層」になるように 努めます。そして得た利益でまた権力を買い、さらに利益を誘導します。それ に対して、もっている権力も少ないし、今後もてる権力も少ないような人々は、 ことあるごとに「受苦層」に組み込まれてしまいます。反対しようにも、資源 の移動を決定する権力にアクセスすることすらできません。 そして、そういう人々の中には、年齢、性別、出自などの属性に劣等なレッテ ルを貼られ、集団として、持てる権力を制限されている人たちもいます。 近代社会は、属性によって人を評価することを“悪”とし、個人の努力と能力 が最大限に生かされる社会を“善”とするルールをつくりあげてきましたので、 属性によって権力を制限され、しかも理不尽なことに「受苦層」に組み込まれ がちな人々の存在は、近代社会の理念を揺るがす問題として注目されました。 社会学者はそれを、数が“少ない”、もてる権力が“少ない”という特性から、 「マイノリティ」と呼びます。しかし、マイノリティという言葉は、学術用語 であるところから独り立ちをはじめ、いまや政治的な用語と化しています。 2.受苦層の団結 多くの場合、それぞれのマイノリティ集団は数が少ない。少数だから、発言力 も弱く、苦境を訴える声が社会に届きにくい。あえぎの声を効果的に社会に届 けるには、“同胞”で団結し、そして支援者の数を増やす必要があります。 言霊とはよく言ったもので、カテゴリーには、人を動員したり、排除したりと いう“力”がやどります。「マイノリティ」という言葉も例外ではありません。 あるマイノリティ集団は数が少なくとも、他のマイノリティ集団と合わせると、 無視できない数になります。おなじく抑圧される者同士で団結しようというと き、「マイノリティ」という言葉は力を発揮します。「おなじマイノリティじ ゃないか」と。 また、マイノリティのなかには、権力を奪われ「受苦層」に陥れられているこ とに気づかなかったり、個人的な問題だと勘違いしている人も少なくありませ ん。なぜなら、教育も、世論も、権力者の手中にあるからです。そういう人に は、「君はわたしたちと同じマイノリティだ」と言うことで、理不尽な状況に 自覚を促し、その状況を改善するための運動に動員する可能性が高まります。 人それぞれに生き方の戦略がありますが、「マイノリティ」という言葉は、同 種の境遇にあることを前提として、個々人の戦略を束ねて社会的な力にするパ ワーをもっているわけです。 しかし、ここで一つの問題が起こります。小異を捨ててマイノリティで大同団 結しようとするとき、個々人の望む戦略と、マイノリティ全体の戦略のあいだ には、かならず、ズレが生じます。マイノリティ内部の覇権争いによっては、 そのズレがさらに拡大することもあります。 マイノリティで団結することによって得られる利益(a)が、個人の戦略と全体 の戦略のズレによって生じる不利益(b)よりも大きなケースは、さしたる問題 ではありません。問題なのは、bがaよりも大きくなってしまっているケース です。そのとき、マジョリティから抑圧されるだけでなく、マイノリティから も抑圧されることになっているわけですから。 よくあるのは、マイノリティのマイノリティ。たとえば、在日の多くが、国民 意識を高めることで同化に抵抗しようというとき、帰化者や日本人とのあいだ のダブルは疎外されることになります。 他にたとえば、移民を中心として多文化政策が進んでいるとき、先住民は自分 たちの利害が考慮されないまま“決着”がはかられることに危機感を抱くこと があります。しかも移民は、その社会のマジョリティとちがって、先住民に道 義的な負い目を感じていませんので、よけいに問題がこじれたりもします。 また、欺瞞だろうがなんだろうが、「日本人」になりすまして生きていけばい いじゃないかと考えているとき、あるいは、金榮哲さんのように、「マイノリ ティ」という問題設定そのものに同意できないとき、意図しないのにマイノリ ティの一員として動員されるのは理不尽だと思うでしょう。 #白ちゃんの奥さんは、金榮哲さんとは一世代違う政治的文脈で、マイノリ #ティの枠組みでアイデンティティ形成することを望んでいないように思え #るのですが…。どうでしょう? >白ちゃん さて、えらいネタフリが長くなってしまいましたが、他にもこのズレが重大な 問題になるケースもあるんじゃないだろうか、というのが僕の問題意識の一つ 目です。それは、ずいぶんまえに玄智文さんが「弱さの権利」と言っていたこ とと関連します。 でも、ここまでで100行こえてしまいましたので、続きは別便で。 _____________________________________________ 金 明 秀(kim@koka.ac.jp) http://www.han.org/ ============================================= 3.受苦層の団結のカゲ さて、望む望まざるにかかわらず、「マイノリティ」であることを受け入れた ら、必然的に、ある種の“強さ”に駆り立てられることになります。なぜなら、 「マイノリティ」は不当な抑圧、理不尽な権力関係への抵抗のキーワードだか ら。抑圧を受けていることを自覚せざるをえないのと同時に、その抑圧に抵抗 する役割を期待されていることを知るわけです。 ちょっと話は飛びますが、川島さんはマイノリティに「憤りを顕にする権利」 があると書きました。なるほど、うまいこと言うなぁと感心したんですが、で もどこかしっくりこない気もしたんですね。なぜかと考えてみたところ、おそ らく、このMLの特定の文脈はうまく言い当てているが、一般論としてはちょ っと弱い、ということじゃないかと。 つまり、マイノリティには「憤りを顕にする権利」がある。たしかにそう思い ます。でも、それは権利にとどまらず、道義的義務としての負担を個々のマイ ノリティに強いるものじゃないでしょうか。実際に憤りをあらわにするかどう かはともかく、本来はそれをすべきだというプレッシャーをあたえてしまう。 しかし、その“強さ”を持たない者、あるいはその“強さ”を成育過程で奪わ れた者は、どうしたらいいんでしょう? 「もっと強いマイノリティがちゃんとサポートしてあげるから、勇気をもって 抵抗に参加し、マイノリティで団結しよう!」 これがはたして模範解答でしょうか? 一つの合理的な回答だとは思いますが、 やはり強者の論理ですね。僕ならたとえば、もちろん相手によりますが「時間 はあるから、いっしょにどうしたらいいか考えてみようよ」ぐらいにとどめる だろうと思います。 龍淑さんは、こう書きました。 >自分の存在に誇りを持つことです。決して媚びないことです。 >≪エセ人道主義やゆがんだ親切の押し売りを不快に思う感性≫を、なくさないこと >です。 >【中 略】 >マイノリティは社会の傷口です。 >覆い隠したり痛くないフリをしないで、本当に癒える日までは、ぱっくりと開いた >傷口をさらし、血を流し、叫びつづければいい。 これは、抵抗の戦略としては有効だろうと思います。しかし、こうした叫びを 声にするのはなかなか勇気のいることです(だよね? 龍淑さん)。人として 当たり前の弱さと、人として当たり前の誇りをはかりにかけたとき、どうして も前者のほうが重い人だっているわけで、そういう人に呼びかけるときには、 かならずしも有効とは思われません。 言葉には出さなくても、出せなくても、同じ叫びを心の中に持っている。その ことをどこかで思いやる気持ちも、重要じゃないかという気がするのです。 _____________________________________________ 金 明 秀(kim@koka.ac.jp) http://www.han.org/ ============================================= 4.受苦層による無利害層と一部受益層の動員 ともかく、「マイノリティ」の名の動員力によって、恒常的な「受苦層」にあ るマイノリティが大同団結すると、次にマイノリティがとる戦略は、支援者を 集めて発言の効力を高めようというものでしょう。 支援者としてリクルートの対象になるのは、まず、同じく「受苦層」に入りが ちなマジョリティ。この人たちは、社会的にマイノリティの地位を確立(笑) していなくても、実はそれにかなり近いケースもあります。老人や貧困者はそ の典型ですね。 その次にリクルートの対象になるのが、「無利害層」と、一部の心ある「受益 層」。ここを支援者に取り込めなければ運動は失敗です。なぜなら、いくら結 束を高めて数をかきあつめても、上述の理由からマイノリティ全員を動員する のはムリですし、やはり数の上ではマイノリティ(少数者)ですので。 しかし、ここを取り込む戦略はじつに難しい問題を抱えています。「発明者」 の詩にうたわれた問題です。 マジョリティがマイノリティの支援者になるとき、「その差別は理不尽だ!」 といった情緒的な動因がもとになっていることが多いような気がします。逆を 返すと、マジョリティは、マイノリティの“差別される人々”としての側面に まずは注目しがちであるということです。そしてその認識は、差別に虐げられ て“かわいそう”とか、あるいは差別と闘って“かっこいい”という、ゆがん だ理解へと容易につながっていきます。 李修二さんが問題提起したのも、こういう難点にどう対処するべきかというこ とでしたね。 今のところ僕の考えは、相手をみて地道に対話の努力を続ける、という当たり 前のことです。 #まぁ話しても分からない“性根の腐った”輩はいますからね。そういう人 #との対話は早々に切り上げて、差別禁止を規定した法律の早期制定に努力 #するのがいいかな、と。 その対話の中身なんですが、話して分かる相手なら、ことさら差別の窮状を強 調しなくても、淡々と説明すれば、自然とマイノリティの置かれた状況に共感 してくれるでしょう。むしろ強調すべき点は、被差別以外の側面だろうと思い ます。あるいは、“差別される人々”という側面だけにとらわれないように、 ということでしょう。 …以下、具体例に続く予定でしたが、徹夜明けで眠たくなってきたので、また今 度ということで(^^;)。 _____________________________________________ 金 明 秀(kim@koka.ac.jp) http://www.han.org/ ============================================= 話は途中だったけど、反響が少なかったのでこれで終わり。